第六章の59◎生きた証をしっかりと残せ
「あなたは明日死んでも悔いの残らない生き方をしているか?」いきなりこのような質問をされたら、多くの人は戸惑ってしまうでしょう。
おそらく殆どの人々が、毎日毎日を生き抜く事に必死で、そんな事などは考えずに生きているのが現実なのだと考えるからです。
また、悔いの残らない生き方をしたいのは山々ですが、理想と現実の壁にぶち当たり、実際に思い切った生活をする事が困難なのが、現状なのではないかと考えられるからなのです。
また現実の生活を進める上では、まずは先立つモノ(お金)が必要となってしまうのです。
確かにお金は魅力的です。ですからこの世でお金が嫌いな人はほとんど居ません。
この世の中は、お金でほとんど全てのモノが買え、お金があれば何でも自由に出来るから、お金は最もパワーのあるものだと考えられがちなのです。
しかしながら、お金でも買えぬ、「お金より大切なモノ」が存在する事を決して忘れてはなりません。
例えば、愛情、信頼、名誉、尊敬と言った、目には見えませんが、人間生活で最も大切にしなければならないものは、誰もが欲しがってもお金では買う事が出来ないものなのです。
逆にお金の力で、それらは軽々と裏切られ、一瞬にして失ってしまうのです。
ですから、人生にはお金よりも大切なモノが有り、人生の目的が金持ちになることでは無い事に、誰もが薄々気が付いているのだと感じます。
一方で、長生きする事も人生の目的には成りえ無いのです。
吉田松陰の人生は、たったの約30年でしたが、吉田松陰の教えは今なお日本人の心の中で生きています。
例えば、「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」
死んでも志が残るものであれば、いつでも死ねばよい。
生きて大事を為せるならば、いつまでも生きてそれをやればよいという意味なのです。
言い換えれば、人生の目的及び証とは「人や社会の役に立つ事」たとえ自分が死んでも、生き続ける「死なない業績・作品・エネルギー」を残す事が大切なのです。
人間の肉体は死ねば消滅し終りですが、「業績」「志」はエネルギーとなり、永遠に生き続ける事が出来るからなのです。
ですから、人はそれらのエネルギーを残す為に頑張れるのです。
そして、それこそが「生きた証」となるからなのです。
ただ単に長生きするだけでは、全く「生きる」意味などが無いのです。
そう考えてみると、「面子」のように表面的な権力、プライド等は本物のエネルギーと呼べるでしょうか。
「心眼」を通して見てみれば、面子などは全く意味をなさないものかも知れません。
ドラッガーは「自分が何にとって憶(おぼ)えられたいか」との問題意識を提示しましたが、その為に「生きた証」を成果として残すことが、人間の生きる意味なのです。
そして吉田松陰は、この世には命より大切な志が有る事を、教えてくれた人生の大切な師匠なのです。