【小説】ばくぜんとした不安デモ
将来のこととかについて考えているうち、あまりにも不安な気持ちが大きくなったので、できるだけ大きく「不安」と書いたプラカードを掲げて「不安だなぁ、不安だなぁ」とつぶやきながら、通りを練り歩く奇行に及んでしまった。
しばらくすると、後ろから「不安だなぁ、不安だなぁ」とつぶやく別の声がする。
振り返れば、僕と同い年くらいの男が、僕と同じように不安を口にしながらついてきていた。
正直怖くてギョッとしてしまったので、僕は先制攻撃をすることにした。自分の奇行などまるでなかったかのように、ほがらかな挨拶をする。
「こんにちは!」
「こんにちは、そんな風に練り歩いて、あなたも不安なんですか? 実はわたしもなんです」
男もほがらかな声で、僕の奇行を指摘することで逃げ場をなくしてきた。僕はひるまず、自分の危険性をアピールして優位に立とうとする。
「そうなんですよ。毎日不安不安不安で、でもどうしたらいいのかわからない、そういう精神状態です」
「それはよくありませんね。そんなに毎日不安だなんて、今はどんなお仕事を?」
敵もさるもの。なかなか鋭い質問だ。僕は先日失職したばかりだったので、今はちょうど無職だった。
「今はプーですね」
「なるほど、それは意外です。プー太郎って、一番不安から縁遠い生活をしていると思っていましたよ」
「はぁ」
気の抜けた返事をしてしまった。あまりにも想像力に欠ける発言だと思った。さぞかし安定した生活をしている人なのだろう。よく見れば服装も、高級品ばかりを身に着けているように見える。
高給取りの会社員だろうか、しかし平日の昼間からこのような場所をうろついているのだから、もっと気楽な立場だ。会社役員かあるいは上り調子の投資家か、思わず言葉も棘のあるものになる。
「あなたのような人はご存じないかもしれませんけど、プーもニートもフリーターもワープアも、それぞれたくさん不安を抱えてると思いますよ」
「それは失礼しました。ごめんなさい。でも、わかってください、僕も不安なんです。もう少しご一緒しても?」
「いいですよ。1人でいるよりはちょっと不安が紛れる気がします」
そういうことになったので、僕たちは「不安だなぁ」とつぶやきながら徘徊を再開した。
しばらく歩いていると、さっきの男性が僕の肩をツンツンとつついて、「後ろ見てください」とささやいてきた。
振り向いて思わず「えっ」と声が出た。いつのまにか自分たちの後ろにたくさんの人が並んでいて、皆一様に「不安だなぁ、不安だなぁ」とつぶやいている。
背後の人々は互いにまったく初対面のようだったが、「漠然とした不安」という共通のワードで盛り上がっているようだった。ときたまおしゃべりが漏れ聞こえてくる。
「不安だなぁ」「実は私もそうなんですよ。いつもなんだかソワソワしちゃって。ただ、漠然としていてどうすれば解消するものかはっきりしない」「えっ、あなたも?」「奇遇ですねぇ、わたしも不安なんですよ」「やっぱり自分の老後、親の介護、他には感染症、世界情勢とかですか?」「まぁ、鉄板ですよね」「わかる~」
どうも、漠然とした不安を抱えている人は多いらしい。困った、これではまるでデモ行進だ。おそらく世のデモの何割かも、こういった不安が指向性を持つことで発生するのだろう。
僕は掲げたプラカードを下げようかと思ったが、それはそれでなんか敗けた気分になるのでやめておいた。依然として僕は不安だし、この状況は僕の心を何も救わない。
「……どうしましょう、これ、どこかに向かった方がいいんでしょうか」
僕は隣を歩いている、最初の男に小声で相談する。彼はしばし黙考し、答えた。
「ふぅむ、とりあえず……国会議事堂でしょうか」
「えっ、でも、このあいまいな主張を政治でなんとかできるものでしょうか」
「そこはそれ、国会議員というのは国王に任命され、国民を代表して国政を運用する義務があります。ともかく、こういうときはとりあえず政治が悪いことにしておきましょう」
「なるほど」
ところどころ言葉の意味はわからなかったが僕は納得し、とりあえず僕たちは国会議事堂に向かって歩き始めた。
しかしどうにも人が集まりすぎた。集団は否応なしに人目を引くし、注目を浴びればより集まってくる。
「ちょっとちょっと、これはどうしたことです。なんの集まりですか」
ついに慌てた警察官がやってきて、一番前で大きく「不安」と書かれたプラカードを掲げている僕に訪ねた。
「見ての通り不安なんです」と、僕。
「今、私もかなり不安だけど、こんな場所に集まっちゃ周りの迷惑でしょ」と、警察。
「でも……」
「デモもストもないが、この国には道交法というものがあってね。とりあえず道を塞ぐとまずいから一列にね……そう」
警察に言われて、不安がる人々は行儀よく一列に並びなおした。
「一列ならいいでしょうか」
「国会議事堂の周りの場合、別の法律もある。うるさいと逮捕」
「えっ……逮捕嫌です」
「……とりあえず『不安だなぁ』を同時に言わないで」
警察の指示もあり、一列になった群衆は自然に前の人が「不安だなぁ」と言ったら「不安だなぁ」とささやくスタイルになった。さながらバケツリレーか伝言ゲームのようだったが、「不安」は伝言ゲームと違って途中で失われたりはせず、むしろどんどん増幅していくようだった。
「国会議事堂に向かってもいいでしょうか」
「うるさくしないならいいよ。ただ、私もついていこう。君が急に暴れだしたら逮捕するからね」
「逮捕嫌です」
そう言って警察は、僕と最初の男のすぐ後ろに陣取った。「不安だなぁ」と、律儀に伝言ゲームにも参加する。
「何を隠そう私も不安なんだ」と、警察。
やがて国会議事堂の前にやってきた。とはいえ、思いつきでやってきたので何をするわけでもない。このまま解散かな、とややほっとしているところに、黒いハイヤーに乗った男性がやってきた。
テレビで見たことのある顔、総理大臣とかの偉い大臣の人だ。僕らの姿を見とめてこちらに歩み寄ってくる。
「これはなんの集会だね」と、政治家。
「あの、僕たち不安なんです」と、僕。
「そうかね、私も不安だ」
「えっ」
「えっ」
僕は驚いてしまう。そんな、警察も政治家も不安だなんて。じゃあこの国ではいったい、誰が安心して暮らしてるんだ?
「よく知らないんですけど、政治家は賄賂とかで私服を肥やしてるでしょう。少なくとも経済的には安定してるから、不安とは無縁なんじゃないですか」
「そうでもない。他の政治家に地位を脅かせれる不安もあるし、将来的には子供たちにも同じくらい偉い地位になってほしい。私はやってないが贈賄とかしてる連中はそれがバレる不安とかもあるだろう」
「えぇ……」
政治家は一瞬だけ警察をちらりと見て、「私はやってないが」と再度強調した。
「どちらにせよ、どんな地位についたところで、『これから先どうなるんだろう』という漠然とした不安が拭い去れることなどない」
「じゃあ、どうしたらいいんでしょう」
「ただ将来を不安がるのではなく、未来の新たな力に期待しようではないか、特に近年の科学技術の発展は目覚ましい、我々の不安も、AIとかロボットとか、未来の科学力によって解決するかもしれんぞ」
「もっともらしい意見だ。政治家っぽい」と、僕。
「問題の先送りというやつでは?」と、最初の男。
2人の意見は一致したが、結局その政治家も僕たちの後ろに並んで、「不安だなぁ」とつぶやきはじめた。
一団はいよいよ混沌として、「不安」の伝言ゲームを続けながら幽鬼のようにさまよい続ける。
藁にも縋る思いでやってきたのは、都内にある大きな研究所だった。
突然の来客に、白衣を着たいかにも研究者といった風体の男が出てきて、とても迷惑そうに対応する。当たり前だ。今は平日の昼間だ。彼には彼の仕事があるはずなのに。
「あのねぇ、科学の力だって万能じゃないし、我々も専門的な分野でアプローチはできるけど、そんな雲をつかむような話をされても困るんだよね」
ここもだめかぁ。という空気があたりに漂った。政治家が一番残念そうにしていた。
「心療内科とかに行かれたらどうですか? わたしが通院しているところを紹介しますよ。病院に行って、話を聞いてもらって、いい薬を処方してもらいましょう」
この時初めて、我々の漠然とした不安に対する具体的な指針が提示された。
やはり科学者は賢いんだなぁ。と思いながら、僕たちは近くの大学病院へと向かった。群衆には、応対してくれた人も含め、科学者たちも加わって一心に「不安だなぁ、不安だなぁ」と嘆いている。
「はぁ、なるほど、漠然とした不安……どのみち、人それぞれでしょうから、1人1人お話を聞いてからですね」
病院に着くと心療内科の医者が出てきて、優しそうな声で応対してくれた。彼はこれが仕事だからというのもあるだろうが、今までの誰よりも親身になって僕らの不安に向き合おうとする姿勢を示した。
僕は是非治療を受けたいと思ったが、とたんに背後の群衆が騒がしくなった。口々にそれぞれの不安を叫び始める。
「わたしはただいつもすごく不安なだけで病気とかじゃないです」
「そうですか」
「心療内科は受診すると生命保険に入れなくなったりするって聞きました」
「そういう場合もありますね」
「仮にうつ病とか診断されたら、会社で根性のないやつだと思われて、出世に差し障りが出たりしませんか」
「それは会社側がひどいと思いますが、でもそういう事態も起こり得ますね」
「あまり騒がないで……逮捕されてしまう……」
僕は蚊の鳴くような声で訴えたが、群衆のざわめきは収まらない。しょうがないので、何か別の方法を探すしかない。
「保険とか社会的地位とかで日々の不安を打ち消して生活している人もいるので、なんとかそういう問題を排除した横断的な解決法はありませんか」
「それは難しい。……ああ、スポーツはどうでしょう。運動するとセロトニンとかが出てたぶん精神が安定する」
「急に投げやりに……」
「あっ、わたし、スポーツジムのトレーナーです。わたしも『不安だなぁ』と思って、この列に加わりました」
集団の中でもひときわ長身の、筋肉質な青年が挙手をした。
「どうやら、健康な肉体があって適度な運動をしても、不安が解消されるわけでもないらしい」と、僕。
「まぁ、個人差もありますよね」と、医者。
「でも、長期的な健康という意味で言えば、もう少し運動されたほうがよさそうな人がいますね」と、トレーナー。
彼はそう言って群衆を見回した。たしかに、太りすぎていたり、明らかに血行不良で顔色が悪い人が複数いる。そういう人の不安は、適度な運動で多少和らぐのかもしれない。
「そういうことでしたら、ウォーキングがてら、もう少しデモ……を続けるということでいいでしょうか」
僕は訊ねたが、誰も肯定も否定もしなかった。ただ不安げに、こちらの顔色をうかがうような視線を向けて、そのあと同じ表情で周囲を見回した。
僕はそれを現状維持の意思表示と受け取り、歩き続けることに決めた。
医者も列に加わった。もう行き先は思いつかない。あてどなく歩いていくうちに、人が人を呼んで集団はさらに大きくなる。
「なんの集まりですか?」と聞く声がする。「どうも、漠然とした不安を解消してくれるとかなんとか」と答える声がする。
まずいことになったかもしれない。と僕は思った。最終的にはこの状況を、僕が解決することを求められるんじゃないか? 今までは無責任に他人に求めてきたが、自分に責任を問われるとなると話が違う。
もしそうなったら走って逃げるしかない。走るのは疲れるからいやだ。
「宗教はどうだろう。宗教ならこの漠然とした不安を取り除いてくれるんじゃないか?」
短髪の堅物そうな壮年男性が挙手をして言った。
それはとても名案に思えた。だが、群衆からは矢継ぎ早に別の声がする。
「宗教はなんかお金とかを搾取してきそうで怖いのでいやだ」
「それは偏見だ。私は実在しない特定の宗教を信仰している。たしかに信じるものがあると少し不安が柔らいでいいぞ」
「それと対立する実在しない特定の宗教のものだ。お前、あんなインチキを信じているのか」
「なんだと!?」
「待って! 待ってください!」
僕は大きな声で叫んだ。慌てて彼らを止める。まずい方向に向かっている。この集団で争いが始まれば、いよいよ手に負えない。
「喧嘩をするなら帰ってください」
「そうだ。そうなったら逮捕しなきゃいけないぞ」
と、警察が言って、群衆は言い争いをやめた。みんな逮捕は嫌だった。
「どこかの資産家からお金をもらって、そのお金をみんなで分けたら、少しは不安が解消されるんじゃありませんか?」
眼鏡をかけたインテリ学生風の男が挙手をして言った。
「資産家は金に意地汚いからお金をくれたりしないだろう」
「棒とかで叩いたら、くれませんかね、お金」
「暴徒化?」
「怖ろしい発言が聞こえた。犯罪を犯したら捕まってしまいます」と、僕。
「そうだ、捕まえる」と、警察。
「そもそも、けっこうな大金でも、ここにいるみんなで分けたら少なくなってしまいますよ」
群衆の中からそんな声がして、僕はあらためて周囲を見回した。そして愕然とする。
「一体何人いるんだ?」
不安をささやく人の群れは、終わりの見えない大行列となって僕を追従していた。
老いも若いも、男も女も、貧しい人も裕福そうに見える人もいた。学生もいた。芸術家もいた。ホームレスもいた。新聞記者もいた。タクシー運転手もいた。明かなスジ者もいた。白杖をついた老人も、赤子を抱いた若い母親も、幼い妹の手を引いた痩せた少年も、母国語で不安がる外国人労働者もいた。
彼らの不安の輪唱は、地鳴りのようであり、念仏のようでもあった。
「これは、もうしょうがない。王様になんとかしてもらおう」
と、僕は決めた。
王様の宮殿は都内にあるし、周りには公園があって、ウォーキングにも適しているからちょうどいい。
「こ、こんな状況を、王様1人でなんとかできますかね」
そう心細そうに言ったのは、僕に最初についてきた男だ。思えばこいつのせいでここまでの事態になったと言えなくもない。
言いたいことは分かる。この国の王族は政治に関わらない立場だから、別に王様だからといって僕たちの不安をなんとかできるわけではないだろう。正直顔も覚えていない。
けど、多くの国民から尊敬される人物なのは間違いないし、僕がうっかり集めてしまった人々を解散させることはできるかもしれない。
しばらく歩くと、王宮の前に辿り着いた。とはいえ人数が多いので、正面に立てるのは先頭を歩いていた僕のほか数十人で、それ以外の人はどうしても周りを取り囲むような形になる。
ただならぬ光景に、泡を食った軍人がやってきた。軍人は撃たれたら痛そうな大きな銃を不安げに握りしめて、プラカードを持って先頭に立っている僕に話しかけた。
「なんだあんたたちは、そんな大勢で……クーデターか?」
クーデター、また怖ろしい単語が聞こえた気がする。国家転覆なんてしたら、蜘蛛の糸を掴むような気持ちで維持している今の生活すら失われてしまう。
そうなったとき、漠然とした不安は具体性を持った危機となって僕たちの生命を脅かすに違いない。僕は「不安」のプラカードを掲げた。
「違います。そういう具体的なやつではないです」
「具体的なやつではない。するとなんか要求とか思想があるわけではない」
「はい。僕たち不安なんです」
「何がだね」
「いろいろありすぎてちょっと言い切れませんが、漠然とした不安があるんです」
「私も今すごく不安だが。つまりすぐ武力行使とかはしなくていいのかね」
「銃で撃たれると痛そうなのでしまってください」
軍人はとりあえず銃を下ろしてくれた。僕はほっとする。
「王様にこの不安をなんとかしてもらえないかと思ってきたんです」と、僕。
「王様だって神様じゃないから、そんなことできないと思うが」と、軍人。
「だけど、もう……」
もうどうしようもない。僕がとても困った顔をしたので、軍人も困ったように眉根を寄せた。
「今、王宮に行っても王様はいないと思うぞ」
「えっ、どうしてですか」
「そこにいるからだ」
そう言って、軍人は目線で僕の背後を示した。そこには、最初に僕についてきた男が立っていた。
「つまり、その……」
最初の男はばつの悪そうな顔で頭をかいた。
「わたしが王様です」
群衆の中で誰かが「不安だなぁ」とつぶやいた。
(了)