宇宙とは

宇宙って、どこにある?
ここ地球も、宇宙の中の、銀河系の中の、一つの星であり、私たち人間はその中の 宇宙から見ると米粒ひとつにも満たない存在であり、だけど確かにここに在り、生きている。

ここも宇宙。


今生きるここからみて、宇宙ははるか彼方空の向こうに無限に広がるものであり、定義のしようもない大いなるもの。

宇宙の法則みたいなものは、確かに、ここに存在し、あらゆるメッセージからも、生きてこそ重ねる経験からも、それが確かに在ると認めずにはいられない。


さて、宇宙とは。。。


本文とは関係ないけど。お正月に一人旅で訪れた福岡の海、どこまでも続く雲。
この後始まる『お参りのようだった』LIVE前のひととき。



これまでに経験したことのない、『宇宙』を体感する機会をいただいた。


無限に心開く音に包まれたとき、
瞑想中、
自分の中での “無限”(というか、制限のないどこまでも広がりゆく感覚)を感じる機会はあるけれど、体感として
それともまた違う。
いや、はるかに異なる、ものであった。

自分の中に、確かにある無限に広がる、けれども薄ぼんやりと「これ、宇宙、、、」と感じるもの。

同時に、『これでよかったのだ』という亡き父が(選ばざるを得なくなった流れにあったが)行った選択とそれが今に及ぼす事実(としての後世への影響)がどうであるのか、ということが、何の予告もなく脳裏にはっきりと浮かび上がり、改めて腑に落ちた。
これひとつとると、宇宙とは程遠いむしろ 紛れもなくリアルなのだけど。

自分の魂の中にある無限なる宇宙と、どこまでもリアル(だけども日常の意識の中では埋没して忘れ去っている事実)とを、行き来していたのか。


そして、どこに留まっていたのか全くわからない何かが、浮き上がってくるにつれ現れる、何とも言えない鈍く重い痛みを感じ続け、やがて、大いなる何かによってそれが綺麗に取り去られ、
取り去られた何かがあったであろうそこに、なにかとても美しいものが広がりゆく感覚。

と、文字にしてみたけれど
なんだろう、この、体感と比べ、激しくギャップを感じる薄っぺらな表現は、。。

それは確かに、どこまでも宇宙であった。
だけれども、どこまでもリアルと共にあった。

そんな施術というかセッションを経験した今、
『宇宙とは』が益々定義できず、
だが確かに、内なる宇宙が軽やかに浄められたと感じずにはいられない。

魂を振る。
そんな大いなる役目をつとめる方に出逢い、またとないセッションをうけて、いまもまだ、言葉にならないなにかが表現をしたがっている。


✴︎
というわけで、それとこれと、一緒にするものでもないんだけど

わいてくる諸々のアウトプットは、
脈絡なくともしていこうと、改めて思う。

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