だからどれが真実
何度も投稿するのは気が引けるが、万が一、先の投稿が既にクリープハイプのみなさんの目に触れていたらと思い、記事編集ではなく苦悩と想いの追記として投稿する。
「#だからそれはクリープハイプ」の企画にて、大学の卒業論文以来、真面目に筆を執った。
卒業論文は研究成果の発表や既出理論に対しての反論であり、そこに当事者の感情は含まれず、淡々とした事実の羅列である。
対して今回の企画はクリープハイプとの出会いや思い出など、当事者の感情を中心とした、情熱的な想いの羅列である。
今回の企画は小中学校の宿題にあった読書感想文と似ている。
想いを伝えるのは苦手だ。
好きなアーティストは誰か、と問われた際に「クリープハイプ」と即答するほど愛していることは間違いないが、この想いを「与えられた宿題」ではなく、「自ら筆を執って」にインターネットの海に残る形で表現することが、未熟で恥ずかしく、上手く言葉にできない稚拙さが悔しく、もどかしく、また不安だった。
先の投稿をしてからの毎日は、クリープハイプが呪いのようにしがみついて離れなかった。
「千載一遇のチャンスが回ってきて、万が一クリープハイプに届いた時に、大好きな想いを正しく伝えられているだろうか」という想いから、無駄な一文はないか、斜に構えていないか、不快な想いをさせないか、何度も何度も何度も何度も読み返し、その度に頭を抱えた。
表現者とはこんなにも苦悩を抱えているのだろうか。
フロントマン曰く、新曲を発表する時はファンの反応が不安である旨を話していた。
少なくとも私は全肯定で、「そんな心配しなくても色んな意味で優しく包んであげるのに」と思っていた。
いざ逆の立場に立つと、こんなにも不安になるものか。
私が綴る言葉はクリープハイプのみなさんだけに向けた想いであるが、何万人もの視聴者や関係者へ色々な想いを発信しているクリープハイプ、ならびにフロントマンが抱えているであろう不安は計り知れない。
不安で不安で仕方なく、先の投稿を削除しようか未だに迷っているが、私の想いが正しく伝わらなくても、どんなに未熟で、稚拙で、不安であっても、想っているだけでは伝わらない。
だからどれが真実。
大袈裟な物言いではあるが、表現者として大きな勇気持ち、小さな一歩を踏み出す。
いち視聴者、いちファンの私が綴る想いが、どうかクリープハイプに届きますように。