
「前々から...」の棚卸し(ミニマリストへの道5)
こんにちは、ついに念願の「ベッドフレームも手放し」をした石垣です。
つい先日4年ほど使用していたベッドフレームを解体しました。まだ粗大ゴミに出してはいませんが、やはり相当な体積がありますので解体移動したときの開放感も相応なものでした。
今が冬で乾燥している時期なのも幸いしました。夏の多湿に実行していては床に直置きのマットレスなどすぐにカビてしまうでしょう。
いずれ足の低いすのこのベッドフレームを手に入れようと考えてます。
さて、はじめの挨拶文を書いているとき頭の中に「念願の」というワードが出てきました。
なんだか「私、前々からこれ(ベッドフレーム)手放したいと思ってたんだよね」といわんばかりです。こんなことをいつから考えていたんだろう、と自分で自分に静かに驚いています。
日々の生活を送るなかで心のなかに溜まっていく「前々から思ってた」の数。いったいどれくらいあるのでしょう?
そして、「前々から◯◯だと思ってたんだよね」の◯◯に入るモノとはなんでしょう?
人の悩みは「お金・健康・人間関係」に分けられると何かで読んだことがあります。
断捨離は自分の愛着とか執着とか、そういった「モノと自分の関係」を、捨てたり手放すことを通じて見直す作業でもあります。
断捨離をそのように観ると、生活用品を最小限にしようとするミニマリストとは「前々から思ってた◯◯」を棚卸し、可能な限り少ないままで生きていこうとする人たち、なのかな。
これくらいあれば十分。モノも、食事も、友達も、人付き合いも。
そういったタイプなのかな、と思います。