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映画感想「十二人の怒れる男」…一つの部屋で起こる縦横無尽の人間ドラマ

1957年のアメリカ映画。

最高の教材

筆者がこれを観たのは8年前。まだ演技の勉強をしている頃で、古今東西問わず様々な映画を貪るように観ていた頃、この作品に出会った。
視聴手段はDVDレンタルだったと思う。タイトル以外何も知らず、おそらくは当時通っていた養成所で薦められたのがキッカケだったかと思う。
内容は、殺人事件について12人の陪審員たちが審議する様子を描いたもので、97分の間ずっと話し合いしかしていない異端の作品だ。
ところがこれは、60年以上経った今の時代にも通ずる普遍性を持ち、作劇面でも演出面でも、俳優の演技の面でも絶品のものが見られる珠玉のテキストである。役者向け、脚本家向けどちらの教本でも名前が挙がる、問答無用の傑作と言っていい。筆者が今年創作の糧にするべく再視聴したのも印象が強かった証左である。

名無しの登場人物

この映画の登場人物達には、名前が無い。
というと語弊があるが、劇中で明かされない。それぞれ番号で識別する流れ、これは実際の陪審員と同じく一期一会の関係性を表現したものだろう。結果的にヘンリー・フォンダ、リー・Jコッブと俳優名で覚える格好になっている。最後に二人だけ名乗りあう場面があり判るが、それも名字のみでこの映画を語る際に用いられる事がほとんどない情報である。
しかし、この映画を観た人間は大方全員の特徴を覚える。それは顔、性格、声などがハッキリ表され劇中の役割がしっかりあるからで、ここに人物描写の神髄があるといって良いのではないか。
主人公は8番だが、9番の老人、野球好きの7番、スラム育ちの5番…皆容姿、性格、生い立ちに個性がある。むしろ8番が建築業という以外無彩色な人間で地味なのだが、議論の元になる誠実さと人情を持ち中心人物の風格を持っているのが凄いところ。

「仲間集め」の面白さ

「七人の侍」やジャンプ漫画の序盤の様に、主人公が共に戦う仲間を集めていくパートの面白さが、この映画にはあると感じる。
最初は8番だけが無罪を主張する。他の11人はそもそも早く決議して終わらせようとしており、話し合いの意思すらない。言わば「無関心」という敵である。だが8番の熱意と、出揃った証拠への指摘を聞き、一人、また一人と8番に同調していく。これは最初は争った相手だが主人公の意志に揺さぶられ共闘に転じる、という漫画の展開と同じである。そこに強引さやご都合主義が見えては興醒めだが、この映画はそこを丁寧に描いている。全員が有罪派から無罪派に転じる理由が明確なのだ。
8番の気概に胸打たれるものもいれば、証言の曖昧さを認めるものもいる。自分の意見を変えるというのは勇気の要る事だが、それゆえにその瞬間はドラマになる。派手な喧嘩はなくとも、「気持ちが変わる」ところは見せ場になるのである。

名作に、名優あり

Blu-ray収録の解説を聞いて知った事だが、1950年代のアメリカはテレビドラマが最盛期で、俳優の仕事はテレビ、舞台の比重が高かったそうである。映画は斜陽になっており、「テレビの合間のアルバイト」な感覚で出演する役者が多かったらしい。ここが同時期に映画がピークだった日本とは少しズレていて、テレビ普及のタイミングがそのまま反映されているものと思われるが、とにかくこの映画の出演者は舞台出身者が多かった。本番は順撮りではなかったそうだが、その前に通しでリハーサルをやっていたとの事。確かに、舞台向きの作品ではあってライブ感の強い映画になっており、それを成立させる俳優陣の技量がとてつもなく高い。
終盤、10番が激昂し他のメンツが全員背を背ける場面がある。その席を立つタイミングや速さに「無理がない」ので、場が白けるのを肌で感じられた。これは台本には書けないし、演出の指示だけでも作れない空気。役者陣が自分で感じとった頃合いで席を立ち、振る舞いで離脱を表現しているからこそのなんともいえない雰囲気なのである。そしてそれがあるから、最後まで有罪派だった3番の陥落に繋がるのである。先に述べた通り、意見を変えるには勇気が要る。それを芽生えさせるのは勇ましい場面だけとは限らない、と伝えている名シーンだと思う。

意地を張る3番に向けられる視線。
18歳の少年の命の重みを全員が悟っている。



変化を伴う解決

この映画は、最終的には全員が無罪派となり決議して幕を閉じる。
初めは8番以外が有罪派、大勢は決していたかに見えたがそれが逆転する物語である。だが結局、では犯人は誰か?とか事件の真相については明かされない。「疑わしきは罰せず」までで終わるのである。
にも拘わらず、この映画の鑑賞後には清々しい気持ちが残った。それは紛れもなく「無関心」という病巣が退治されたからであろう。
実はこの作品は少年の無罪を勝ち取る話、ではないと思う。

バラバラな人間の気持ちが一つになるのは難しいが、可能である。

という話ではなかろうか。
そこに人間の「変化」が描かれているからスリリングで、面白いのだと思う。真相や善悪の概念は添え物で、場面転換や驚くような視覚効果も不要だ、とこの映画は伝えている。
映画は総合芸術で、面白味を感じる部分は多種多様だけども「変化」の面白さを見せる事に特化し、それ以外をとことん取り払ったこの映画の輝きが色あせる事は無いであろう。

最近になり繰り返し鑑賞したこの作品、まだまだ学べるものがあると思う。
今後も重宝する、バイブルの一つである。


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