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【感想】本当の旅にタケシはいない

 2022年11月18日、「ポケットモンスター スカーレット・バイオレット」が発売した。
 派生タイトルを除けば19年の「ソード・シールド」から3年ぶり、96年の「赤・緑」から26年続くシリーズの最新作だ。

こいつ25年前の話ばっかしてんな。

 さて、すでに発売から2か月近くが経ち、語り尽くされてる感もあるが、みなさんはパルデア地方の旅を楽しんでいるだろうか。

俺は楽しんでいる。このゲーム超楽しい。

 バグがーとかエラーがーとかいろいろ言われていたが、そんなものはささいな問題だ。
 あと今どきマップにピンが1つしか刺せないとか、せめて図鑑の生息地画面から目的地設定できるようにしろとか、なんで今さらブティックを分ける意味があるんだとか、テラピースの要求数が1桁間違ってるだろとか、ノクタスに遺伝技を返せとか、勝ち抜きモード廃止は意味不明とか、言いたいことは無数にあるがささいな問題だ。

 伝説のバイクに跨り、宝物を探して走り回り、サンドウィッチを作り、出会った仲間たちと自由に旅をする。
 本当に傑作だったと思う。

 だが俺は逆張り老害クソ野郎なので、そんな月並みな言葉でこの記事を終わらせるつもりは毛頭ない。

※全人類ポケットモンスターシリーズをだいたい履修していることを前提で話すので、いちいち説明なんかしないしネタバレにも配慮しない。

ママからもらったサンドウィッチはうまいか?

 「スカーレット・バイオレット」はオープンワールドシステムを採用している。そのため、これまでのシリーズとは大きく異なる部分がある。

 まず「赤・緑」発売以来、「ソード・シールド」に至るまで、ポケットモンスターシリーズの主人公は「段差」を超えることができなかった。
 子供がぴょんと飛び降りられる高さの段差を、登ることができない。

「スカーレット・バイオレット」ではそれができる。
 それどころか、崖をよじ登って山頂に駆け上がり、そこから飛び降りて滑空飛行することさえできる。

 だがそれは、コライドン/ミライドンという、極めて珍しいポケモンに選ばれた主人公にだけ許されているのだ。

 はぁ……ママに作ってもらったサンドウィッチはうまいか?

 確かに「ひでん技」の撤廃と「ライドポケモン」の登場は革新的だった。
 かつての「仲間を集めて次の町へ」というよりも「仲間を集めないと次の町へ行けない」という制約は失われ、加えていわゆる飛伝要員をパーティに入れる必要がなくなったため、旅パの自由度は大きく増した。

 だが俺たちは今まで、空も海も森も、仲間のポケモンたちの力で乗り越えてきたはずだ。どうして人から借りる必要がある?
 自分の力で切り開いてきた旅路が、大人たちのシステムで安全に舗装されてしまって、それで満足か?

 今作は、その「ライドポケモン」の要素がコライドン/ミライドンだけに集約されている。

 たしかに彼らとの旅は快適で、爽快なものだ。それに、今回は借り物じゃない。旅立った時から一緒にいる仲間だ。
だが、やっぱりそれはお出しされたサンドウィッチで、俺の作ったサンドウィッチじゃない。

 俺は旅の途中で出会い、仲間になったポケモンたちに乗って旅がしたかった。
俺たちの旅は俺たちのオリジナルサンドなんだよ。


どこかで1回こういう旅もしたい。という話。

 でもこうじゃなかった理由もわかる。
 単に作るのがハチャメチャに大変なのはもちろんだが、はっきりしてることがあるからだ。

どうせみんな、バイク乗る。

 そりゃそうだ。俺も多分すぐ飽きてバイク乗ると思う。フィールドアクションをいちいち切り替えるのが面倒なのは「LEDGEND'S アルセウス」で散々思い知っている。

 でも俺はノコッチに乗って旅がしたかった。遅くても、高く飛べなくても、それでよかった。
登れない崖を前にして、回り道を探したかったんだ。

くさむらから漂う「死」のにおい

 前述したように、今作ではライドポケモンに乗っている限り自由な移動ができる。そしてちょっとバグっぽい挙動も多い。
 そのため、あまり調子に乗りすぎると突如生身で空中に放り出され、屏風ヶ浦もかくやという断崖絶壁から投げ落ちて死を覚悟する羽目になる。
 オープンワールドだからこその恐怖、だが、これまでのポケットモンスターにそれがなかったかというとそうではない。

 マサラタウンから1番道路の草むらに足を踏み入れようとしたとき、オーキド博士が慌てて駆けつけてきて、俺たちはその先に「死」のにおいを感じ取った。

 「赤・緑」発売から2年後の98年、初の劇場版ポケットモンスター「ミュウツーの逆襲」が公開された。作られたクローンポケモン・ミュウツーがオリジナルとの闘争の果てに生命としての自己を確立するという第1作に据えていい重さじゃないテーマの作品であり、作中では凄惨と言ってもいいくらい悲壮感のあるポケモンバトルが繰り広げられた。
 アニメ版の主人公、サトシも巻き込まれてよくわからないけどなんかヤバそうな状態になったりする。今思えばあのときも「死」のにおいがした。

 だが、子供の頃の俺が絶望し、恐怖したのは、映画の本編ではなかった。本当に恐ろしかったのは、エンディングテーマの「風といっしょに」、小林幸子さんの素晴らしい歌声をバックに流れるあの映像だ。

大自然はあまりに巨きく、少年たちはあまりにも小さい。

 美しい森の中、ただそびえ立つだけの巨木の根でさえも、彼らにとっては飛び降りることができても、引き返すことはできない崖だった。
「ミュウツーの逆襲」のエンディングが、俺たちに与えたのは、はっきりとした「死」の想起だ。

 猫よりも怖くて、怪獣より優しいポケモンたちのなかには、羆くらい怖いものもいるだろう。だが、そんな恐るべき野生が相手であっても、サトシたちの旅路は順調に見えた。
 モンスターボールがあるから? ピカチュウがいるから?

 どれも正しいが、違った。

 タケシがいたからだ。

 「スカーレット・バイオレット」では、崖から落下すると明らかに死ぬ高度からでもスマホに備わったロトムの浮遊能力が助けてくれるが、この頃のサトシたちにとってのスマホロトムはタケシだった。
 タケシがいれば、数多の困難を彼らは乗り越えていける。そんな安心感を与えてくれる男だ。
 彼とはぐれ、サトシが1人で雪山で遭難した回は、「こいつこのまま死ぬんじゃないか」と子供心に心配になった。

 ……くしくも先日、そのサトシが各地方のチャンピオンが集結する、ポケモンバトルの世界大会で優勝を飾った。
その隣に、彼の旅を10年以上支えた男、タケシの姿はなかった。

 25年の旅を経て、様々な人に支えられて成長したサトシ少年は、新米トレーナーたちの頼もしい先輩として、彼らの旅をサポートする立場となった。

 ママのコロッケを食べるだけだった彼はもういない。
 タケシのそばを離れ、自分のサンドウィッチを自分で作れるようになること。それはチャンピオンになることと同じくらい誇らしく、得難い成長に違いない。

本当の旅にタケシはいない

 話を「スカーレット・バイオレット」に戻す。
 近年では「LEDGEND'S アルセウス」やYoutubeアニメ「ユメノツボミ」に色濃く描写された死の想起は、「スカーレット・バイオレット」の道中ではかなり薄まったと思う。
 メインの青春ストーリーにおいてはノイズになり得ると判断されたのかもしれない。

 では、パルデア地方の旅は、伝説のバイクに選ばれた人間が、もらったサンドウィッチを食べるだけの、安全なおままごとの旅だったか?

 いや……そうではなかった。

 最終盤において、主人公たちは大人の庇護を外れ、禁じられた危険極まりない場所に飛び込んでいく。そこで、コライドン/ミライドンにも、キャラクターの1人としてスポットが当てられることになる。
 今作のライドポケモンは……彼はもらったサンドウィッチなどではない。単なるフィールドアクションのための舞台装置でもなかった。
 彼らもまた迷い、旅に出た1人の主人公だったのだ。

 ……今作の物語は、プレイヤーキャラクターがコライドン/ミライドンから降り、仲間たちと同じ歩幅で、路を外れて寄り道へ向かう姿で幕を閉じる。「赤・緑」で主人公が冒険に焦がれた光景と同じように。

 多くの人間は伝説のバイクに選ばれることもなく、舗装されていない道を自らの脚で進む。
 「スカーレット・バイオレット」にたくさん登場する「年老いた学生」とは、そんな風にゆっくりと「宝物を探し続ける人々」の象徴に違いない。

本当の旅にタケシはいない。
自分のサンドウィッチは自分で作らなきゃいけないんだ。

 力強く歩を進める彼らの姿には、そんなメッセージが込められているのかもしれない。

……ん?


 いや、タケシいたわ。

 アニメシリーズ最終章、「ポケットモンスター めざせポケモンマスター」は、2023年1月13日(金)から放送予定!

 この瞬間を見逃すな!!


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