冬木透さんを偲んで…記憶に刻み込まれた名曲たちを語る
昨年末の話ですが、ウルトラシリーズの音楽を多数手がけた冬木透さんの訃報がありました。
89歳、ご冥福をお祈りします。
数年前、Youtubeの公式配信でウルトラマンコスモスを観たのですが、冬木さんの劇伴は温かみがあり、この音楽がウルトラマン=光のイメージを形作っているのだな、と再認識したものです。
そして改めて、映像作品とは総合芸術であり「名作に名曲あり」を感じさせられた、冬木さんの作品を噛み締めた次第です。
個人的バイブルであるウルトラセブンから、印象深い曲をピックアップしたいと思います。
ウルトラシリーズの「恐怖」は、音楽と共に
何度か話題にしていますが、とにかくセブンは敵が全て宇宙人ということがあり不気味さ、恐ろしさが強調された雰囲気が作品全体に漂っているんですね。それを表現していたのがこの劇伴であり、特にこの動画の4:29からのシークレット・ハイウェイなどは不安感を掻き立てる音楽として相当、秀逸でした。ガッツ星人の円盤を思い出します。
そしてこちら、12:23のM15、これまた恐怖感をあおるBGMながらオープニングの冒頭にも使われていたりするんですね。実は20数年前に総音楽集のブックレットを読んだ際に初めてその造りを認知したのですが、恐怖系BGMを始まりの高揚感演出に使うそのセンスに脱帽したものです。
もっともここは冬木さんの仕事ではないかもしれませんが、これも冬木音楽のクオリティが成せる業ではないかと思っています。
また、恐怖かどうかすら分からなくなるようなBGMもありました。
モロボシ・ダンとメトロン星人がちゃぶ台を囲む、屈指の有名シーンで流れる穏やかなBGMです。これは特撮ファンなら耳にしたことが一度はあるでしょう、というインパクトの強い曲です。
まずこの回の前半でメトロン星人がダンに警告を発する場面でも流れていた曲ですね、ここも同様の使われ方です。
この演出は、私の知る範囲で最古の作品を挙げると黒澤明監督の「野良犬」で用いられています。「音と画の体位法」と呼ばれるもので、あえて場面にそぐわない音楽を使う事で強く印象付ける効果を狙ったものだとか。
思えば、欠番の12話でも同様の演出がされていました。ダンとアンヌがスペル星人のアジトを捜査するシーンでやたら穏やかな曲が流れます。こちらはエンディングでも使われていてそちらの印象が強いですが、そうです、実相寺監督の好きな手法だったと思われます。
初代ウルトラマンでもシーボーズ回の独特な空気がありましたし、実相寺監督は単純なヒーロー物から離れた作風だったのだと、音楽面からも感じる事が出来ますね。
そして見方によっては、この演出によるインパクトが尚更、侵略宇宙人の不気味さを際立てていたといえます、メトロン星人回、第8話「狙われた街」が珠玉の名作として語り継がれる一因がここにあることには、どなたも異論は無いのではないでしょうか。
多くの子供達を育てた、勇気の曲
恐怖感ばかりではありません、先述した通り冬木さんの音楽が「ウルトラマン=光」のイメージを作った、その象徴だと思っているのがこの曲です。
こちらも、帰ってきたウルトラマンを観れば必ず覚えるであろう戦闘時の名曲ですね。ピンチからの逆転劇を彩るBGMとして、コメント欄に
「苦しい時、この曲を聴いて頑張っている」
という言葉が並んでいる様にウルトラマンが勇気を与えてくれる応援曲なんですね。
私も新マンといえばこの曲、と真っ先に思い出すくらいには印象深い曲です。初代ウルトラマンより人間味のあるヒーロー、として描かれていた帰ってきたウルトラマン、バックに流れるこの曲こそがその一端を担っていたといっても過言ではないと思っています。
もう一つ、帰ってきたウルトラマンといえば忘れてはいけないのがこの「ワンダバ」ですね。MATアローを見ると反射的に脳内再生されるほどにはよく聴いた曲です。思えば幼少時、「楽器のように聴こえる人の声」だと思っていましたがこれも音楽の幅広さ、奥深さを知る情操教育の一環になっていた気がします。
これは何処で読んだか、の冬木先生インタビューにあった言葉ですが、セブン主題歌の「セブン…セブン…セブン……」の部分は、音を一つずつ上げる事で子供達に音楽の勉強をしてもらおう、という目論見もあったのだとか。
そう、ウルトラセブンや帰ってきたウルトラマンを観る事で、冬木先生に音楽的教育を施されていたのが、日本の子供達なんですね。
美しい旋律、場面にマッチングした素晴らしい音楽をありがとうございました。
そして、途中からナチュラルに冬木先生と呼んでいたことに気付いて、存在の大きさも感じましたね。
これからも、冬木先生の残した作品は聴き続けて参ります。
お疲れ様でした。