これまでの借金した経緯、生き方

こんばんは。

ダダと申します。

本日2021年5月7日からnoteをスタートさせますのでよろしくお願いします。

まずは簡単な自己紹介から借金に至った経緯をお話出来ればと思います。

・名前:ダダ(仮名)

・年齢:20代半ば(細かい年齢は非公開とさせて頂きます。)

・居住地:関東の田舎に一人暮らし(畑田が多い地域に住んでいます)

・職業:地元の小さい町工場で班長として勤務

・結婚:未婚

・借金内訳:消費者金融A50万円、消費者金融B50万円、クレジットカードキャッシング30万円、クレジットカードリボ払い70万円、銀行系カードローン30万円、某支援金60万円、友人A50万円(地元の友人)、友人B80万円(会社の人)、兄A60万円、合計480万円

簡単な自己紹介としましては以上となります。

次に、借金を背負ってしまった経緯や私の生い立ちをお話させて頂きます。

199x年関東の田舎に三男坊として産まれる

兄は2人、母、父の5人で凄く楽しく生活していました。

小さい頃は外で遊ぶ事が大好きで、兄や友達と毎日の様にスポーツをして遊んだり、夏場は川に行って釣りをしたりと田舎らしい遊びを楽しむ事が出来て毎日が楽しかったのを覚えています。

そして時は過ぎ中学生になり、初恋をして彼女もでき充実した毎日を送っていました。

ちなみに初恋の彼女とのデートは近所の神社のお祭りでした。

ファーストキスも初デートでした事は今でも忘れません。

部活動では陸上部に所属し(短距離)、市内大会では優勝したり県大会へ出場するなどと良い結果を残していました。

そのおかげもあり、地元の強豪校へ進学する事も出来ました。

高校に入り陸上に明け暮れる日々、毎日仲間達と切磋琢磨をしながら頑張っていました。

勉学にも励み、凄く楽しくて人生が楽しい。

本当にそう思っていました。

その当時ではこのまま陸上を頑張って大学でも推薦を貰い、良い会社に入れる!なんて軽々しく考えていました。

親孝行もしたいからもっと頑張ろう。

そんな矢先でした。

2年生の冬、学校での帰り道に自転車で帰っていた私の正面から原付を2人乗りする不良の姿が。。

蛇行運転しながら進んでくる不良を避けようとしたその時!原付がタイヤをスリップさせ私と正面衝突。一瞬何が起こったのか分からない私、ただ体は物凄く痛い。。こんな痛みは初めてでした。

原付に乗っていた不良達もうずくまっている。

ただ、地方の田んぼ道だった為通行人もおらず結局自分で救急車を呼ぶ事に。。

そして10分程で救急車が到着。

消防隊員の方達も状況が掴めない様子で私が説明をして先に救急車へ乗せて貰った。

自分の自転車も原付も勿論ボロボロでした。

病院へ到着して検査をしてもらったら右腕粉砕骨折、右足首骨折と診断された。

後日談で不良2人も私以上に大きな怪我をしていたそうでしたが、勿論過失は向こう方にあると判断されて慰謝料を請求しました。

診断された自分はどうしたら良いかも分からず入院と手術が決定。

親も飛んできて大泣き。

あぁこれで自分の陸上での人生は終わったんだなと悟った。

手術は無事成功し、入院期間も3週間とそこまで長くなく、退院をしました。

そこから大きく人生は変わりました。

部活へは出れない。淡々と授業を受けるだけ。

勿論足首や腕のリハビリはしましたが、もう陸上するのは難しいと判断され、特待生だったのにも関わらず退部を決意。

幸い通っていた学校は退部をしても退学をしないといけないといった規則がなく、学校には残してもらった。

それからは毎日がつまらなくなり、勉強する気にもならず、学校終わったら友達とゲームセンターなどで遊ぶ様になり段々とグレていった。

そんな中受験シーズンが到来。

勿論自分は勉強もしておらず、大学にも受かるはずがない。

親からも無理して大学は行く必要ないよと言われたので、父親の知り合いの町工場へ就職。

就職してからはお金を稼ぐ事と仕事の楽しさがあり、最初の半年は凄く仕事を頑張った。

そんなある日、当時班長をしていた3つ上の先輩Yさんから仕事終わりパチンコいかね?と一言。

ゲームセンターのコインゲームで少しやった事があったので楽しそうだなと思い勿論行きますと返事を返した。

仕事終わりに先輩の車へ乗って1000台程あるお店へ向かった。

初めて入るパチンコ店。

思ったより音がうるさい。

タバコの匂いも凄いしびっくりした。

先輩から教えてもらうがままに台へ着席。

初めて座った台はあしたのジョーでした。

着席して5000円を入れる。

すぐに無くなった。

そこで先輩が、「お前を連れてきて申し訳ないから後5000円俺が出してやるからこれで打ちなよ」と5000円を頂いたので続行。

すると残り2000円ぐらいだっただろうか。

大当たりして見事に連チャン。

21連程して出玉は22000発弱出た。

自分は訳も分からずとりあえず出玉を流して先輩に教えて貰いながら換金。

88200円になった。

たった2-3時間の出来事だった。

そこで自分はこんなにパチンコって簡単なんだ!と思い先輩に明日もまた行きましょ!と自分から伝えた。

先輩も「パチンコで勝つのやばくね?楽しいだろ?ハマるぞー!」と言われドップリハマっていった。

毎週休みの日にはその先輩とパチンコへ、平日の仕事終わりもパチンコへ、ずっとパチンコ店は通い続けた。

しかし結果は伴わず毎月給料の8割をパチンコで無くしていた。

当時は実家暮らしでそこまでお金が掛からなかったので親にもパチンコしてる事は言わずに過ごしていた。

そんなこんなで就職して2年程が経過して自分も20歳になった頃だった。

毎回パチンコへ行ってたYさんが退職するとの事。

何も言わずにいきなりでした。

自分はすぐに電話をしてYさんと会う。

Yさん「パチンコと競馬で負け過ぎて消費者金融から金借りまくって返済出来ないから任意整理したとの事」最初は何の事だかさっぱり分からなかったのでとりあえずそれで仕事辞めるんですか?と聞いたら、実家の北海道で漁業をやるからそっちで頑張るわとの一言だけ。

正直悲しかった。

めちゃくちゃ自分も負けてたけど、楽しさはあった。だからYさんには感謝してる。そんなこんなで自分が昔貰った5000円を渡して最後のツレ打ちへ。。

結果は先輩も自分も負けた。

先輩は笑いながら「お前はまだ若いし、将来あるから自己破産とかすんなよー!だけど、何かあったら消費者金融からすぐお金借りられるぞ!!笑」言って去っていった。

誰がお金を借りるものか。ふざけるなと思った。

そんなある日地元の友人の結婚式があると言うことで連絡を貰った。

しかし、その時財布に入ってるのは3000円。

もちろん御祝儀なんて払えるはずがない。

そこで親に借りようとしたが、流石に何言われるか分からない為、Yさんに電話📞

ダダ「Yさん友達の結婚式があってお金ないんですけど消費者金融の借り方教えて下さい!」

Yさん「お前金借りるの?パチンコのやりすぎだからパチンコ控えな!ただ俺も任意整理中だからお金渡せないけど、本当に友達の結婚式に使うんだよな?」

ダダ「当たり前じゃないですか!御祝儀と生活費ちょろっとだけ借りたいんです。5万円程ですかね。」

Yさん「5万円ならすぐ借りられると思うからプロミスの無人契約機に行ってみな」

ダダ「わかりました!ありがとうございます」

ここから借金人生が始まるのであった。。。

続く








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