選択で悩めることの素晴らしさ
相変わらず備忘録として「リスト」を活用している。
上のノートにもあるように、「やらなきゃ」という感覚はだいぶなくなった。
今は、ちょっと時間ができたときに「何しよっかな〜」程度にリストを眺めている。
ときに、眺めていると何をするにもやる気がなくなり、漠然とスマホを見てしまうときがある。
リストにないこと、例えば「noteで記事書こっかな〜」というやる気も起きない。
何もせずに時間を浪費している感覚。
この感覚にはまだまだ慣れていなかった。
何かしていないと、やっぱり体がムズムズする。
でもやる気が起きない。
矛盾しているのである。
ところがある日、「実は選択肢で悩めるって素晴らしいことなんじゃないか」って思えた。
リストの中にある何かをしてもいいし、noteを書いてもいいし、何もしなくてもよい。
すべては自分で選んで決めることができる。
実はそれ自体が素晴らしいことなのではないかと、ふと頭の中をよぎった。
振り返ってみると、炎上プロジェクトに巻き込まれたときは選択肢を考える余裕すらなかった。
何かに縛り付けられて自由度がなくなっているときに、「〜ねばならない」に頭が支配されて、選択肢は意識の中からその存在を消してしまう。
だからこそ、選択肢を意識できること自体が、精神的に健康であることの象徴の一つかもしれない。
というわけで、今日の帰りの時間は、ちょっとのうたた寝とnoteの執筆という選択肢を選んでみた。
うん、健康的だったと思う。
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