【Ado】機械で創られる音楽と、そこに通う血を思って
先日、生まれて初めて買った雑誌があります。
表紙でわかるようにAdo特集が組まれているので、それ目当てで買いました。先々月発売の2ndアルバムについて本人と、楽曲提供者数名のインタビューが載っています。「唱」のGiga&TeddyLoid、「抜け空」の雄之助、「Value」のポリスピカデリー、計4名ですね。
正直に言って、音楽に関する専門的な知識は全然ないのでインタビューの大半は解読不能でした。ただ楽曲のイメージや、Adoちゃんの歌唱の凄さについて語られてる部分だけは熟読させていただいた次第です。
AIの時代だからこそ
近年、絵、音楽などクリエイティブなものを機械が作ってしまう、生成AIが話題になっています。瞬時にクオリティの高いもの…かつて人間が作ったものの模倣ではありますが、出力してしまう。それの是非、また将来的に人が不要になってしまうという危機感から議論が起こることも多く、現状完全に社会に溶け込んでいるわけではありません。…しかし、ゆくゆくは様々な分野でAIの存在が大きくなっていくことも避けられないのではないか、と思われます。
AdoちゃんもAI歌唱の動画がいくつか上がっていて、本人も聴いているようですね、インスタに感想を書いていたのを読んだ事があります。美空ひばりさんやフレディマーキュリーなど、新しい歌声を聴く事ができない歌手に最近の曲を歌わせたものなど、ある種夢を叶えられるようなものでありつつも、「倫理的にどうなんだ?」という声もあり複雑な問題ですね。
私自身も、この流れが肥大化していくと「貴方のデータはすでにあるから、もういいよ」というような論が出て来そうで怖い、という思いがあります。どこまでが人、どこからが機械、これが見えなくなってしまうのは健全ではないですよね。
先日、こんな動画を見つけて驚いたと同時に少し寂しくもなったものです。この曲をToshIさんのボーカルで聴いてみたい、というのはファン的に長年の夢でもあったのですが、それがAIによって疑似的に叶ってしまうとは。「おぉ!」という気持ちと「できれば本物を…」という思いが混在していたんですね。
先のサウンドレコーディングマガジンを読んで思ったことですが、今は音楽も大半は機械によって造られており、本来人間しか担当できない「歌声」すら機械が出してしまう領域にまできています。フルデジタルに近付いているんですね。
しかしだからこそ大切だと感じる、制作者や歌手のイメージがあって生み出され、形になっていくものだということと、Adoファンは彼女自身に惹かれてライブに足を運んでいる、という人間的な部分の再認識です。機械化が進んだからこそボカロを元に世に出てきた「歌い手」というカテゴリーですが、そこには人の魅力が欠かせないこともまた、確かなのかなと。
AIの生み出す絵や音楽に、人が生み出すもののような「ファン」が付き始めればもう、その先はわかりませんがともかく今は、まだ「機械のファン」が生まれるには至っていないので、血の通うものを信じていられそうな気がしています。
個人的にはイラストでも音楽でも、「息遣い」を感じていたく思います。
どれだけ時代が進んでも、ですね。
「アルバム」が持つ作品性
来月、Adoちゃん自身初のシングルCD、その一週間後にはプロデュースしているファントムシータのファーストアルバムも出ます。来月ライブに行くので、そこで予約しようかどうかと迷っていてまだ購入に踏み切っていないのですが、まずどちらも買うと思います。
そして先日、「唱」のアレンジアルバムも配信開始になりました。
元の曲がもうすぐ2億回再生に届きそうな、まさに代表曲になった「唱」をもっと味わってくれ、みたいな作品です。昔ならこれもCDで出ていたのでしょうが、今は手軽に聴いてみてね、みたいな発信方法になっていますね。ここはネット化の良いところでしょうか。
こういう企画ものだとより明確ですが、やはりアルバムとはそれ全体で一つの作品であり、一曲目から最後まで通して聴く事を前提に作られていることが多いものだと思います。だからこそ、物理メディアである光ディスクで発売されることに意義がある、とも感じるんですね。現在はダウンロード、またサブスクで聴くのが音楽の主流になり、アルバムを全曲通して聴く機会は減ったと思いますが…今一度、「アルバムの良さ」というのも認識して忘れないようにしていきたいですね。
本来ミュージシャンの創作の基本はアルバム作りであり、シングルはその販促のための切り売りであったはずですから。
80年代にはマイケルジャクソンのthrillerなど、アルバムが売れすぎて全9曲中7曲がシングルカットされた作品もあったほどです。
機械化が進んでも消える事のない人間的な部分の魅力、それが紡ぎ出す「アルバム」という作品の良さ。前時代的な感性だと思われるかもしれませんが個人としてはこれを抱いたまま、新しい音楽を楽しんでいこうと思います。