イヤホンをするポーズで十分

最近、電車では音楽を聴くようにしている。

休職前、電車の中で音楽を聴く習慣はなかった。
混雑した車内ではコードが鬱陶しいし、いちいち曲を探したり音量を調整するのも面倒で、それだったら外の景色や周りの音に耳を澄ませようと思っていた。

ところが休職に入ってしばらく経った頃、通勤訓練の帰りの電車でおっさんに絡まれ、その対処方法を誤ってしまった(それがEAPがリワーク通いを決断した理由みたいだが)。

もう同じことは繰り返したくなかったので、周りの声をシャットアウトするように音楽を聴き始めた。
自分の耳だけを煩くすることで、周りからの煩さを遮断したのである。

これなら、自分の世界にどっぷり浸れるし、周りの不当な絡みも正当な理由をもって無視できる。
声が聞こえたとしても気づかないフリができるし、自分以外の煩さも気にならない。

ただし、この方法だと文章が上手く書けないことに気づく。
音楽を聴きながらnoteに投稿する文章を練っていると、いつも以上に脈絡がなく読みにいくい文章になっている。
さらに、音楽から想起された空想が文章を蝕んでしまい、何を言いたいのかよくわからない文章になる。

自分に集中力がないだけかもしれないが、昔から音楽を聴きながら文章を書くことはできなかった。
もしかしたら「文章を書く姿勢として失礼だ」という気持ちもあったのかもしれない。
「人様に見せる文章であるからには、それなりの姿勢で臨まなければならない」という、プライドもあるのだろう。

このnoteを書いているのは、まさに移動中の電車の中なのだが、この文章を書き始める前は別のトピックについて書こうとしていた。
ところが、“あること”に気づいてこちらのトピックを先に書くことにした。

“あること”とは、自己防衛のためなら音楽を聴くポーズだけでもよいということである。
自分は今イヤホンをしながら文章を書いているが、そこからは誰も歌声を発していないし、楽器も鳴らされていない。
ただただイヤホンをしているだけである。
感覚的には耳栓をしているのと一緒である。

もし音楽を聴きたくなったら、もしくは文章が打てないほどのラッシュだったら、そのイヤホンとアーティストを蘇生させる。
集中して文章を書きたくなったら、もう一度深い眠りについてもらう。
他人から見たら、ただイヤホンをした人だろう。
人から見た側面は一通りでも、一方で自分のやり方にはいくつも道がある。

ふとした雑感からここまで文章を組み立てることができた。
あとは今乗っている山手線が目的地に着く前に、投稿するだけである。

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