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夫婦別姓なんでできない?同姓強制そんなの古くせい

夫婦別姓を求めて裁判が起こされていることは知っていたが、それがまさか自分の身に降りかかる悩みになろうとは1mmも思っていなかった。

発端は同棲していた彼女が妊娠したため籍を入れようとなったが、
私は姉が一人いる長男、相手は一人娘の長女。
お互いの親が姓の変更を認めない家存続をかけた仁義なき苗字戦争が始まった。

相手の親から聞かれた
「君はどちらの姓にしたいんだ?」

正直自分の苗字はランキングトップ3には入るであろうありきたりな苗字に愛着なんてものはなかった。

強いていえば、仕事で急に苗字が変わったらどうなるんだろうやっぱり困るかなぐらい。
なので率直に「こだわりないのでどちらでもいい」と答えた。

この発言がバルカン半島の火薬庫に点火するが如く親同士一歩も譲らない戦いの火蓋が切られたのだ。


戦いの幕開け


相手の親から
「では君の親を説得できたら私たちの姓にしてもらう、いいね」
という話になった。

それを自分の親に説明したところ、父親はその話を聞いて大激怒だった。

「婿には出さないし女の苗字にするなんて世間的にもありえないだろ!」
と声を荒げて怒られた。

私の実家はかなりの田舎にあるので、閉鎖的で価値観がかなり古い。
そのうえ父は婿養子だった。
父なりの苦労があったのだろう。


96%の人たちが結婚する男性側の姓にしていることを後から調べて知った。

もちろん親同士の話し合いは決着つかず本人同士で決めさせるとなった。

本人同士で決めると言いつつもお互いの親から猛プレッシャーをかけられることは想像に難しくないだろう。

私の母親からは精神病が悪化したとの報告、相手の親からは本人同士で決めるという言質を得たのが説得だという言葉のトリック。


後悔と人権と未来


私は率直な気持ちを言わなければ良かったと一瞬後悔したが、それは結果論な上に自分の気持ちを隠す必要などはまったく無意味なのだと思った。

そんなことで悩んでは一生すべてにおいて自分の気持ちを隠して生き続けなければならないのか?

時には気持ちを隠すことが得策な場面もあることは知っている。
しかしそれが自分の姓について決定する場面で隠すのはまったく別問題だ。

もしかしたら死ぬまで一生私が私として呼ばれる名前を決めることを私一人もしくはパートナーとだけで決めることは出来ない現実。

それは夫婦同姓という大きな壁が原因である。
どちらか一方の姓にしなければならないから親が許さない。

私たちは法の下に平等であるはずなのに、その法が一生呼ばれる名前を自由に決めさせない。

必ずどちらか一方の親は不幸な思いになる。

しかし少子化が進む現在では長男長女同士の結婚は珍しくないどころか、当たり前になってくるのではないか?

親が認めないから結婚はできないなんて、家を残したいという親の願望にとっては本末転倒。
自分で自分の首を絞めていることになぜ気付かないのか。
昔は一次産業中心で兄弟姉妹がたくさんいた時には問題にならなかったのかも知れない。
しかし今は産業構造がかわり核家族化がおこり一人っ子が多くなってきた。

すでに夫婦別姓を今議論していること自体が手遅れになっている可能性は高いだろう。
国際的に見ても先進国の中で夫婦別姓じゃないのは日本のみである。


民意は届くのか


2021年10月31日最高裁判所裁判官の国民審査が行われた。
国民審査とは裁判官を信任するか、それとも罷免(辞めさせる)するのか投票によって決める制度である。

過去罷免された裁判官は存在しないが、今回衝撃的な結果になった。

夫婦別姓を認めない民法の規定を合憲と判断した裁判官4人が不信任率の上位を独占した。

夫婦別姓を認めなかった裁判官の結果
深山卓也氏(7.85%)、林道晴氏(7.72%)、岡村和美氏(7.29%)、長嶺安政氏(7.27%)

夫婦別姓を認めた裁判官の結果
宇賀克也氏(6.88%)、草野耕一氏(6.73%)、三浦守氏(6.71%)

東京都だけで集計すると深山卓也氏の不信任率は11.68%にのぼると朝日新聞の記事がある。
過去最高が15.17%から考えると東京都のみとはいえ11.68%がいかに驚異的な数字かわかるだろう。

そして全国と東京都の数字の差は、やはり地方と首都圏の価値観の隔たりと、これから結婚を考えている人や結婚した人が夫婦同姓問題に当たった人の人数の違いから生まれるものだろう。

共働きでないと東京で結婚し家庭を築くのは不可能に近い。
そして共働き世帯には夫婦同姓は足枷でしかない。

2021年の夫婦同姓をめぐる最高裁判所の判断は違憲ではなく、国会によって審議されるべきというものだった。

無難な判決ではあるが、本質は法の下に夫婦同姓は平等なのか?
という疑問だと思う。
別姓を選択できない現状は問題だろう

そして高齢者が高齢者のための政治をしている国会では、審議すらされることは無いだろう。

その考えに至った瞬間、世間で裁判になるほど話題になっている
“夫婦別姓”
それが冬の朝に冷たい水で顔を洗い眠気から強烈に覚まされた時の感覚のように夫婦同姓の深刻さに気付いたのだった。



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