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誰でもGiver(ギバー)になれるメソッド
みなさん、こんにちは。今日はGiver(ギバー)について会社の全体朝会でシェアした話を軸にnoteにまとめたいと思います。
ギバーについてはネットで検索したところ、わかりやすい説明があったので引用します。
ギバーは、人に惜しみなく与える人です。 受け取る以上に他人に与えようとします。 他人を中心に考え、相手が何を求めているかに注意を払います。
テイカーは、真っ先に自分の利益を考える人です。常に与えるより多くを受け取ろうとします。他人ではなく、自分を中心に考えます。
マッチャ―は、損得のバランスを考える人です。
頭の中に「バランスシート」をもち、自分と相手の利益・不利益を公平にバランスし、ギブ&テイクの帳尻を合わせようとします。
ギブ&テイクという言葉が世の中に的にもよく使われていますが、その際に意味するのがこのギバーやテイカーという考え方です。
いざ文章にしてみると、多くの人は今までギバーだと思っていたのはマッチャーのギブ側の側面であり、本当の意味でのギバーは人間としての器が卓越し過ぎていて、自分なんかには到底なれない高尚な存在だと思われるかもしれませんが、ご安心ください。
私自身、マッチャーの概念や思考回路は理解できるものの、ギバーの精神には甚だ疑問に思うことが大筋でした。
しかしながら、最近さまざまな心理学や組織論、ひいては宗教本等も読み漁るうちに、腹落ちする解釈を得ることができました。
ギバーは、For you精神で相手に与えることを幸せと捉えることができている人を意味しているという解釈です。
ポイントは、相手に与えることを幸せと捉えることが出来ているか否かが重要であるという点です。
これだけでは到底理解に苦しむと思うので、二つのお話を紹介させてください。
まず一つ目は、カナダで行われた幸福感を図る実験についての話です。
カナダのブリティッシュコロンビア大学(University of British Columbia)のこうした研究結果が、21日の米科学誌サイエンス(Science)に発表された。
同大学の心理学者、エリザベス・ダン(Elizabeth Dunn)氏率いるチームは、「もらうよりもあげる方が気分的にいい」という格言の科学的根拠を探るべく、お金を自分のために使う場合、または慈善団体に寄付するなど社会のために使う場合の幸せ指数を計測する3つの実験を行った。
最初の実験では、米国人630人を対象に、お金を自分のために使った後、またはお金を他人にあげた後の幸せ度を5段階で評価してもらった。すると、お金を他人にあげた人の方が幸せ指数が高かった。
2つ目の実験では、会社の従業員の3000-8000ドル(約30万-80万円)のボーナスの使い道を調査したところ、社会のために使った額が大きい人ほど幸せ指数も高いことがわかった。たとえば、ボーナスの3分の1を社会のために使った人では、社会のためにまったく使わなかった人よりも、幸せ指数が20%高かったという。ダン氏は、「幸せかどうかは、ボーナスの額ではなく、その使い方で決まる」と語る。
3つ目の実験では、カナダ・バンクーバー(Vancouver)の大学生に5ドルまたは20ドルを手渡し、これをその日のうちに使うよう指示した。その結果、幸せ指数は、「他人のために使った」グループが「自分のために使った」グループを上回ったと言う。
以上の実験の結果、他人のためにより多くのお金を使った人で幸せ指数が高いことが立証された。ダン氏は、今回の研究が社会のためにお金を使うという行為が幸せの実質的な原因になることを明らかにしたとしている。
続いて、二つ目は"はたらく"の語源についての話です。
"はたらく"の語源はさまざまありますが、そのひとつに"傍(はた)を楽にする"という言葉があります。
傍(はた)とは「かたわら」や「そば」という意味を持つ漢字で、そばの人を楽にすることから、"はたらく"という言葉が生まれたと言われています。
我々は実は常に傍(はた)を楽にしてもらう経験をしています。
例えば、飲食店に行くとコックやシェフが料理してくれた食事を口にしますが、これは自分が作れない、または作らなくて良い環境を飲食店が提供してくれているわけで、我々を楽にしてくれているのです。
洋服屋さんで服を購入する際も、我々がつくれない服を作ってくれていて、それをお金という対価で購入して成り立っているのです。
要は、社会や経済というものは常に"傍(はた)を楽にする"関係が相互に成り立っており、その目には直接的に見えない連鎖が"働く"ということなのです。
そう考えると、我々は常にギバーでもあり、テイカーでもあるという事実を捉えることができます。なので、我々は何事にも感謝をし、人に対して優しく接する必要性があるというものなのでしょう。
さて、話は戻り、ギバーについて。
ギバーは人に惜しみなく与える人を意味するという旨は上述しました。
それに加えて、一つ目の話から、合理的にも人は自分より他人に与える時の方が幸福感を多く感じることを実験によって知り、二つ目の話から、社会の中で生きる存在である以上は生きているだけで常に何かしらのギブを受けて生きていることを知ります。
つまり、ギバーという考えは、決して神様、仏様のような高尚な考えを持つ絶対的な必要性はなく、上述した二つの仕組みを知ることでギバーとして十分な考え、行動を得れると解釈しています。
他人に与えることが自身の幸せを増幅させ、且つ、常に人や自然からギブを受けて生きている事を理解すれば、ギバーとしての思考回路も少しは身近なものに感じてきませんか?
私自身まだまだギバーとしての思考や感性には程遠い存在ではありますが、自身が腹落ちする概念として理解をし、今後より純粋なギバーになれるよう、日々精進していきたいと思います。
※本テーマについては異論もあると思いますが、あくまでも誰でもギバーになれる解釈方法を主軸において解説させていただきましたので、あしからず。
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