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【小説】エルフの結婚 #1
「しかし、ちょっと驚きましたよ。あのロブが結婚するとは」
あたしたちは同僚の結婚について話しながら、リビングのテーブルに遅い朝食を広げた。
「でも、あいつ、ずっとベタ惚れだったろ」
あたしは舌なめずりをして、ホットサンドにナイフを入れた。プチンと、肉詰めのここちよい切断音がして、湯気といっしょに美味しそうな薫りが巻き上がる。
「そうなんですか? ひどい浮気癖で、しょっちゅう泣かされてるって……」
「浮気はエルフの生態だ。結局戻ってくるんだったら、やっぱり好きなんだよ」
半分に切ったホットサンドをつかみとり、丸ごと放り込んで咀嚼する。はみ出たチーズは指でくるくる巻き取って口にしまいこむ。
うまい。
「これ、いけるな」
口いっぱいにほうばりながらしゃべると、肉汁が噴き出して、テーブルにこぼれてしまう。
スヴェンがそれを、心底嫌そうな顔でささっと拭き取った。
嫌ならやらなくていいよ。飲み込んだら自分で拭くつもりだったんだから。
いいから。人の口元をぬぐうんじゃないよ、幼児かあたしは。
「わたし、エルフには上品で貞淑なイメージを抱いていました。……先輩に会うまでは」
「あ? どういう意味だ?」
彼女からナプキンをひったくって口を拭きながら、あたしは続けた。
「ひどい偏見だな。でも実際、エルフの森は厳粛な一夫一妻制だ。一度嫁ぐと簡単には離婚もままならない」
言いながら、あたしは、故郷の森のことを思い出していた。禁忌やしきたりでがんじがらめにされた、大嫌いな場所。
そして、年がら年中渋面を浮かべる元許嫁の顔も。
「何百年も同じ顔を見ながら暮らすのはつらいぞ。しかも、家同士の結びつきが強いから、だいたい、物心つくころには相手が決まっている」
「へえぇ」
そこで、あたしは声を潜める。顔には思わず、我ながら下品な笑顔が浮かんでいる。
「……だから、夫と『合わない』エルフ妻はたいへんな欲求不満を強いられることになる。逆もまたしかり。100年単位でグツグツっと煮えたぎった情欲だ。それはそれは凄まじい乱れぶりだそうだぞ」
実際、街のエルフのいくらかは、そういうトラブルで一族を追われた間男・間女だという話だ。
「ごはん食べながらそういう話するの、やめてくださいよ」
スヴェンが辟易した表情で言った。
なんだ、こいつ、お高く留まりやがって。
◆
午後、スヴェンと2人で学院の図書館まで向かう途中、大通りの一角に、横断幕を掲げてたむろする一団があった。
神秘学派のデモ隊だ。
「……また、あの連中だ。――“昼飯通り”から抜けていきましょう」
スヴェンが、なるべくそれをあたしから遠ざけようとしているのが分かったので、もちろんおとなしく従った。
彼らはいつものように、学院の特待生や導師位の席数を引き合いに出し、『エルフたちは人間が長い時間をかけて編んだマナの叡智と伝統を”搾取”している』という、言いがかりに等しい。――しかし、実態に根差した。――主張を声高に叫んでいた。
近年、応理魔法の研究は、エルフからの人材の流入によって目覚ましい発展を遂げてきた。
魔法を最初に体系づけた人物については諸説あるが、一般的には、エルフの半神だと言われている。
一方、学院で教える応理魔法は、エルフほどマナに敏くない人間たちが独自の理論で組み立てた技法だ。
もとより、知的好奇心にあふれた種族である。交通機関の発達により遠くの情報が耳に入るようになれば、森を出て、人間社会で暮らしたがるエルフの若者も少なくなかった。
彼らの多くはその優れた頭脳と鋭敏なマナの感覚を生かし、学院の門徒を叩いた。
森では短くとも千年は生きるエルフたちだが、街のエルフは150~300歳ほどで病死する。それでも、彼らの人口流出は止まることはなかった。
ところが、もともと学院にいた、人間の賢者たちにとってはたまったものではない。エルフたちの活躍は、これまでの家系重視や女性軽視の『伝統』さえ揺るがした。
まして、魔法を家系の奥義として独占したい彼らと、学術的興味で研究をするエルフたちの、相容れようはずもなかった。
そして、彼らにとっては好ましくないこの後輩たちは、自分が老いても、同じ地位に居座り続けているのだから、これは悪夢だった。
こういった対立に端を発した、学院から街エルフを排除しようとする動きが、いわゆる『神秘学派』による一連の活動である。彼らは言論で、時には実力を持って他種族を攻撃し、彼らの言う『伝統的な』人間社会を保つべく努めてきたのだ。
閑話休題。
“昼飯通り”に入ると、あたしたちと同じようにデモを避けてきたと思われる人々で大いに賑わっていた。朝の結婚式の2次会3次会だろうか、酔漢の数がいつもより多い。
あたしたちはいくつも並んだ屋台の1つでプラムを買って、かじりながら歩いた。
「この街には1つだけ、絶対に嫌われる方法ってのがある。大勢でつるんで歩いて道をふさぐことだ。あいつらが大好きな行進のことだけど」
「本当ですよ。わざわざこの街に来ることはないのに」
スヴェンがため息をついた。回り道をして大通りに戻ると、彼らはまだ同じ場所で演説を続けていた。何人かの旅人が立ち止まって物珍し気に見る他は、街の人々は彼らのことを完全に無視して過ごしている。
彼らはこの街では嫌われものだ。だから、たまにしか姿を見せない。けれど、いなくなることもない。
「どうして『エルフ』だ『人間』だなんて、一括りで見ることしかできないんでしょうか。1人1人、別の考え方を持っているはずなのに」
スヴェンの言い分には、偏りがあると思った。彼女が知るのは、多くが自分から街に出てきた、どちらかといえば変わり者のエルフばかりだ。
誰もが個人の考えを持っているという意見は、必ずしも正確ではない。と、あたしは思う。
どちらが正しいのかはともかく、『外れている』のはあたしたちの方に違いなかった。
「彼らには難しいかもしれない。オリジナルを認めるということは、ほんとうの孤独をみつめることだから」
そんなことはおくびにも出さずに、なるべく寄り添って聞こえるように、あたしは彼女に同調した。
「自分と同じ存在なんて、どこにもいないという真実を」
◆
その後、あたしは休みの許しをもらいに、学院の導師を訪ねる必要があったから、スヴェンとは図書館で別れた。
彼は私室で、ひょろ長い体躯を、ひどい猫背で折りたたんで、何かの魔導書の解読に没頭していた。
学院内でも名物的な導師の1人だった。髪はボサボサで、分厚い眼鏡をしていて、いつも同じ白衣を着ていて、つっかけを履いて外出する、バツ1のエルフの中年男性だ。
有能だが、社交性に欠け、必要最低限のことしかしゃべらない。熟練の大工のようだというので、学生たちからは“棟梁”とあだ名されていた。
ノックをしても、声をかけて部屋に入っても、“棟梁”はこちらに気づかなかった。あたしは彼の真後ろに立ち、ちょっと居住まいを正して声をかける。
「導師、ちょっといいですか」
……なんだかちょっと、声が上ずった気がする。
「ん」
“棟梁”はこちらに背中を向けたまま、一言だけで返事をした。
「明後日からしばらく、お休みをもらいたいんですけど」
「ん。かまわないが、どうした?」
「妹の結婚式です」
「妹? そうか。おめでとう」
一向にこちらを見ないのが面白くなくて、あたしは彼の気を引こうとしてよけいなことを言う。
「おめでたいかどうか……。実は、相手はわたしのかつての許嫁なんですよ」
「許嫁? ふうん」
“棟梁”は魔導書をめくる手を止めることはなく、横から差し出した休暇届を、ろくに読みもせず判をついた。
「まあ、いろいろ事情はあるわな」
興味があるのか、ないのか。“棟梁”はそれ以上踏み込んだ質問はしなかった。
「地元は?」
「あ、“紺碧の森”、です」
「そうか。遠いな。何日だ?」
「あ、1週間……」
「そうか」
最後に一瞬だけこちらに視線を向けて、ぼそりとつぶやいた。
「気をつけろよ」
そして、またすぐ手元の作業に集中しはじめる。
――あれ? ひょっとして、気遣ってくれてる!?
「あ、ありがとうございます!」
あたしはオーバーリアクションぎみに一度飛び跳ねて、直角になるまで頭を下げた。
……なんであたしはこんなことで、こんなに喜んでいるんだ。
クソッ、今日は男娼抱いてやる。