ToDoリストと私
先日、イヤホンを家に忘れてしまったため、朝の移動で音楽が聴けなくなってしまった。
移動中にnoteを書けという、お告げだろうか。
結局全然筆が進まなかったけど。
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自分は忘れることが苦手だ。
「何やろうとしてたんだっけ」というモヤモヤ感が嫌いだし、忘れてたことによって後からボディブローのように影響が出てくるのも嫌いだ。
他人に迷惑がかかった時は、もっとダメージが大きい。
そんな特性があるからか、仕事でもプライベートでもToDoリストを作って、忘れたときのモヤモヤ感から逃げるような生活をしていた。
ToDoリストを消化していくのも、なんとなく快感だった。
でも、どこかで「ToDoリストを消化しなきゃ」って思っていたのも事実だ。
やらなきゃやらなきゃという感情が先行して、本当にやりたいことなのかどうかが見えなくなっていた。
おそらくそういう感情も、知らず識らずに自分を苦しめていたのかもしれない。
自分の感情を考えずに、リストの消化で満足感を得る。
そりゃ疲弊していくわなぁという感じだ。
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最近では、ToDoリストを見たときに「本当に自分がやりたいことなのか」を自問自答するようにしている。
以下の記事に書いたことを、note以外でも実践している形だ。
「本当にそれはやるべきことなのか」
「それを自分はやりたいと思っているのか」
こうやって自分に問うと、不思議と「ああ、やらなくていいかな」という気持ちになって、すごく気持ちが楽になる。
今まで何にそんなに追われていたのか、とてもアホらしくなってくる。
最近は上記の自問自答に慣れたのか、“やること”を放棄し「やらなくても世界は変わらねぇよ」とも思えるようになった。
やらなくても世界は変わらない。
やり忘れても死にはしない。
この思考は復職後も活かされるだろうか。
もうまもなく、効果を試す本番がやってくる。
(このnote、1/24くらいに最初の数行だけ書いたのだけど、そのあと執筆意欲がわかず放置してしまっていた。ようやく今になって完成させるに至るが、やはり「書きたい!」と思った瞬間に一気に書かないとモチベーションが湧かないですね。)
(ちなみに、noteに投稿したい題材もToDoリストのようにメモしてありますが、やっぱり後付けだと「書きたい!」という感情にならない。どうしたものか。)
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