それは「協力」という言葉に失礼だろう
「協力」という言葉を、web辞典で引いてみる。
ある目的に向かって力を合わせること。 「事業に-する」 「 -を惜しまない」
(協力(きょうりょく)とは - Weblio辞書 より)
次に、世間で使われている例を挙げてみる。
1.赤い羽根共同募金に「ご協力」をお願いします
駅前でよく聞く呼びかけである。
この場合、募金に「協力」するかどうかは、駅前を歩いている人次第である。
募金しようがしまいが、その人の自由である。
募金しない人を糾弾する権利は誰にもないだろう。
2.事故防止に「ご協力」をお願いいたします
これもよく見る標語、よく聞く表現である。
事故を防止するかどうかは本人に委ねられているが、この場合、「協力」しないとまずいことになりそうだ。
「協力」しなかったら罰せらることがあるかもしれない。
とすれば、大体の人間は「協力」するだろう。
もちろん、「協力」しない選択肢もあるだろうが、望まれてはいない。
3.運転間隔調整への「ご協力」、誠にありがとうございました
これまたよく聞くアナウンスである。
この場合、「協力」する以外の選択肢が存在しない。
「私は協力したくありません」と言っても、運転間隔の調整をやめさせることはできないのである。
まさか2,3分の調整のために別のルートを選ぶわけにもいかないだろう。
人の意志によらず、従わざるを得ない「協力」である。
以上、3通りの「協力」の使用例を挙げてみたが、同じ言葉なのに随分とニュアンスが違う。
ここで、もう一度、「協力」の意味を確認したい。
ある目的に向かって力を合わせること。 「事業に-する」 「 -を惜しまない」
(協力(きょうりょく)とは - Weblio辞書 より)
意味を見るに、力を合わせることが大事なのである。
力を合わせて発揮するためには、反乱因子は極力少ないほうがよい。
仮に反乱因子の多さが強制力の強さと比例するとすれば、3番目の例において力が合わさっているかどうかは甚だ疑問である。
さて、今回のnoteのタイトルは「それは「協力」という言葉に失礼だろう」としたが、3番目の使い方は、まさに「協力」という言葉に失礼ではないかと思うのだ。
繰り返すが、もはやこれは「協力」ではなく「強制」である。
強制を協力に置き換え、さらにそれを強制された側に感謝している。
“運転間隔調整への「ご協力」、誠にありがとうございました”。
このアナウンスを聞くたびに、
「いや、協力した覚えはないんですけど」
という気持ちになるし、いったい何に感謝されているんだろうという違和感が湧く。
現に、ツイッターで検索をすると怒りにも似た声が多数ヒットする。
心が狭いと思われるかもしれないが、できれば正しい日本語を使ってほしいと思ってしまう。
だからと言って、毎回のように「遅れまして、申し訳ございません」とアナウンスするのは返って逆効果な気もするし、なかなか上手い表現が見当たらないが、
せめて「協力」というウソで誤っている表現は、やめてほしいものである。
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(そもそも、なぜ運転間隔の調整が必要なのか、知っている乗客はどれくらいいるのだろうか。まぁ、知られたところで、なかなか乗客の理解は得られにくいと思うのだが・・・ご興味のある方は以下のリンクをどうぞ)
(どちらかというと、運転間隔の調整はバスでやってほしい。バスの場合、遅れた1本に乗客が集中して、同じ行先の次のバスが数珠つなぎになって渋滞を引き起こしているのをよく見かける。これについては別の機会に。)
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