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映画 僕のヒーローアカデミアは、原作のラストピースだった。


僕のヒーローアカデミアの映画は、原作で回収しきれなかったメッセージを補完している作品だと私は結論付けた。

おばあちゃんが来た!は、需要と供給が一致している場合は、素晴らしい善であり、救済になりうるが、求められていない時には、加害にさえもなりうる。

オバサンでもオジサンでもなく、おばあちゃんという属性が選ばれたのは、加害性が少ない属性だからだ。行為者が持つ属性によって、善悪が反転してしまう繊細な場面も存在する。

AEDを倒れた女性に使う時に、心理的ハードルが最も高いのは、オジサンという事になるだろう。
加害者になりやすい属性というのも、存在するのだ。

ナンパ行為とは、一般的には迷惑行為になるが、
男女共に彼氏、彼女が欲しいという欲求を持ち、
それがナンパ男、ナンパ女でも良い場合、欲求を解消してくれる救世主にもなりうる。

つまり、ナンパが迷惑行為になるのは、求められていない人間に誤配されたからであり、需要と供給が成り立っている場合には、善なのだ。

ナンパが、善になりやすく、誤配されにくいのは、行為者の容姿が恵まれているという属性を持つ時だ。

積極的な善が推奨され評価される社会とは、加害性の低い属性を持つ者達にとってのユートピアでしかない。

ユアネクスト「次は君だ」というメッセージも、
ダークマイトの都合が良い様に解釈され、間違った正義感を振り回す人間を生んでしまっている。

血液型でハラスメントをするB型がいない(B型は血液型占いで良い思いをしていない。)様に、人間が虚構の論理を信仰する動機は、自分に都合が良いからに過ぎない。

One For Allなんてやりがい搾取の象徴みたいな言葉だ。手段を選ばない図々しい奴が得する世界なんて、いやだ。

世界は誤配に満ち溢れている。それをマッチングの調整によって、減少する事はできる。しかし、全ての誤配を無くすことは出来ない。そして、誤配が発生しやすい属性、容姿も存在することから、悪戯な積極性を煽ることの疑問点も残る。

その事について少しでも、今作で描いた事によって、僕のヒーローアカデミアは綺麗事だけでない、正義を提示する事ができた。

まぁ別に、少年向けの漫画なので余りにも現実的でない理想論で固めた、綺麗事でも全然良いのだが。僕のヒーローアカデミアは、正義を真摯に描こうとしている作品だと思ってたので、期待通りで、私は嬉しかった。


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