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日本のサイケデリック・ポップ概略史

この項では、1960年代後半から米英を中心に発生した「サイケデリック・ムーブメント」の内の一つのムーブメントである「サイケデリック・ロック」。

その中でも米国ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンやビートルズなど英国のミュージシャンによって生み出されていった「サイケデリック・ポップ」が、どのように日本の音楽シーンに影響を与えたか?を記しています


当時の日本の状況
(1960年代後半〜70年代初頭)

先ずは1960年代後半から1970年代初頭にかけての日本の音楽業界の状況から。

ビートルズ来日(1966年)の直後辺りから始まる、芸能事務所主導による極めて短期間のGSブームを経て、GSブームの残党や米基地や各地のディスコなどでで活動していたミュージシャンによる、英米楽曲のカバーを含む英語詞の楽曲、特にブルースロックを基調とする「ブルースロックバンド」の誕生が日本の所謂「ロック」の始まりと言われています。

内田裕也氏が主導する「フラワー・トラベリンバンド」、竹田和夫氏が率いた「ブルース・クリエイション」など、ブルースロックを基調とし長尺インプロビゼーションによるドラッギーな演奏は、「ジミ・ヘンドリックス」などの影響を受けているという意味で、サイケデリックロックの影響を受けていたと言っていいかと思います。

フラワー・トラベリン・バンド - Satori Part II (1971)

これとは対象的に、米国の「バッファロー・スプリングフィールド」など米国西海岸の音楽などからの影響を、自分達なりに解釈~消化して日本語歌詞によるオリジナル曲を作る一派(バンド)が現れます。それが「はっぴいえんど」です。

細野晴臣さん、大滝詠一さんらが主導する「はっぴいえんど」は、より広い範囲の米欧のロック、ポップスを研究し独自の自分達のオリジナルを追求する姿勢であったため、サイケデリック・ロックの影響を消化した楽曲も制作します。

はっぴいえんど - あやか市の動物園 (1970)

大滝詠一さんは、その後ビーチ・ボーイズなど米ポップスを消化したソロ作品(傑作)を1980年代初頭にかけて制作することになりますが、この時点ではブライアン・ウィルソンなどによる「サイケデリック・ポップ」からの影響は特に顕在化していませんでした。

ここまでが1970年代初頭までの日本に於ける「ロック」の状況を簡単にまとめになります。しかし、ここで述べておかなければいけないことは、いわゆるこれらの「ロック」は日本に於いてはアンダーグランドな活動であり、当時の音楽業界に占める位置はとても小さいものだったということです。

[脚注1]

そしてこの時期にはっぴいえんどの周辺から活動を開始するのが「鈴木慶一」さんです。

サイケデリック・ポップの萌芽(1970年代中盤)

時に非常にアッパーであったり、長尺で呪術的であったり、自己陶酔型であったりする「サイケデリック・ロック」と比較して、「サイケデリック・ポップ」はダウナーな心情表現や、儚く壊れやすく、時に無垢な自己の存在を象徴するような表現、サウンド的には朴訥としていたり浮遊感が特徴と思いますが、この時期にその時代性もあったのか、そのような楽曲は極めて稀でした。

その数少ない楽曲の一つが、はっぴいえんどとの交流から音楽活動をスタートさせた鈴木慶一さんの「スカンピン」。一見無頼派的な歌詞と世界観ですがシタール(シタールギター?)が印象的なサウンド、メロディー共に「ダウナーで朴訥として無垢」なニュアンスを感じることができます。

鈴木慶一とムーンライダース スカンピン (1976)


また「荒井由実(松任谷由実)」さんのデビュー当初は、英国プログレの先駆けのバンドである「プロコル・ハルム」の直接的影響の元に発表したいくつかの曲から、ダウナーなサイケデリック・ポップのニュアンスが汲み取れます。

荒井由実 - 翳りゆく部屋 (1976)


アマチュア時代の自主制作アルバムの半数の曲がビーチ・ボーイズのカバー曲で占められていたりと、日本のビーチ・ボーイズ研究の第一人者であり、はっぴいえんど解散後の大滝詠一さんの後押しを得て世に出た「山下達郎」さんのソロデビュー当初は、サイケデリック期のビーチ・ボーイズを彷彿とさせるこんな曲も発表しています。

山下達郎 - きぬずれ (1977)

非公式音源:  ttps://www.youtube.com/watch?v=XGvPqC5vw3o


1970年代初〜中盤、英米でのサイケデリック・ムーブメントの終焉と共に、日本における「サイケデリック・ポップ」の萌芽は、ごく一部限られた楽曲を生み出して終焉したように見えました。

CDリイシューブーム(1980年代後半〜90年代)

1972年のはっぴいえんど解散後、ソロ活動を続けていた「大滝詠一」さんは、1980年代に入ってすぐに、現在シティポップとも呼ばれる流れを決定づけた大傑作アルバム「A LONG VACATION」(1981年)を発表し、これが大ヒットします。

このアルバムは、大滝さんが影響を受けてきた特に1950年代からの米英のポップス、ロックのエッセンスと、更には日本の歌謡曲/ポップスのエッセンスを大滝さんなりに咀嚼した上で2020年代の現在までも広く愛される普遍性を持った名作となりました。

このアルバムの中でサイケデリック・ポップのエッセンスを感じることができるのはこの曲でしょう。

大滝詠一 - 雨のウェンズデイ (1981)

また、このアルバムは、ちょうどその頃に世界的な音楽産業の転換点の一つとも言える「CD」化の日本における第一号のアルバムの一枚でもありました。

レコードからCDへの音楽メディアの変化は、特に日本においては当時の好景気の波にも乗って「CDリイシューブーム」的な動きを呼び起こしました。レコード会社は、過去に「レコード」として発売されていた音楽を「発掘」し、CDとして再発するということをが盛んに行うようになり、それがまた良く売れました。これは特に洋楽ポピュラー・ロックについて顕著な動きでありました。(レコードの時代、昔のレコードはなかなか入手が難しかったことの反動でもあった。)

[脚注2]

「CDリイシューブーム」で昔の音楽に容易に触れることができるようになったことで、1960年代から1970年代の音楽に影響を受けた次の世代のミュージシャンが1990年代以降活躍しだすことになります。(当稿ではこの世代を便宜上第2世代、これ以前を第1世代と呼ぶことにします。)

第2世代以降のミュージシャンが活躍し出す前に、80年代より活動しているミュージシャンの中でも、CDリイシューブームに先駆けて、マニアックな嗜好で過去の音楽を掘り起こしてオマージュするミュージシャンが存在しました。

1984年から活動する「ピチカート・ファイブ」の中心人物である「小西康陽」さんは、無類のレコードコレクターとしても知られており、1960年代の英米の音楽に造詣が深く、この曲ではビートルズ中期に代表されるサイケデリック、それもエスニックな楽器を中心としたサウンドと、サイケデリック以降のサンシャイン・ポップを思わせる曲タイトル(The 5th Dimension "The Magic Garden","Carpet Man" - 1967年発表)が、上手くサイケデリック・ポップ的な浮遊感を演出していると思います。

ピチカート・ファイヴ - マジック・カーペット・ライド (1993)

またピチカート・ファイブのデビューは、細野晴臣さんのレーベルからという事実からも、日本のサイケデリックを担ってきた人脈の繋がりを感じさせます。

1980年結成〜1984年インディーズデビューのバンド「カーネーション」は直枝政広さんのボーカル、曲作りの傾向から英XTCなどとも比較され、パワーポップ的なロックバンドとも見られていますが、1996年のこの曲ではストリングスの使い方などに1960年代後半のサイケデリック・ロックの影響が見られると思います。

カーネーション - Garden City Life (1996)

MVも1960年代後期から放映されてた英国のテレビバラエティ「モンティ・パイソン」のアニメーション(テリー・ギリアム作)をオマージュしていたりします。このアニメーションにもサイケデリックムーブメントからの影響が感じられます。

[脚注3]

「カーネーション」はギター・ボーカルでメロディーメーカーでもある直枝さんを中心としたバンドと見られていますが、直枝さんに次ぐメロディーメーカーでもあるドラムの矢部浩志さん作曲のこの曲は、直球な中期ビーチ・ボーイズ(ブライアン・ウィルソン)オマージュになっています。

カーネーション - Parakeet Kelly (1999)

[Apple Music]はこちら

矢部さんは2009年に健康上の理由からバンドを脱退しますが、2013年には鈴木慶一さん率いるの60年代サイケの雰囲気も香るバンド「Controversial Spark」(鈴木慶一、近藤研二、矢部浩志、岩崎なおみ、konore)に参加したりしています。

Controversial Spark - first session (2013)


多様化の時代(1990年代〜)

CDリイシューブーム以降の時代に多感な年齢を迎え、多様な過去の音楽(特に英米のロック・ポップ)から影響を受け、更には日本の第1世代のミュージシャンからも影響を受けた第2世代のミュージシャンが1990年代中盤から続々と音楽シーンへ登場し出します。

1989年結成、1992年インディーズデビューのバンド「ゆらゆら帝国」は日本におけるサイケデリック・ロックの代表的バンドと言われ、1990年代の米国グランジシーンからの影響も伺えますが、英国的なサイケデリック・ロックのからの影響を色濃く感じさせるバンドです。

またアルバム中では英国サイケデリック・ロックから派生したダウナーで浮遊感あるサイケデリック・ポップ(Pink Floydのシド・バレットのソロ作など)からの影響を感じる曲が、メジャー1stアルバムに収められていたこの曲です。

ゆらゆら帝国 - ユラユラウゴク (1998)


1997年にインディーズデビューした兄弟ユニット/バンドである「KIRINJI(キリンジ)」は、(初期は)富田恵一さんのプロデュースの下、ロック・ポップスにJAZZやR&Bの要素を巧みに織り交ぜ多彩な曲を生み出し続けています。

多彩なリズムアレンジの曲が並ぶKIRINJIのアルバムの中、単にスローテンポな曲で変化をつけてみましたみたいな扱いかと思いきや、後半バック演奏が入る辺りからの演奏やコーラスにブライアン・ウィルソンの"Surf's Up"を感じたりします。

キリンジ - サイレンの歌(2000)


1994年にメジャーデビューしたバンド「サニーデイ・サービス」の登場時は、はっぴいえんどの再来とも言われ、はっぴいえんどと同様に日本的なフォークロックの文脈に多様な洋楽ロック・ポップスのオマージュを織り交ぜた曲調が特徴のバンドでした。その中でサウンドや歌詞に英米サイケデリック・ロックの要素が感じられる曲がこの曲です。

サニーデイサービス - 万華鏡 (2000)

バンドは2000年に一旦解散(2008年再結成)し、中心メンバーである「曽我部恵一」さんはソロ活動を開始しますが、ソロ第1作アルバムには英サイケデリック・ポップ(特にシド・バレット)を思わせるこんな曲も収められていました。

曽我部恵一 - おとなになんかならないで (2002)

曽我部恵一さんは、鈴木慶一さんとの深い交流もあり、2008〜9年に2作連続で鈴木慶一さんのアルバムプロデュースを手掛けていたりします。2006年のムーンライダーズ結成30周年ライブでの「スカンピン」の弾き語りカバーは改めて曲の強さも感じさせてくれる名演になっていると思います。

曽我部恵一 - スカンピン (2006)


と、以上3組を挙げましたが、この時期には直接間接に英米のサイケデリック・ロック/サイケデリック・ポップからの影響が垣間見えるミュージシャンが多数出現しました。

くるり、キセル、Polaris、Fishmans、七尾旅人・・・英国におけるサイケデリック・フォークからの影響も含めるとまだまだありそうですが、キリがないのでこの辺で。

興味深いと思ったのは、英米ではブライアン・ウィルソンフォロワー(クローンと言ってもいいくらい)と呼べるミュージシャンが存在(Chris Rainbow、The Wondermints、Jeffrey Foskett、The Explorers Clubなど)するのですが、日本にはそのような位置のミュージシャンはいないなということです。

[脚注4]

女性アイドルによるサイケデリック・ポップ
(2010年代〜)

2000年代後半から「Perfume」「AKB48」等の女性アイドルグループの出現により、2010年代から日本におけるポピュラーミュージックシーンは「アイドル戦国時代」とも呼ばれる「アイドルブーム」が巻き起こりました。

エンターテイメントビジネスとしての側面ではさまざまなことが巻き起こったのですが、音楽面で特筆すべきは特にヘビーメタルを歌い踊る「BABYMETAL」の活躍です。これをきっかけに女性アイドルグループがさまざまな「尖った」ジャンルの音楽を取り込む動きが加速しました。

遡れば、この記事で言う第1世代のミュージシャンが女性アイドルの楽曲を手掛ける動きは1970年代〜80年代に活発に行われていましたが(それはいつの間にか途絶えていましたが)、こと「サイケデリック」の要素が女性アイドルに持ち込まれた例は、2010年代のアイドルブームが巻き起こる以前はありませんでした。(女性アイドルのイメージ戦略を想像するに当然のことなのですが。)

例外的には、1970年代初頭に今でいうソフト・ロック的な音楽を発表していた樋口康雄(PICO)さんが、2006年に手がけたこの曲でしょうか。

秋山奈々 - 夜明け前 (2006)


そしてBABYMETALが海外展開を行うまでになった2014年には、これに対抗すべく(なのかどうかは不明ですが)サイケデリック・ポップを究極に突き詰めた楽曲が誕生します。

私立恵比寿中学 - 幸せの貼り紙はいつも背中に (2014)

作詞・作曲は、CM音楽などを手掛ける職業作家の平野航さんという方なのですが、編曲には鈴木慶一さん、曽我部恵一さん。

さらに参加したミュージシャンは、元カーネーションの矢部浩志さんを初め、鈴木慶一さん率いる「Controversial Spark」のメンバーとも重なる(Key:横山裕章、Ba:岩崎なおみ、Dr:矢部浩志、スクラッチ:bonstar)といった布陣でした。

ブライアン・ウィルソンのポップであって更に無垢さを感じるメロディー、シド・バレットの儚く壊れそうな空気感、中期ビートルズ(特に"Magical Mystery Tour")などの「サイケデリック・ポップ」の要素が散りばめられたサウンドに、10代の女性アイドルが無垢な歌を乗せる。

1960年代後半から始まった日本の音楽シーンにおける「サイケデリック・ポップ」を受容する活動、その中心となったミュージシャンによる一つの到達地点とも言える楽曲に仕上がっていると思います。


これ以降も、このような「サイケデリック」的な音楽性を持った楽曲を取り入れる女性アイドルはアイドルシーンの中心ではないのですが、いくつか優れた楽曲が誕生していくことになります。


2003年結成で新潟を拠点として活動する「Negicco」は、アイドルブームの中でも特徴的な「ローカルアイドルブーム」を象徴する存在で、長い活動歴の中では、ソロ活動も精力的に行なっています。

そのNegiccoのメンバーである「Kaede」が2017年に発表したこの曲は、2007年にKIRINJIの堀込兄弟が手がけた某女性シンガーへの提供曲のカバーになっており、Kaedeさんのウィスパーボイスとも分類しきれない独特の歌声が、本家以上にサイケデリック・ポップ的な浮遊感を演出していると思います。

Kaede - それもきっとしあわせ (2017)


女性アイドルブームも2010年代後半になってくると、メジャーレーベルや大手芸能事務所に所属しないアイドルグループが登場しました。いわゆる「ライブアイドル(地下アイドル)」とも呼ばれる存在です。

これらのアイドルグループの楽曲はメジャーアイドル以上に多様性を極め、楽曲制作を担うのは、DTMを駆使する若手の楽曲制作者やシンガーソングライターだったりします。

そんなライブアイドルの楽曲の中からサイケデリック・ポップの要素を感じる曲を2曲ほど挙げておきます。

tipToe. - blue moon. (2018)

一瞬しかない - twinkle (2019)

最後に

以上、かなり大雑把に1960年代後半〜2010年代までの約50年を振り返ることで「サイケデリック・ポップ」の現在位置までの流れを把握できるようにとまとめてみました。

当項を書くきっかけはこの記事を書いた際に、日本のロック・ポップスの流れを記すには、あまりに自分の中で情報が整理されてないなと感じたということでした。こちらの記事も当項を参照する形で少々手を加えて行きたいと思います。

以上。