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トロッコ問題とセカイ系

トロッコ問題とセカイ系のテーマは、問題設定が答えが分かれるようにノイズが入っています。だからこそ、答えが出ずに同じ議論を永遠と繰り返す事が出来ているのです。

トロッコ問題とは

トロッコ問題は、5人が死ぬ未来を2人を殺す事で回避できる時、どちらを選ぶかという問題です。

トロッコ問題で自身がレバーを切り替えることで、5人を生還させ2人を殺すことが出来るという条件の時、より多数の人間がレバーを切り替え死ぬ人数を減らすことを選択します。

セカイ系とは

定義されていない言葉ですが、ここでは「世界は滅びたけど、ぼくらのセカイは救われたからハッピーエンド」というものに限ることにします。

世界を選ぶか、セカイ(愛する1人と自分)を守るか(79億9999万9998人or2人)という二者択一がテーマです。

多くのセカイ系の主人公は、世界の方を壊すことを選択します。

しかし、そんな事が可能なのは殺人の実感がないプロセスで人を殺しているからです。

セカイ系で代表的なエヴァンゲリオンも、計画的な犯行ではなく、大爆発が起きて、結果的にセカイの大半の人間を殺した事が事後的に告げられます。

主人公であるシンジはある程度苦しんでいましたが、その様な形で大量殺人を犯したとしても
罪に相当する程の罪悪感を抱くことは難しい筈です。

戦争が終わった兵士は、その外傷的出来事(戦争)からPTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれる精神的な苦痛の症状に襲われます。

兵士は、セカイ系の主人公の様に何億人も殺すことはない。しかも場合によっては、国の同族を守る為に戦ったという、尤もな大義名分(言い訳)を持っています。

セカイ系の主人公はエゴ(自己中心的な感情)によって殺すのですから、法的に考えると情状酌量の余地がなく、より悪いと言えます。

まぁ、79億9999万9998人殺してしまったら、どんな理由があっても死刑になるでしょうが。


トロッコ問題には続きがあり、自身が太った男を1人突き飛ばす事で、5人を助けられるという条件下では、5人を見殺しにする方が多数派の選択になります。

つまり、完全に能動的な殺人と極限状態の半受動的な殺人か、というプロセスの条件で選択が変わるということはすでに証明されています。

セカイ系は能動的な殺人では無いので、セカイ系の主人公が79億9999万9998人殺す方を選択しようが、それは条件依存の選択でしかなく、その条件の程度ではそれを選択したという結論しか出ません。

ドローンや機関銃なら、まだ79億人殺す方を選択するとしても、ナイフで一人一人刺し殺すという条件下なら、精神的に耐えられないという人も存在するかもしれません。

手段という結果に起因する重要な要素が、恣意的にコロコロ変わる中で、結論が出せるはずがありません。

しかし、快楽殺人鬼などの特殊個体の個人差は極小数しか生まれないので、データ数と条件さえ揃えば統計的な一般的回答は出す事が可能です。

最強のトロッコの線路上に、自分の大事な人が括り付けられていて、そのトロッコを止める為には、79億9999万9999人を線路に突き飛ばすしか方法が無いという条件で調べます、

この条件なら統計なんて取るまでもなく、セカイを優先する者という概念は机上の空論で、実際に実行可能な人間は極小数しか存在しないでしょう。

アヴシュビッツ収容所に囚人を数百万人移送したアドルフ•アイヒマンは、殺人の実感がありませんでした。彼の認識では自分は囚人を移送しただけで、殺したのは収容所の職員だと思っていたのです。

ボタン一つで選択できるという、罪悪感を抱きにくい条件の時、その人間に十分な想像力が無ければ、その時のテンション次第でセカイを選ぶという結論を選ぶ人間が出るのは統計的な必然です。

それを元々断罪するであろう人間-殺された人間≦殺しに加担した人間の公式が成り立つなら無罪になる場合があります。

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