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一々いちいちのはなのなかよりは 三十六百千億の 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし/浄土和讃 親鸞聖人御作 ♦唯信:九坊院より言の葉だより♦2020年8月発信【Posted Article Scrap】


♦唯信:九坊院より言の葉だより♦2020年8月
謹みて 有縁の皆さまにおかれましてはお念仏御相続のことと拝察申し上げます。ようやく梅雨明けを迎えましたが、厳しい事象の続いた七月をいかがお過ごしになられましたでしょうか。
『いつも通りに』物事が決められない要因は様々ありますが、去る7月23日にサン・ライフ相模原会館様の会場をお借りして、ご参集の方々にはコロナ感染防止対策にご理解ご協力をお願いし、当山盂蘭盆会を勤修出来ましたことに安堵しております。
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 今しばらくは、『集う事、話す事、歌う事』を注意深く抑制しなければと思います。
感染症対策が重要だということは承知していても、〝自分が自分らしくいられる事〟を皆無にすることに人はどこまで耐えられるのでしょうか。努力が追い付かない自然の猛威を前に人は等しくまったくの非力だと認めざるをえません。そんな「わたし」だからこそ、素直に絶対の正解はないという事実を受け入れながら、『息苦しい不寛容な社会』の住人にならない在り方を考えていきたいと思います。
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一々いちいちのはなのなかよりは 三十六百千億の
光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし
【意訳】浄土にあるそれぞれの花の中からは、六つの光(青・白・玄・黄・朱・紫の六色の光)が織りなす無数の光が明るく輝き、ひろく世界を照らして、至り届かないところはどこにもない。(浄土真宗本願寺派『三帖和讃』)
『三帖和讃』は、『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』の総称ですが、前出の和讃は、118首が収められた『浄土和讃』に著されました。
 私はいつも、親鸞聖人さまのエネルギーの発露に驚嘆してしまうのですが、研究書によりますと、『浄土和讃』『高僧和讃』を76歳の時に書き上げ、その後もたびたび補訂を続けられたそうです。『正像末和讃』においては、86歳で一応まとめられながらも補訂は生涯をかけて行われたと伝えられています。阿弥陀如来さまのお徳やお浄土のご様子を讃嘆し、いつか往く(往生をとぐ)ことが叶うご本願とのお出遇いをよろこばれておられたお気持ちが伝わってきます。そして、完璧に仕上がった世界であるお浄土を思えば、いかに自分が生きている今生(この世)が未完で不完全かをより深く知ることができます。
 共命鳥(ぐみょうちょう)というひとつの身体にふたつの頭(心)を持つ鳥にまつわるご法話で聞かれた方もおられると思いますが、とにかく憎しみ合いの象徴なのです。相手のことが殺したいほど嫌いなのに、離れることも叶わない悲しみと怒りの象徴です。けれどもひとたびお浄土に生まれれば、心の呪縛が解き放たれて争いもなく、美しい声で啼きながら浄土の空を飛びまわるのです。
 たとえば、コロナ禍にあって、医療従事者の方々に感謝する一方でそのご家族へ排他的な差別をする気持ちは、まさにひとつの身体にふたつの心ではないでしょうか。私たちの心に共命鳥がいるのではないでしょうか。私は、自分の中の共命鳥をお浄土での姿のように、美しく啼き、穏やかに飛び回らせて鎮めることは出来ません。ですから、人にもそうするべきだとは申せません。しかしながら、人に誇れない身勝手な思いを持って生きている事実を認め、自らの非をみつめる努力は忘れたくないと思うのです。そして悲しいかな、人は忘却の生き物です。阿弥陀如来さまのお徳を頂き、何度も何度も自らの本当の姿(泥どろ凡夫ぼんぶ)を知らして頂くことが最も肝要と思い至ります。
 いよいよ猛暑本番、ご自愛の程念じ申し上げます。 
                                                                                                          合掌称佛

                           眞信山蓮向寺  住職 北條不可思

❝いつでも どこでも NAMO-AMIDABUTSU ナマンダブ NAMOWAMIDABUCHI❞

このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる蓮向寺有縁の方々にお送りいたしましたものですが、本ブログへもアップさせて頂きました。


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『野聖物語 (やひじりものがたり)』《1987年作》
【原題:野の聖:nono-hijiri】
親鸞聖人『Shinran-Shonin of my mind』

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