Dior 夢のクチュリエ展(前編)

明け方は肌寒く、日が昇れば暖かい近頃。
いかがお過ごしでしょうか。


今(2023/05/21 6時59分)
東京現代美術館で行われているChristian Dior 夢のクチュリエ展の待機列からこの文章を書いております。

このdior展に来るのは3回目。
と言っても1回目2回目ともに当日券が売り切れて入ることすら叶わなかった。念願の入場。既に目頭が熱い。緊張に比例して冷や汗もかく。

何故か?
John Gallianoの服と対面できるからだ。





私が崇拝しているウィメンズデザイナーtop3

John Galliano , Alexander McQueen , 川久保玲

他にもたくさんいるが、3人に絞るとなると毎回この三人は外せない。

彼らの共通項はなんだろうか。
女性美の一貫性、モードのあり方、テーラリング精神、ルーツと向き合う姿勢。3人のベクトルは違えどそういった精神性は常人離れしている。

特にGallianoのランウェイを見てほしい。

私はこの歩き方をGalliano walking と呼んでいる

10cm以上のハイヒール、派手なメイク、肩で風を切るような自信に満ち溢れた態度、野蛮なほどのエレガンスと4つ打ちのテクノ。前述した精神性を見事に表現している。
今でこそメゾンのクリエーションも多様化しているが、当時は今以上に正統派としての存在を期待されていたメゾンブランド群。その期待と言う名のしがらみを破壊した張本人がGalliano ではないだろうか。

彼はファッションで何を壊し、何を守ったのか。

今回は待機時間を利用して彼のdiorでのクリエーションを振り返りたいと思う。


Diorでの最初のコレクション。
自身の魅力に酔ったような、それでいて挑発的な態度のモデル。彼が作る女性像のキーはこの態度によるものだろう。男を誘惑するような、女に格の違いを諭すような。彼のクリエーションは「キッチュ」(低俗)と評されることもあるがそれはこの女性像からくる部分もあるだろう。行き過ぎた自信みたいな。でもだからこそ唯一無二であり、人に夢を見せるのかもしれない。

服について
彼はDior以前からサテン生地を多用したカラフルなドレスのイメージが強かったが、Dior以降はそれに加えてリアルファーやパールなどラグジュアリーな素材使いが広がった印象だ。
そして、肩、袖、胸元、ウエストのカッティングは彼の大きな魅力だと思う。
袖ぐりは極端に小さく、袖も上腕から細くフィットする。胸を張り、腰骨を前に突き出し、肘を後ろにスッとおろす時に最も映えると思う。艶やかな大人の女性、エレガンスのバイブルだ。



胸元のラペルのロールは平たければ男性的でカッチリした印象、ふんわり巻いていればフェミニンでエレガンスな印象を与えるが、彼のクリースラインは何故かカーブしている。
バストトップからラペルに向かってダーツまたはタックをいれているようだが、既製服ではまず見ないこだわりだ。
ウエストのシェイプに関してはドレスやテーラリングのベースとなる造形だが、やはりスーツ仕立てを経験しているだけあってぬかりがないどころか。歪みやピリつきもなく裸体に粘膜を貼り付けたかのように女性の肉体を美しく包み込んでいる。

この画像を拡大してやっと謎が解けた。
襟のクリースの丸みは襟ぐりの広さと縫い代、素材のハリで作られているのではないだろうか。いつか実証が必要だ。

さらに彼の特徴といえばインスピレーションソースとなる文化や国の劇的なリサーチと大胆な描写である。彼はイギリスのセントラル・セント・マーチンズの卒業制作では、アフガニスタンとヨーロッパの理想をテーマに民族モチーフのカラーリングをテクニカルに服に落とし込んだ。Diorに入ってからもエジプト神話、日本をモチーフに前衛的なコレクションを発表した。


さらにDiorの象徴であるニュールックのシルエットをGalliano の視点から再解釈するアイテムも作られた


Galliano 自身もDiorの作品を収集するほどムッシュ並びに過去のデザイナーを尊敬し研究している。

彼ほどDiorを愛し、Diorを広めたデザイナーはムッシュを除いて他にいないだろう。

さて、まもなく入場。Diorを全身に浴び自分の審美を問う濃密な時間を過ごしてきます。

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