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出産当日を振り返る

前回からかなり間が空いてしまいました。
というのも、おかげさまで無事に娘を出産しまして、この1ヶ月は少しバタバタしておりました。

ここからはもう少しペースを上げて投稿していきたいと思います。

備忘を兼ねて記憶を辿りながら出産当日を振り返ったので、これから出産を迎える方、もしくは、自分の体験と比較してみたい方はぜひ読んでいただけると幸いです。


出産予定日を3日後に控えた、4月中旬。
いつものように朝6時に目覚めると、妻からのメッセージ通知が来ていた。

朝6時より前ということは、早朝、というより深夜。
ただならぬ予感に身構えてメッセージを開くと、やはり、
「夜中にすこし破水があったので入院した。実際生まれるのは午後になると思うが、午前中には病院に来てもらえれば」という内容だった。

「予定日なんて当てにならない。うちは2週間早く生まれてきた」
という話を、同じ会社の中だけで3人から聞いた。
だから予定日前に生まれることも覚悟しているつもりではあったが、その覚悟は甘かったと、連絡を受けた自分の焦りようで知った。

里帰り出産のため、妻は妻の、僕は僕の実家に滞在していた。
幸運にも双方の実家の距離は車で1時間と少しなので、簡単に行き来できる。
産院は妻の実家近くなので、直接向かっても所要時間はほぼ変わらない。

午前中に来てくれれば、とは言われたものの、そんな悠長な気持ちにはなれず、15分後には車に乗っていた。


早朝の高速道路は空いていて、ついスピードを出しすぎてしまう。
「ここで事故なんてしたら元も子もない、落ち着け」と自分に言い聞かせる。
あえてサービスエリアに立ち寄り、スタバでいつも通りホットラテとおやつを購入。
さらにこの日は土曜日だったので、radikoで「霜降り明星のオールナイトニッポン」を流し、平常心を心がける。

番組内のコーナー、ピリオドチャンピオンと野党には毎週応募しているが、一度も採用されたことがない。
案の定今週もだめだったな、と思いながら走っていると、降りるICに。

このとき時間は8時前。出産が近づいてからでないと立ち会いの分娩室には入れないのでさすがに早すぎたか?と思いながら下道を走っていると、妻から電話が。
「もう病院に入ってきてくれていいかも。」

え、もう!?心の準備が!
と思いながらも「あと5分で着く!」と答えて車を走らせる。

ここからはさすがに平常心ではいれず、道中のことはあまり憶えていない。
気づいたら産院の駐車場に停めて、分娩室のある棟に走っていた。


名前を告げて案内された部屋に入ると、吸引機を口鼻につけ、何やらカラフルなコードが巻き付いた妻が手を振ってくれた。

無痛分娩の注射をしているため、今は痛みは落ち着いているようだが、深夜の陣痛の時はかなりの痛みで、「10が死だとしたらどれくらい?」と助産師さんに聞かれ「7-8くらいです」と答えたのだとか。
自称"痛みに強い"妻がそういうのだから、よっぽど痛かったのだろうと労った。

自分が今までで一番痛かったのはおそらく右膝の靭帯を損傷したときか、食中毒で入院した時だと思うが、それでも「死の10」と比較すると4くらいじゃないかなと思う。
(というか、10を死だとしたら、という仮定が怖すぎ。)

話が脱線したが、分娩室には僕たちの他に、ベテランの助産師さんと新人の助産師さんがいてくれた。
助産師さんの「今の所すごく順調ですね」という言葉がとても心強く、何もわからないながらにすごくホッとした記憶がある。

一方、ベッドにあるモニターにはおそらく赤ちゃんの拍動が表示されていたのだが、たまに助産師さんがそのモニターを覗き込んで無言になるものだから「え、何かありましたか!?」と何度か不安になった

そうして手を握ったり軽く会話をしながら時間がすぎ、おそらく僕が到着してから1時間後くらいに、
「もういきんで大丈夫ですよ」
という声がかかった。

いきんでは休み、いきんでは休み、を3回ほど繰り返しており、
もちろん立ち合い経験がない僕は、まだしばらくかかるのかな、と少し気を抜いていたが、次のターンで、いきなり出てきた!!!

正直、このあたりは興奮であまり憶えていないが、「あ、赤ちゃんだけ世界と作画が違う」と感じたことは記憶している。

説明が難しいのだが、この子がまだ、世界という背景に馴染んでいないような感覚があった。
もちろん生まれてくる瞬間はこの目で見たのだが、どうしても突然出現した、という感覚が拭えなかった。

その後は助産師さんについて周り、沐浴で身体を拭いたり、身長・体重を測定する様子を観ていた。
当然妻はまだ分娩台にいたので、この瞬間を見られるのは自分しかいないと思い、とにかくカメラを回した。
(撮っている時は意識していなかったが、後で動画を見返すと、いろんな助産師さんが横を通るたびに「ありがとうございます。ありがとうございます。」とうわごとのようにお礼を言い続けていた)

そうこうしているうちに、娘が世界に少しずつ馴染んできた。
僕も徐々に冷静さを取り戻し、妻に何度も感謝を伝えた。

しばらく分娩室にいたあと、5日間入院する個室に移動した。
娘は一旦新生児室で預かってもらえたので、妻とふたり。
妊娠期間は厳密にはふたりではなかったので、実に10ヶ月ぶりのふたり。

そしてこれからは3人での時間がほとんどだろうから、この貴重なふたり時間をお互いへの感謝を伝え合いながら過ごしていると、あっという間に同室可能な時間が終わってしまった。

月並みな言葉だが、とにかく母子共に無事に生まれてよかったと心から思った。
これから何かがあるかもしれないが、とりあえずこの時点では何も指摘されず、みんな元気に生きている。
僕はそのとてつもない幸運に感謝しつつ、出産当日は幕を閉じた。


記憶を振り返りながら書いているととても長くなってしまいました。
次回からは育児の体験や感じたことを書いていこうと思います。

今回も読んでくださり、ありがとうございました。

潮音

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潮音|1年育休コピーライター
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