「先生、“服”ってなんですか?」
ご無沙汰しております私です。
ここ数日でいっきに寒くなって、まるで冬。
着込めばなんとかなるって言ってたお母さん。元気ですか。
着込む前の段階が寒すぎてお布団から出られないんだ。
毎月20万円くらいの仕送りとか、お願いします。
さて、今回のノートは私がファッションデザイナーに感じる魅力とか、服作りって素敵だよねって話をします。
なぜなら今日行われた企画プレゼンに手応えがなくてとてつもなく悔しくて頭がいたいのです。
どうもこの感情を文章にしてどこかに保存しておかないとパンクして飛び散りそうなのです。
だから、このノートという独壇場で好き勝手に書いて自分を正当化して、なんとか正気を保とうという試みです。
気合いの入った病みツイートのようなものです。
服の魅力について考えよう
おしゃれが好きな人、興味がない人、どんな人でも服を着ています。朝起きて、ご飯や歯磨きを済ませて、服を着て出かける訳ですが、その今日着ている服。その服ってどうしてその服を選んだのですか?
クルーネックのニットの上にダウンジャケットを着たあなた。きっとどこかにでかけるまでは寒いと思いダウンジャケットを選び、でかけた先では過ごしやすいニットを選んだのではないですか?ダル着のあなたは疲れが溜まっているんですかね。
どんな服を着るにもランダムで選んで着る人なんて聞きません。
私達は朝の数分間のうちに、「今日はこんな自分でいたいな」ってイメージしているんです。無意識のうちに。その日選んだ服がその日の自分の気分や行動に影響を与えているのです。そして我々人類はそんな営みを命の限り繰り返すわけです。「服を選び着る」という行為の特異性を、思い出しますよね。
余談ですがマークザッカーバーグやスティーブ・ジョブズなどがいつも同じ服を着ているのは制服として自分はこれだというスタイルを貫いているのと同時に、何を着ようかと思考する時間やエネルギーすらも研究や開発のために使いたいというポリシーがあるそうで。
良い服ってどんな服?
先ほどの、服を選ぶこと。に関してはそれぞれが自由に考えて自由に服を着ていいわけです。所属や法律が許す限り自由で人の数だけ正解があります。
ここからは作る側の人間が考えるべき命題です。
良い服の定義はクリエイターの数だけあるはずです。
美味しいラーメンを食べたことない人が、ラーメンを作って人に旨い!と言わせることがほぼ不可能なのと同じように、良い服とは何なのかを考えずに作られる服には、命がなく、「衣料品」の枠から出られないと思うのです。
まずは私を含めたクリエイターは自分の中の大正義、コンパスで言う軸の針。建築で言う柱のようなものを探すことが大切です。
見た目のかっこよさと着心地、どちらを優先するのか。
安さとクオリティどちらを優先するのか。
社会の流れに沿うようなメッセージなのかそれとも社会の流れにあえて逆行するメッセージなのか。
自分が表現したいものを表現するのか、もしくは顧客が喜ぶような表現をするのか。
古いものを賛美するのか、新しい風を作るのか。
あらゆる自問を重ねて少しずつできてくるその自我がその人自身のクリエイターとしての柱になると思うのです。
ケースバイケースだよね、とその場の状況で良し悪しが変わる面ももちろんありますが、そのケースの中で良し悪しを判断する柱が絶対に存在するのです。
私の場合、動きやすさ、過ごしやすさは服作りの前提になるほど大事だなと思っています。衣装やコスチュームであれば話は別ですが既製服ではそれが最優先だと思っています。
なぜならファッショニスタもインフルエンサーも等しく皆、“生活者” であるからです。
街を歩き、電車やバスに乗り、つり革に掴まり、椅子に座り、食事をし、帰路につく。それが絶対に変わらない以上その動作の邪魔をすることは着る人の生活を邪魔しているわけです。
奇抜な服が好きなんだったらその生活を踏まえた上で変わった服を作ろう、それができないのであればいっそコスチュームとして服作りに励むといいと想います。それくらい僕の中で重要視しています。友達やオーダーなどでその人だけのための一着であれば着心地より表現や素材感が優先されることも十分わかりますが、数百、数千着単位で作られる既製服にはそんなぬるいこと言ってられません。
で、着心地と同じくらい見た目とか、美しさ大事でしょって意見が仮想リスナーから届きましたけどもね。
服って面白いことに
着心地が良い(収まりが良い)=美しい
ということが多々あります。
人間の胴体(四角い箱の形)に対して腕はまっすぐ付いています。なぜなら肩峰という方の先っちょの骨と上腕骨を一つの関節で繋がっているからそうなります。正確には肩甲骨の膨らみ分前傾にカーブしていますし、日本人だとそのカーブはより強いものです。
ですが、断面がまっすぐまたは後ろ側がやや膨らんだようななめらかなカーブになることは絶対なのです。
それが最も体にフィットし、動きやすく、美しいのです。
モードのようなど派手な美しさはないものの、洗練された服作りにはそのような美しさがあるのです。
僕にとっての良い服は今のところこんな感じです。
どんなデザインが良いの?
モノ、物質としての良い服は上で書きました。
ではそれを踏まえて、どんなデザインにするのか。
ある人は「ダメージ加工されたパンクな世界観」
ある人は「ゴスロリの世界観」
言葉にすると軽く聞こえるかもしれませんが、このデザイン的正義を持つことってすごいことだと最近思います。
彼らが作る服はまずブレない。自分を信じているから自分が目指すカッコイイとかかわいいに突き進むエネルギーを持っています。
そんなデザイン的正義を考えるとすごく面倒なのです。
なんせ私は自分にセンスがないことを知っているので何を作るにも基本的に自信がない。あ、ないといえば嘘になるけど常に不安なんです。
なぜその生地なのか。
なぜそのシルエットなのか。
なぜそのスタイリングなのか。
全部とは言えなくても要所にはすべて意味がないと納得できないのです。美的センスがずば抜けている人はそこを感覚でこなしているんでしょうが、私の場合はとにかく案をたくさん出して組み合わせてみて絞るくらいのことしか出来ないのです。
そんな理詰めの私が発信していくだろうメッセージは
今の社会、身の回りで起きている問題に対してのポジディブな解釈の提示
が中心になると思います。
書き連ねるとまた1000字以上の駄文を生み出してしまうので簡単に書くと
今、みんな病みがち!悩みがち!
↓
みんなが悩み疲れてる世界って面白くない!
↓
じゃあなんでみんな悩んでるの?
↓
対人関係、恋愛、容姿、将来、いろいろあるよね。。わかる
↓
じゃあ悩みを0にするのは無理でもなるべく軽症にしたい!
↓
そのためにはどうしたらいいかな?
↓
そうか、みんな心の中の哲学が弱いんだ!
↓
こうするべき!こうしたい!ってふわふわしているから何度も悩んで、その悩みから抜け出せずにいるんじゃないかな。
↓
じゃあ僕は服を通じてポジディブを伝えるよ!
↓
みんな僕のメッセージを着てワクワクな人生送ってね!
ってことです。
小学生のような箇条書きのほうがわかりやすいですね。
これは1シーズンのコレクションとかで終わるものじゃなくて、一貫したエネルギーのある言葉で僕の服を、そして僕の服を着るあなた自身を愛でてほしいわけです。
ルッキズムをお題にしても、メディア報道をお題にしても、通勤通学をお題にしても、言いたいことはいっぱいあります。けど僕の発する言葉なんか誰の心も動かしませんから、服を作って作品と呼ばないと僕の声は届かないんですよ。だから服を作りたいんです。
長々と申し訳ありません。
服飾にたった2年通っただけで偉そうな口を叩いてこれまた失礼。ただ、全部マジですので。
病みツイート(3200文字)おしまい。
それでは!
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