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「最推し」

夏も終わってしまったので、自分の話でも書こう。

二年前から変わらずずっと、僕は湊あくあさんのことが好きだった。
いや嘘、大好きだった。
今すぐにBack spaceキーを連打して、この鬱陶しい過去形を現在形に直したい、直すべきなんだと思いたいけれど、何故だかどうしても過去形のほうがしっくりきてしまうのが、とても寂しい。どうしても抗えなかった、なにかを感じている。
もうじき秋が本格的に始まりそうな匂い。
時は戻らなかった。

まず始めは今まで書きたくて書きそびれてきた話をしていきたい。
ずっと感じていたことではあるが、最推しが卒業してみて改めて、オタクというのは難しい生き物だったな、と思う。

俺の場合、これまでを思い返してみると、配信は結構見ていたけれど別に最初から最後まで見ていたわけでも無くて(ラストのスパチャ読みがあんまり得意ではなかったのだ)アーカイブも気になるやつの気になる部分をつまみ食いしていただけだった。(なにせ、配信アーカイブを全部遡ろうとすると、あまりにも長いのだ)Twitter上でのリプライやスーパーチャットなども、そこまで好んでやるタイプのオタクでも無かった。リプは気が向いたとき、スパチャは3回だけだった。

しかしまあ、「オタク」と一言で言ってみても、そこにはいろんな種類のオタクたちがいる。湊あくあの単推しで、全配信を追っていて、アーカイブもほとんど見ていたであろうオタクを僕はTwitter上で何人も知っていた。卒業発表以来の彼らの気持ちを想うと、流石にいたたまれない思いになってくる。彼らにとっては文字通り、湊あくあの存在こそが生きることのほとんど全てだったのだ。
でも対照的に、実は配信はそんなに知らなくて、主にApexしか見られていないけど「推しです!」と言っていたオタクもいただろうし、それはそれでいいと僕は本当に思っている。もしVtuberというコンテンツが、特有のストーリーを重視するようなコンテンツだったならば、全体のストーリーも知っておかなければ話にならない、オタクだと名乗れるラインを越えられない、ということが起こりうるんだろうけど、実際のところ、そんなことは全く無い。
その配信者さんのことがやんわりとでも好きなのであれば、ファンと呼んでしまっていいのだ。「推し」だと言いたいなら、自由にそう呼んでしまって構わない。そんな懐の広さが、Vtuberにはきちんとある。(もちろんVtuber以外のコンテンツにも多かれ少なかれあるだろうけど)
その懐の広さが、僕には心地いい。

でも一方で、やんわりとした拘束が自分の中でずっとあった。
なんとなく、「推し」と位置付けている以上は、リアタイで配信がついてるなら見ておいた方が良いのかも、そんな拘束が心の中にずっとあるのだ。
もちろん好きだから見る、のであって、好きじゃなくなってるのに義務感だけで見ているのならそれは辛いのでやめた方が良いけども、好きだから見る、という気持ちの外側に、見た方が良い気がするから見る、という気持ちがあったのも、それまた事実だった。それはある意味、僕の選択の自由を拘束されているともいえるわけで(いわゆる”推し活”批判は、この点を指摘して批判を突きつけてくる)、見方によれば僕たちVtuberオタクは、その拘束のせいで人生における何かしらの機会を逃し続けてきた、と言えなくもないのかもしれない。
また、配信するVtuberの側から「浮気しないで!」などと言ったり(これは一種のじゃれ合い、画面越しのプレイのようなものだが)、以前の配信の視聴を前提とした発言をしたり、そちら側から意図して拘束をかけてきている部分もあるのだ。(もちろん配信者本人は「全部見れなくて当たり前だし、応援してくれるだけで嬉しいよ~」的なことを言ってくれる、それは非常にありがたい)
この拘束は必ずしもネガティブに捉えられるものじゃない。実際僕は、この緩やかな拘束が心地よく感じられるようになったとき、それが自分の中でプレッシャーじゃなくなったとき、きちんと「推し活」が始まった実感がしたのだ。「最推し」なんだと言っていい感じがしたのだ。そのときのことを今でも覚えている。
何気ない拘束。なんとなく見ておいた方が良い気がして、配信ページを開く、アーカイブを遡る、そんな一連の動きが心地よい温度感で自分にマッチしたとき、湊あくあのことが好きなんだと胸を張って言ってしまってもいい気がした。そこにある温度が、僕なりの推しに対する、愛、だった。

いままで書いてきたことは、自分にとっては当たり前になっていて、もはや懐かしさすら感じる話だったりする。どうすればいいか分からなくて葛藤したり離れようとした時期もあったけど、基本的にはずっと適当な距離感でやってきたし、そのことに対して、あのときああしておくべきだったな~など、特別強い後悔の念はない。それはせめてもの救いだ。

こういう風に思い返してみれば、過ぎ去った日々を、ほのかに愛おしく思える。
雑談配信が好き、歌枠のセトリ構成がすごい、ゲームうますぎ、とにかく声が好きすぎる、流石にこれはかわいい、シンプルに大好き、そう思いながら配信をニヤニヤと見ていた日々をいま思い返してみると、それは純粋に愛おしい日々だったな、と思える。
良かった。

ちなみここまでは長い前置き、振り返りである。
(ここから急に話が変わる、何の構成も考えずに書き始めたのでいろいろ不自然でも許してほしい)

改めて、今までを振り返ってみて、湊あくあというVtuberは、ずっと終わりを見据えながら歩んできた配信者だったと思っている。(本人も卒業ライブでそんな雰囲気のことを言っていた。)思い返してみると、終わりの匂いがする瞬間がいくらでもあった。スマブラVIP、Apexソロダイヤ、ソロマス、など目立つものをはじめとした、耐久配信の数々、そのたびに湊あくあは目標を打ち立て、「達成」という一つの節目を迎えていた。そう、彼女の活動は日常の一環、というよりも「一歩一歩の歩み」だった。その活動の一つ一つが”歩み”だったなら、彼女はずっと、その歩みの先にある”終わり”(あるいは”区切り”?)に向かい続けていたのだ。

これまで歌ってきた音楽でも同じことだ。

2021年12月発売、オリジナル楽曲「uni-birth」

uni-birth 生まれ変わっても 私が良いと思わないよ
だってさ 過去×今が未来のあたし
待ったなしの一回きりを生きてる 
あちらこちら愛しく見えるじゃないか
この航海は終わらないぜ

uni-birth(作詞作曲、TOKOTOKO)


2022年8月発売、オリジナル楽曲「未だ、青い」

それでもいつか 夢が終わるなら
それでもいいかな 君がいるなら
世界の中で出会えた君が 理由になったら
それでもいいかな

未だ、青い(作詞作曲、じん)

2023年1月、メンバーシップ限定cover「夜撫でるメノウ」
(卒業直前に一般公開されたので是非聞きに行ってみてね)

君にもらったこの愛も この手で触れた毎日も
あんまりにも美しいから 涙が溢れてしまうの
これで終わりだねって最後の言葉になるけど 
ありがとね

夜撫でるメノウ(作詞作曲、Ayase)

2023年3月、Startend(湊あくあ、星街すいせい、常闇トワ)でのcover楽曲、「空奏列車」

分かってるんだって こんな期待したって
「僕は僕だ」って意地張ったって 風になってしまうよ僕の歌
描く世界の上 息を切らしたって
一つの終点が見つかった今 風になってしまえよ僕ら
<中略>
走りだせば止まれぬさ 
今 空が歌うならば

空奏列車(作詞作曲、Orangestar)

2024年6月発売、オリジナル曲「プリンセス・キャリー」
(この曲は「湊あくあ」自身のことを歌ったものではなく、モデルとなった人物が他にいる、と概要欄に記されている通り、湊あくあのイメージとあまり一致しない部分も多く含まれている。しかし、この曲を他でもない「湊あくあ」が歌ったこと、MVに出てくる女の子が終始「湊あくあ」だったこと、この2つの事実にはきちんと留意しておくべきだと思う。描かれたのが「湊あくあ」自身ではないにせよ、そうしたコンテクストはどうしたってこの楽曲に特別な意味を付与するものだ。絶妙なバランスが保たれたクリエイティブの基盤の上に、この楽曲は存在している。)

ねえキャリー 泥だらけのドレス
上を見上げりゃキリがない 夢から醒めるときが来るのかな

ねえキャリー お姫様のあなたが
いつかありふれた優しさで 
満たされたら良いのにな

プリンセス・キャリー (作詞作曲、ピノキオピー)

ずっと彼女が、この先に待ち受けている”終わり”を見据えながら活動していたことを、僕はひそかに確信していた。
そして、それが綺麗な終わりになるであろうことも、「湊あくあ」として最高の終わり方をしてくれるであろうことも、確信していた。
そんな風に、終わりを見据えながら走り続ける湊あくあが大好きだった。

終わりを見据える湊あくあが大好き、それは紛れもなく本心だった、今でもそう言い切れる。それでも、彼女の終わりを真剣に考えること、それは僕にとってあまりにも怖いことだったのだ。”終わり”について考えそうになるたび、頭は思考を放棄した。
そんな中でも、これは少し真剣に「湊あくあ」が幕を閉じるのかもしれない、と思ったときがいくつかあった、
先ほど挙げた「夜撫でるメノウ」の歌ってみた、を聞いたとき
「空奏列車」の歌ってみたを初めて聞いたとき、
ホロライブ4th fesで「未だ、青い」のCメロを生で聞いたとき、
Vtuberを応援して初めて、大好きだったVtuberがいなくなったとき、つまり、ある日突然、夜空メルが情報漏洩で契約解除されたとき
プリンセス・キャリーを初めて聞いたとき

そんなとき、訳が分からないほど大きすぎた何か、「終わり」という名のついた大きすぎる事実に直面したとき、感情の整理が全く追いついていないから、僕はただただ泣くことしかできなかった。嬉しいも悲しいも寂しいも分からないままの頭で、ただ泣いていた。だから、終わりを見据えながら活動していることを頭の中のある部分ではきちんと分かっていながらも、実際のところ覚悟なんて微塵も出来ていなかった。

あの日、八月六日、卒業発表があった日のツイート、あのときの心に、僕の心はまだ取り残されている。
心の一部を、置いてきてしまったのだ。

「無理だよ、ねえ、お願いだから。」
感情を抑えられなくて、でも言葉にならなくてなんとか絞り出した一言。

これ以来、卒業するその日まで一回も「無理」だなんて言わなかったし言えなかったけれど、今このツイートを見返しても、はっきりと胸の痛みが残っていると感じる。
卒業発表があって、一番初めに浮かんできた感情のカタチは「分からない」だった。なんにも分からない、というカタチだった。
こんなの無理、だと思った。
自分の感情なんてこれまでもずっと、分かっていなかったのだ。この強すぎた感情にどう名前をつければいいか、そんなの分かりっこなかったけれど、僕にとっては、ただただ存在し続けてくれているだけで、その存在が何よりの証明になっていたから、だから、言葉なんていらなかった。それは僕にとって真理だった。言葉なんて分からなくても幸せに生きられていた。何も考えずに配信を見ているだけで過ぎていった時間は、目の前にいる大好きなひとをみていて過ぎていった時間は、僕にとってただただ幸せな時間だった。
ずっと幸せだった、そんな中で、8月6日卒業発表を迎えられたのだ。でも
、卒業発表のお知らせ配信が終わったあとは、ただ泣いてしまった。泣いて、しばらくして我に返って、気持ちの行く先が、涙の行く先がわからなくなって、泣き止んで、しばらくするとまた何かに耐えられなくなってきて、また泣いた。正直、あのときの感情は、あんまり思い出せない。理屈のうえでは事実を受け止めながらも、なにかが耐えられなかった、頭が理解を拒んでいた。

8月6日からの日々は、8月28日に明確に設定された卒業への、明確なカウントダウンの日々だった。それでも、辛さを感じる暇もないほど楽しかった。久しぶりに、かつてのアーカイブや切り抜きをたくさん漁った。
毎日2回も配信があって、コラボしたり、ソロ配信したり、歌ってみた動画がたくさん投稿されたり、オリ曲がいくつもあがったり、グッズが発売されたり。ファンとして嬉しいことの連続だった。どれだけの長い歳月をかけて準備してきたんだろう。
明らかに、ラストスパートだった。
その全てが素敵だった。明確に終わりを見据えてなお、いや、明確に終わりを見据えたからこそ、その姿は一際輝いて見えた。卒業するなんて忘れてしまいそうになるくらい、嬉しいことの連続だった。
投稿される歌ってみたやオリ曲のクオリティはかつてなく高いものばかりだったし、配信もたくさんあればたくさんある分だけ、嬉しかった。一つ一つをかみしめている余裕なんてないほど、幸せなことが連続して起きている感覚だった。卒業発表があった直後は、すべてを嚙みしめよう!と意気込む気持ちもあったものの、気づけば目の前の楽しいことで、やわらかな幸せでいっぱいいっぱいだった。
先ほども書いたが、いま思い返してみると、それは純粋に愛おしい日々だったな、と思える、それが嬉しい。

そして時は過ぎ、卒業が近づいてくると、徐々に迫りくるものを感じ始めたと同時に、「卒業」という事実に体が慣れ始めてきていた。
8月28日当日を思い返すと、やたらと緊張感があったものの、怖さ、みたいなものは不思議となかった。来るべきときを今から迎えるんだ、という強い意気込みがあって、それ以外は良く分からなかった。(その日になってようやく、最初で最後のファンレターの下書き(なんと1週間以上かかった)を終えることができて、その清書や修正のことで頭がいっぱいになっていたので、どこかふわふわした感覚だった。)

卒業ライブは、完全に伝説だった。きちんと見られて良かったな、と思う。
2年間見てきたぶん、これくらいのクオリティで来るだろうという予測はもちろんあったけど、その期待を上回る感覚だった。
正直なところ、卒業ライブに関して、まだ上手く言葉はまとまらないし、気持ちの整理がついているとも言えない部分が多い。あまりにも完璧すぎる終わり方に、圧倒されていたら一時間終わっていた、というのが正直な感想だ。
確かに言えることがあるとするなら、最後の#あくあ色ぱれっとで泣いてしまったところも含めて、どこまでも伝説のアイドルVtuber湊あくあ、だった。

でも、これをうまく言葉にするには、まだ早い気がしている。
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僕はどうやら、湊あくあの選択にそれ自体対して、絶対にネガティブな感情を抱けないように魔法がかけられているらしい。卒業発表を聞いても、「無理、耐えられない」という感情こそあったものの、「いかないでほしい」とは思わなかった。僕にとっては文字通り、湊あくあの選択が全てで、それを上回って塗り替えようとする思考や拒否が自分を襲うことは全く無かった。それは何故か断言できてしまうから驚きだ。(別に「いかないで」と思っていた人のことを否定するわけでは全く無いです。当然、寂しいし。その気持ちはよく分かるから。)
自分でも混乱してくるような言葉遣いになるけど、「この子なら良い選択をするだろうと信じている」という次元を超えているような、そういう綺麗で強い(そして今振り返ると盲目的だから壊れやすいとも言えてしまう)信頼が自分の中にあったのだ。
「湊あくあは~な子だからor僕は湊あくあ推しだから→卒業してしまうとしてもその選択を信じて応援する」みたいな、誰が見てもわかりやすい「根拠→結論」の形、そんな正常な推論の式が自分の中で成立していないのだ、と改めて気づかされた瞬間だった。
つまり、決断の内容がどうあろうと、それが湊あくあの心からの決断であるという時点で、僕はそれ自体を否定できない、無条件に即肯定できてしまったのだ。
「こういう場合はこうするべき」みたいな客観的な理屈や下らない一般常識が一切持ち込まれていない聖域が、そこに誕生していたのだと改めて知って自分で驚いた。こう論理的に言語化してしまったから無味乾燥な感情に感じてしまうけど、それはきっとどこまでも理屈の外側にあって、どこまでも人間味あふれる感情だったのだ。
それは、きっと貴重な感情だった。
もはや、理由なんてなく大好きだった。

僕はもともと、好きな理由をいくつか持っておかないと、本当にその人のことが好きなのか自分で分からなくなって勝手に不安になってしまうようなタイプの異例のダメ人間だったから、推し始めた当初はいくつも好きなポイントを自分の中で言葉としてちゃんと持っていないと気が済まなかったんだけど、いつしかその言葉は必要なくなっていったんだと気づいた。
というかもはやその言葉すら忘れてしまった。
それだけ時が流れていたのだと知った。
時の流れは、言葉なんて必要ないほど大きな、揺るぎないほど大きな感情をいつの間にか生み出していた。

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僕は特別推しに大きく依存して生きていたわけでもなかったし、僕の生きる意味は、推しとは独立したところにあったので、喪失感、みたいなものは正直今振り返ってもそこまで大きいと感じていない。配信が無いことの寂しさ、みたいなものはすぐに忘れてしまいそうだ。
でも、そういう”生きる意味”とはまた別の場所に、寂しさとは少し違う、あまりにも大きな感情があるのを感じている。まだ、この大きな感情とどう向き合えばいいのか分かっていない。卒業してもまだ持て余している。
きっとこの感情は、「湊あくあ」が”僕らと同じ瞬間を生きている存在”だったからこそ育ってきた感情で、この大きな感情が今の形からさらに発展していくことは恐らくない。だからいずれ、少しずつ溢れて見失ってしまう。このまま分からないままで、僕は少しずつ忘れてゆくのだろう。

人間なんて、忘れることが自然な生き物なんだと思う。全部を覚えていられたなら、きっとまともに生きてゆけない。人間なんて「さよなら」の後はお互いそれぞれの方向にそれぞれの速さで歩き出してしまう、それぞれの行先を探す旅に出てしまう。
それはそれで、愛おしい人間の歩みだと、僕は言ってみたい。そこもひっくるめての愛だ。そう思わなくもない。
だから、配信をみて幸せだったあの気持ちも、現地ライブに行って泣いたことも、湊あくあの誕生日が12月1日だったことすらも、いつか忘れてしまっているのかもしれない。大切だったことを一つ一つ忘れてしまっても、全然平気な顔して生きていける。だってこの世界ではきっとそれが自然だから。「忘れたくない」も「忘れられたくない」も、理屈によって我儘だと言われてしまうような星に生まれたのだ。

そう思うだけで全部を割り切れたらどれだけ気楽だっただろう。

だってそんなの、あまりにも寂しい正論だ。そんなの嫌に決まってる、何かが間違っている、おかしい、そんなつまらない正論だけで、そんな正気だけで世界が回るわけないだろう

だから僕は叫びたい。僕は最推しのおかげで、湊あくあさん、貴女の存在のおかげで、いくらでも馬鹿なふりをして笑っていられる、そう、叫びたいのだ、どれだけ変な目で見られようと、いくらでも信じていたいんだ。
正論なんて知らないし、馬鹿なふりをして、ぎこちなく笑って、「絶対忘れないよ」と言いたい。それだけだった。

「いつまでも永遠の最推しだよ
忘れないでいます
ありがとうございました。」

だから、ファンレターの最後はこう締めくくったのだ。






(万が一で勘違いされそうな構成になってしまったので一応補足しておくけど、以下はもちろん手紙に書いた内容ではない。)
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p.s.

最後は泣きながら書いていたよ。なあ悪いか、未来の俺。
あまり恥ずかしく思わないでいてほしい。
だって、過去の自分を忘れてしまうことは、あまりにも寂しいことなんだから。忘れても、覚えていような。

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