移植にまつわるエトセトラ
せっかくnoteを始めたので、あちこちに散らかっている手持ちの記録をここに整理していければと思います。
まずは、過去に私がドナーとして体験した骨髄移植の顛末をご紹介します。
お付き合いいただけるとありがたいです。
なんかカニを食べたい気分だったので、季節外れなタイトルを付けてみました。
※ 以下の記述は、私が十数年前に体験した当時の記録と記憶に基づいています。現在の骨髄・末梢血細胞移植に関する諸条件・術式等と異なる点がある事をお含み置きください。最新の情報は骨髄バンクのHP を参照下さい。
1. 初めに~骨髄移植とは?
白血病や再生不良性貧血のような血液に関する疾患に対する有効な治療法のひとつです。HLA型(白血球の血液型)が一致するドナーから、骨の内部にある骨髄で作られる造血幹細胞を採取し、患者さん(レシピエントと言います)に移植する治療法です。
2. 骨髄バンク
HLA型は赤血球のABO型とは異なり6つの因子があり、兄弟姉妹の間では4分の1の確率で一致しますが、親子や非血縁者間では数百~数万分の1しか一致しないため、レシピエントがより多くの治療機会が得られるよう、骨髄移植の意思がある方のHLA型を登録してドナー/レシピエント間の調整をする組織が骨髄バンクです。
日本では公益財団法人日本骨髄バンクという組織によって運営されています。
3. ドナー登録
私がドナー登録したのは平成の中頃でした。各都道府県に何カ所かある献血ルームが登録窓口となっていることが多いので、通常の献血の受付時に「骨髄バンクの登録もしたいです!」と言えば、専用の申込書&問診票を出してもらえます。条件が合えば献血前の検査で何本か採られるサンプルがもう1本追加されて登録作業は完了です(簡単ですね)。
後日ドナーカードが送付されます。ドナーカードは常に携行しなきゃいけないものではなく、カードがないと移植ができないという訳ではないですが、私はなんとなく財布に入れています。
4. 適合通知
レシピエントとHLA型が一致するドナーから、諸条件を考慮された上で通常5名程度ドナーが移植候補者となり、これらのドナーにA4版のオレンジ色の封筒に入った適合通知が発送されます。
ちなみに私宛ての適合通知は、私が引っ越しをした直後だったので前住所に届いてしまい、隣に住んでいた人から「なんか大事そうな封筒が郵便受けにあるけどどうする?」と連絡があってあわてて転送してもらいました。もちろん郵便局には住所変更手続きをしていましたが、こういうこともあるのでドナー登録されている方は事務局への住所変更手続をお忘れなく!
5. コーディネート開始
適合通知に対し、骨髄移植の意思がある旨を既往症の有無と共に回答すると、今回のケースを担当する骨髄バンクのコーディネーターさんから連絡があり、移植に関する説明、問診そして血液検査を受ける日程を調整します。平日の昼間、自宅近くの公立病院で行いました。
コーディネーターさんによる一連の流れの説明、その病院の結構偉そうなドクターから私の既往症(この数年前に慢性硬膜下血腫の手術をしてました←これは機会があれば書きます)について確認がありました。そのドクターと雑談的な話をしている時に言われた「ホントは骨髄移植なんてしなくて済むんだったらそれが一番いいんだけどね」の一言が印象に残っています。
最後に血液検査があって、流れ上そのドクターが採血することになったのですが、偉い先生なので普段採血なんてしていないのか、ラインを外してしまいました。きっと見ていた看護師さん経由で病棟中に言いふらかされたのではないかと思います。
トータル2時間程度、交通費の精算をして終了しました。
6. 選定結果通知
検査から1ヶ月ほどで選定の結果が通知されました。骨髄移植はドナー/レシピエント間1対1で行われるので、候補の一人に「選定」の通知がされ、選定以外は「外れ」のほか「保留」(要するに補欠)の通知がされ、私には「保留」の通知が届きました。
非常に微妙な状態に置かれることとなりましたが、そんなことも忘れかけた2週間くらい経った頃でしたか、そろそろ消そうかと思っていたコーディネーターさんのアドレスから、「実は状況に変化があり、ドナーになってもらいたいんですが?」と連絡がありました。
私の中では、既に終わりかけていた話でしたし、果たして仕事の調整等諸々大丈夫なのか、戸惑いはありました。
ただ、何だかんだ言ってもこっちの事情は、レシピエントさん側の生きるか死ぬかの選択に比べれば多分どうにでもなるレベルの問題ですので、受けさせてもらう旨回答し、正式な依頼文書を送って貰うことにしました。
7. 最終同意
何が最終なのか分かりにくいのですが、レシピエントは、ドナーから新しい骨髄を受け入れるのに先立って、放射線や薬物で元からある自分の造血幹細胞を破壊、要するに自前の血が作られない状態にしなきゃいけないそうです。血が造られないと言うことは、免疫力がなくなることで、またこの処置自体がレシピエントに大きな負担のかかるもの(処置にあたって受ける放射線の量は、原発での作業員さんの基準を大きく超えるレベルだそうです。)なので、そんな状態になった段階でドナーが「やっぱりやめた」となると、取り返しがつかないことになってしまうため、この同意後ドナーは移植の意思を撤回できない、レシピエントは後戻りのできない処置に入るという意味で最終同意と言う意思表示を行います。これもまた原則平日に、医師、コーディネーター、ドナーの家族の同席(弁護士も参加するケースもあるとのこと)の下で行われます。
いい大人が家族の同意がなきゃ事一つできないなんて情けない話ですが、この段になって家族が反対するってことが日本ではよくあるらしいそうです。
それからもうひとつ、移植に際しての諸々の検査の結果、私に由来する病的意義のある遺伝情報が判明した場合に告知するかどうかという質問がありました。私はともかく、将来私の子供が重要な選択の際にこの事実によって影響があるかと思うと、移植の意思決定以上に悩みました。
8. 自己輸血
最終同意後は、移植に向けての日程調整と健康診断、それから自己輸血というもの行います。移植の後にドナーの血が足りなくならないように、事前に採血しておいて、移植後にドナーに戻すことを自己輸血と言うそうです。移植する骨髄液の量、ドナーの体格等により自己輸血の量と採血の回数は決まり、私の場合は移植の2週間程前に400ccの採血を1回行いました。
その時聞いた話ですが、自己輸血はオリンピックのドーピング規定に引っ掛かるそうです。ただ、ドーピング検査でどうやって見つけるのかは聞きそびれたので未だに謎です。
9. 移植前日
移植の前日午前中から入院することになります。移植手術をする病院は私が産まれた病院でした。なんだか不思議な巡り合わせを感じました。
移植前日は諸手続と検査だけなのでかなりヒマでした。昼食後(病院食ですけど普通の食事を頂けます)コーディネーターさんが来て、入院の諸々の足しにということで骨髄バンクから5000円を交通費とは別に頂きました。
通常の手術と同様に夜からは絶飲食になります。
10. 移植当日
朝、シャワーを浴びて術衣に着替えたら点滴等が装着されてストレッチャーで手術室まで運ばれます。私自身は病気でも何でもないので歩いて行っても良いのですがそういう決まりのようです。手術室に入る前に口にマスクを被せられると一瞬で全身麻酔がかかり、気がついたら移植は終了して病室に戻っていました。コーディネーターさんの話ではもうその頃には私の骨髄液はレシピエントの所で移植されているだろうとのことでした。
ということで皆さんが一番知りたいであろう実際の移植の状況なんですが、全身麻酔下で行われる処置の為、何の記憶もなくて申し訳ないです。コーディネーターさんからのこれまでの説明によれば、骨盤の辺りに注射針を刺して骨髄液を吸い取るとのことです。白血病の患者さんが血液検査の際に同じような処置(マルクというらしいです)を麻酔なしでするため、「骨髄移植ってすんげー痛いんだって!?」という噂が立っているみたいですが、実際は上記の通り全て麻酔が効いているので何の痛みも伴うことはありませんでした。
ちなみにレシピエントは骨髄液を通常の輸血のようにして体内に取り込みます。不思議ですが骨髄液は血管を通じて体内の骨髄に生着するそうです。
11. 移植後~退院
私の場合、移植の次の日から普通に歩くことができました。針を刺した腰のあたりには多少違和感がありましたが移植後数日でなくなりました。移植から2日後に退院となりましたので、都合4日間の入院でした。一般的にも4~5日間の入院ということだそうです。
私が勤めている職場の規定では、この入院期間は有休とは別の特別休暇扱いとなりました。
それから、私は対象外でしたが最近は、移植に伴う入院が生命保険の入院保障の対象になるものもあるそうです。
退院後、コーディネーターさんから電話での状況確認、骨髄バンクからのアンケートがありました。
12. その後①~GVHDとDLI
レシピエントが闘っている疾患は、移植を受ければそれで治ると言う訳では当然なく、その後も色々と克服すべき対象があり、そのひとつがGVHDです。平たく言うと拒絶反応で、症状には個人差があるようですが人によってはGVHDが原因でお亡くなりになることもあるそうです。そのGVHDの治療法としてDLIがあり、具体的にはドナーのリンパ液を輸注することになります。
私はこのDLIも行っており、つまり私の骨髄液のレシピエントは、何らかのGVHDが発症していたということになります。私の提供した骨髄液が原因でレシピエントがGVHDに苦しんでいるという事実は、今回の経験の中での辛い出来事のひとつでしたが、少なくともDLIの時点ではどんな状況であれ生きていてくれたことに感謝し、協力させて頂きました。
リンパ液の採取は成分献血とよく似ていて、採血用と返血用の2本の針が入る(成分献血は1本)以外は、前後の処置や所要時間も成分献血と同じような感じでした。
13. その後②~レシピエントとの連絡
横山秀夫の「半落ち」という小説を読まれた方はご存知かもしれませんが、レシピエント/ドナー相互の個人情報は開示されないのが骨髄移植の重要なルールです。ただし、個人が特定されない内容であれば、移植後一定期間はお互い手紙を出すことが可能です。私にもレシピエントさんから手紙が届きました。
たまたま個人的に色々あった時だったので本当に救われました。あの手紙がなければ正直乗り越えられていたのか自信がありません。
文字通り「血を分けた兄弟」に助けられ訳で、ドナーを引き受けて本当に良かったと感じた瞬間でした。
この投稿においても、ドナーである私自身のプロフィールであったり、移植の具体的な日時や場所を示していないのは、ドナーの特定を防ぐためのものです。内容に分かり難い点があるかと思いますが、ご承知置き願います。
14. 最後に
ここまで読んでくださってありがとうございました。
池江璃花子さんの闘病の報道や、ちょっと前の「セカチュウ」のヒットで骨髄バンクの登録数はかなり増えたそうですが、残念ながら全てのレシピエントの希望を満たす状況・環境には至っていないのが現状だそうです。
日本では約45万人の登録者がいますが、米国では790万人、ドイツでは620万人の登録者がいるそうです。
私のケースでも職場や家族の理解と支援で移植ができたのですが、もし可能であれば、これを読んで頂いたのを機会に、今までより少しだけでも骨髄移植のことを気にして頂ければ、私としても非常に嬉しく思います。
『人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対しても忸怩たることだ。人間であるということは、僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。』
(「人間の土地」:サン・テグジュペリ=堀内大學訳Ver.)