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【小説】オナホの子
ナホはオナ・ホール・ベビーだ。
それは試験管ベビーみたいなものだ。と彼は言った。
彼にとって母とはテーンーガー、父とはペペーのことだった。
4年前の夜、出会ったその日に、ナホがわたしに語ったことをそのまま話す。
◆
まず、彼の生物学上の両親について補足したいと思う。
当初、彼はそのことについてあまり話したがらなかったし、そもそも、ほとんど知りもしなかった。
よってその2人についてわたしの知ることは、彼に乞われて、わたし自身の聞き込みや、興信所の調査で、ここ数年の間に判明したことだ。
ナホの生物学上の父親は、当時、23歳の独身男性だった。
その青年は独り身の寂しさを、しばしばオナ・ホールを用いて慰めた。それ自体には何も問題はない、ごく普通のことだった。
ことの発端は、彼の使用したオナ・ホールにある。
そのオナ・ホールは北関東のはずれにある、小さな町工場で作られた。そこに務めていたパートタイムの女性がナホの生物学上の母親で、彼女を仮にTとする。
Tの存在をナホは突き止めていたけれど、細部に限っては想像にすぎない。
激務に疲れた40がらみのその女性には、ある悪癖があった。
出荷前のオナ・ホールに自身の尿を注ぎ込みたがるという変態性欲を隠し持っていたのだ。
ある夜勤の日、Tは同僚の目を盗み、オナ・ホールの山から1つを掴み取ると、自らの股間に押し当て、昂りとともに大量の放尿をした。
同時に、人体の通常そなえる能力を超えて、彼女はオナ・ホールの内部へと排卵を果たす。
――細部に関しては想像にすぎない。しかし、当時の同僚たちの証言から導いたTの人物像からも、当たらずとも遠からずの行為が行われていたのは、たしかなことらしい。
わたしにとっては何よりも、ナホの存在が、それを裏付ける。
◆
その後、オナ・ホールはもちろん、洗浄されたのちに出荷される。だが、驚くべきことに、生命の神秘と言うべきだろうか、尿とともに注ぎ込まれた卵子は、いまだその機能を十全に保っていた。
それが、青年の元へと渡り、オナ・ホールとして正しく、使用される。就職したばかりで、慣れない生活に疲れ果てていた青年を受け入れ、癒した。
オナ・ホールとして、完璧な役目を果たす。
のみならず、母胎としての役目も。
――受精した。
そう、命が産まれたのだ。
奇しくも、全ては使い捨てのオナ・ホールの内部でのできごとであった。これにまったく気づかず、遺棄してしまった青年を責めることはできまい。
運命のいたずらは続く。
その日、回収業者が普段よりも5分早く、やってきた。青年はそれに気づかず、すでに回収が終わった場所に袋を置いて出社する。
カラスがやってきて袋に穴を開け、あたりにゴミが散らばった。いくつかが強風に飛ばされて、公園の茂みの中まで転がっていくものもあった。
それこそが、件のオナ・ホールであった。
ナホの養父がそれを見つけたとき、遺棄されたオナ・ホールは、妊婦の腹のように膨らんでいたという。
もっとずっと小さかったはずのそれは、柔軟に形を変え、風雨に耐え、胎児のナホをやさしく、育てた。養父の手によって切り開かれ、ナホが取り上げられたとき、彼は健康そのものだったという。
オナ・ホールは身ごもった我が子を守ったのだ。
まさしく母のように。
◆
ナホがその事実を知ったのは、彼が16歳のとき、育ての親である老人の、死の床でのことあった。
当然、ナホは錯乱したが、しかし奇妙な納得も感じたという。
健康な少年として成長した彼も、オナ・ホールの使用を試みたことはあったが、そのたび身を裂かれるような嫌悪感と、自己矛盾の苦痛を味わい、叫び声を上げて中断するしかなかった。
養父は、震える手を、ナホの手の上に重ねると、言った。
「どこから来ても、どこに行こうとも、ナホ。おまえは私の子だ。だがおまえが誰の子であったところで、おまえはおまえ以外の何者でもない」
大粒の涙がナホの頬を流れた。
何かしなければと、ナホは必死に考えた。せめて何か、安心させるような言葉を、口にしなければと。
けれど、伝えたいことや、してあげたいことが、いっぱいあるはずなのに、うまく言葉にすることができなかった。
どう答えればいいのか分からず、ナホは薄いシーツの上から、養父の下腹部にひかえめにキスをした。
しわくちゃのペニスは辛うじて勃起し、養父は微笑んでナホの髪を梳いた。
「おまえは優しい子だ。だから、何よりもおまえ自身の幸福のために生きろ」
そう言い残し、養父は静かに、息を引き取った。
◆
養父を看取ったナホはふらふらと自宅に帰ると、服をすべて脱いで、浴室へと向かった。
鏡に手を当て、自分の姿を見る。
そこに映っているのが、人間なのか、オナ・ホールなのか、彼には分らなかった。
すがるように自分を抱いて、その場に膝をついた。
その眼が何かを決意したかのように、危険な色にぎらつく。
カミソリをつかみ、自分自身に押し当てると、『それ』を、切除しようと試みた。
ひりつくような痛みがして、赤黒い血が数滴、床へと落ちる。
――しかし、彼は果たせなかった。
以前、一度だけ、そのときの傷を見せてくれたが、触れることは許してくれなかった。
彼の震える手は自らを弱々しく傷つけて、それでも深く切りつけることはできずに、カミソリを床に取り落とした。
こつんと音を立ててカミソリが転がると同時に、ナホは両手で顔を覆い、その場にうずくまった。
堪えきれずにナホは泣いた。大声を上げて泣き叫んだ。
ナホは、オナ・ホールである前に、人間だったのだ。
◆
4年前の夜、わたしは自宅のマンションの前で、誰かに服の裾を引かれて立ち止まった。
振り返ると、ステンカラーのコートを着た少年がひとり、立っていた。少年は裸足で、体は小刻みに震えていた。
わたしは彼に何か声をかけようとして、その異様な風体に気づいてぎょっと身を引いた。
彼は肩に掛けたコートのほかには、一切の衣服を身に着けてはいなかった。
「あの、」
少年はわたしを見据え、嗚咽をようやく絞り出したような声で、こう言った。
「1000円で、あの、僕、どうですか」
わたしは呆然と、少年の、美しい顔を見た。
(了)