唯信◆2022(令和4)年12月号【高僧和讃:源空讃】より。
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唯信◆2022(令和4)年12月号
謹みて 師走の候、有縁の皆さまにおかれましてはお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。世界中の様々な出来事が〝値上げ〟となって私の生活にも及んできました。気持ちがささくれますが、ため息とともにお念仏申すご縁を重ねて参りたいと思うばかりです。
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真の知識にあふことは
かたきがなかになほかたし
流転輪廻のきはなきは
疑情のさはりにしくぞなき
【高僧和讃:源空讃】
【意訳】真実の善知識に出会うのは、難しいことの中でも特に難しい。迷いの世界を果てしなく生れ変り死に変りし続けるのは、まさしく本願を疑うというさまたげによるのである。(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)
善知識(ぜんぢしき)…悪知識に対する語。善き友、巧みな教化者(きょうけしゃ)。
仏教の道理を説いて仏道に縁を結ばせる人。また、ともに仏道に励む者をいう。
本願念佛の教えを自ら信じ、正しく伝えて下さる人。
悪知識…悪い教えを説いて人を誤った道に導く者。
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親鸞聖人さまは、二十年もの歳月を比叡山での成仏道の勉学と修行に励まれた果てにあって、尚も自らの心がさとりの道へと至らない現実に深い迷いと苦悩に切迫されておられました。その迷いと苦悩に沈む愚かな身を摂め取って決して捨てられない阿弥陀如来さまの《摂取不捨の救い》の教えをお伝え下さった法然聖人(源空聖人のこと)を生涯善知識さまと仰がれました。たとえ勝(すぐ)れた教えがあっても、その本質を正確に伝えて下さる方がおられなければ千載一遇のご縁に遇うことは叶いません。正しくご本願の教えを聞くことも出来ず、愚かな身を知ることさえ出来ずに真実の教えを疑う心が妨げとなって真実に遇えず、むなしく迷いの世界を流転していたと、恩師のお導きへの深い深い感謝と崇高な念いを和讃として詩われました。
善知識さまとは「私を正しい仏法へと導いて下さる方」ですから、決してひとりとは限りません。また、「先生」であることも絶対の条件ではありません。それでも、親鸞さまにとっては、法然聖人さまは唯一無二の恩師であられました。
真実ではないものを真実と思い込み、まるで幻を追うように仏智の光明を知ることもなく闇の中に沈んでいる「私」の姿にいかにして気づくことが叶うのでありましょうか。不思議にもこのパンデミックの世にありながらも縁ある人の死を悼み、建墓し納骨し、亡き方と生きた時間の記憶に思いを馳せます。情の深い存在であるが故に、「私」は「私」を持て余す愚かで悲しい実像に触れるのかもしれません。
よくよく「私」を見つめ直してみますと、この世に生まれる縁を結んでくれた両親をはじめ、「私」を「私」たらしめた数多のご縁がありました。しかしながら、「この私を」お浄土へ生まれさせ必ずや佛に成らしめると誓い願われている阿弥陀さまのご法徳を教えて下さる方に出遇うことは、まさに難中の難です。私たちが親鸞さまの勧めてくださる本願念仏に遇うことは不思議の中の不思議です。宗祖・親鸞聖人さまも『正信偈』二句目に『南無不可思議光』と讃仰しておられます。そのご教示を有り難く拝受させて頂き、この一筋の白き道を共々に歩いて参りましょう。
合掌称佛
住職 北條不可思
このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる 浄土真宗本願寺派 眞信山 蓮向寺【相模原市当麻・九坊院】 有縁の方々にお送りいたしました通信です。
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