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(雑記)上達を目指すうえで厄介な「適性」という壁

はじめに

ほとんど私の経験に基づく所見です。
また、適性がないことを否定する意図はありません。あくまで「上達したい」という気持ちがあることを前提としています。


この記事で伝えたいのは、「才能」以前に「適性」を見極めた方が良いという個人の見解。運動の「適性」がなかった私が運動部を続けた結果精神障害を患ってしまった体験を基にしている。


まず…「才能」と「適性」の違い

さい‐のう【才能】
物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。

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てき‐せい【適性】
性質・性格にかなうこと。また、ある事がらに適した性質。

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定義的に言えば才能は「上手にこなす能力」、適正は「適していること」なので適性のほうがハードルが低い。もっと言ってしまえば適性がないと頑張っても上達どころか適合すらできないので絶望的。

体験談(H・Cさん、20代)

Hさんは中学校の頃バレーボール部に所属していたが、3年間でできるようになったのはアンダーハンドパスだけで、ローテーションの回り方さえも覚えられなかった。
高校ではバドミントン部に所属したが、腕の振り方がどうしても分からず3年間スマッシュができなかった。当然試合では勝てず、負け癖がついた。
後に発達障害と診断され、先天的に運動が苦手なことが分かった。(適性の欠如)適性がないことを続けたためにストレスが溜まり、精神障害になってしまった。

残酷な事実だが…

適性がないことを上達させようとするのは、成長するどころかストレスになりかねない。私の見解では適性がないと分かったらそれの上達は諦めた方が良いと思っている。
絵における適性はなんなのかと聞かれたら正解といえるか分からないが、私の意見では「自分の絵の破綻している箇所がぼんやりでもわかれば適性がある」と見倣して良いと思う。(それなので、私もあの時気づかなかったら適性なしだったのかもしれない)

⬇️この絵でいえば斜め向きなのに睫毛の幅が同じになってるとか

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