{}唯信◆2024(令和6)年11月号 💎:九坊院より言の葉だより&和讃の時間{}曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし{}【高僧和讃{源空讃}♦親鸞聖人】
唯信◆2024(令和6)年11月号
謹みて 向寒の時節を迎え、有縁の皆様におかれましては気忙しい日々をお過ごしとは存じますが、いよいよお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。いよいよ朝晩の冷え込みは厳しさを増しますが、くれぐれもご自愛の程念じ申し上げます。
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曠劫多生のあひだにも (こうごうたしょうのあひだにも)
出離の強縁しらざりき (しゅつりのごうえんしらざりき)
本師源空いまさずは (ほんしげんくういまさずは)
このたびむなしくすぎなまし (このたびむなしくすぎなまし)
【意訳】果てしなく長い間、生まれ変り死に変りし続けてきたものは、迷いの世界を離れさせる本願のすぐれたはたらきを知らなかった。もし源空聖人がおられなければ、このたびの生涯もむなしくすごしたことであろう。
(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)
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源空聖人(浄土宗開祖・法然聖人)さまは、親鸞聖人さまがそのご生涯を通して『よき人』と慕い、恩師と仰がれた『善知識さま』でありました。
『善知識(ぜんぢじき)』とは、一般的な仏教用語では『悪知識』の対語であり、巧みな教化者、正しい道に導く者、ともに仏道に励む者といった意味ですが、浄土真宗においては、本願念仏のみ教えを勧め導く師であり、その存在なくして真実信心を賜るご仏縁を望めません。この御和讃をご拝読しますと、真の善知識さまとのお出遇いは、いかなる時にも心の奥底に歓喜の念いを響かせてくれるとお聡し賜るのです。まさに本願念佛の詩響です。
自ら積んだ善根(すなわち比叡山での自力修行の日々)では、自らが望む悟りの境地に至ることが出来ないという深い挫折と絶望が吉水門下となる大きな機縁となったことは広く知られています。
二十年にも渡る修行に打ち込まれた歳月を捨てるという事が、どれほどの決断なのか、いかほどの痛みを伴うのか、想像することも難しいです。
しかし、親鸞さまはご決意なさいました。そして、法然さまの専修念仏の門戸をくぐられたのでした。『歎異抄』には、法然門下として過ごされた日々の一端が綴られています。(現代語訳付き本願寺出版社刊『歎異抄』を、機会があれば手にして頂ければと存じます)
愛別離苦は仏教においては人間の逃れられない苦悩の因の一つでありますが、離れがたい人と離れざるを得ない状況は法然門下として充実した聞法の日々を過ごされていた親鸞さまにも訪れました。
九十歳の命寿尽きるまで法然聖人さまを善知識さまと仰がれましたが、実際に法兄と共に師のご法話をお聴聞なされた日々は六年余りでした。
人生は出会いと別れの連続かもしれません。我が人生において不可欠な人や出来事もあれば、悔悟や後悔等の苦い記憶を呼び覚ますものも。主体的に得られる場合もあれば、回避出来ない事や無自覚な事も。
しかし、真実のみ教えとの出遇いの架け橋となって下さる善知識さまとの邂逅は、「私」が往生浄土を遂げる千載一遇の出来事です。どこから来てどこへ向かうか何も分からない「私」が、生まれ出でた眞の意味と向うべき方向(西方浄土)への道筋を教え示して下さる善知識さまです。仏とも法とも知らぬ「私」を不可思議にも御仏前に導き、阿弥陀さまの大慈悲心をお聴聞させて頂く御法縁となっていつでもはたらいて下さる唯一無二の尊く有難い方であります。
合掌称佛
住職 北條不可思
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🔶心に慈慧の響きと平安を🔶
💎プロフィール&リンク:note:💎
【Activity history/活動略歴;1961~2010】#2
【Activity history/活動略歴;2010~2023】#3
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「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の幻影
{御影向の眼差し}
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(西本願寺蓮如フェスタ1998年)
{}親鸞聖人大谷本廟750回大遠忌記念{}
献歌コンサート「恩徳讃歌」2009年
(西本願寺特設ステージ)
『響流和讃:こうるわさん』
『響流和讃 : 恩徳讃歌』(2001年作品)
【親鸞聖人750回大遠忌記念献歌:(2011年発表) 】
★親鸞聖人御作;恩徳讃
如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
★親鸞聖人御作
無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ
★親鸞聖人御作
願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず
★北條不可思献詩
弥陀の願いをたずぬれば
さまよう我ら(泥凡夫の私)がためなりと
智慧慈悲際無き MAMO-AMIDA
あやしき闇夜に 響きおる
★ 親鸞聖人御作;恩徳讃
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
骨をくだきても謝すべし
Copyright© 2001,2006 renewed 2009 by Special JION Music
親鸞聖人の御和讃はそのままが尊く、懐かしく、有難い
それでもなお湧き起こる言の葉があるなら
詩を書き讃歌すればよい
NAMOWAMIDABUCHI
Song & BowzuMan
♦唯信:九坊院より言の葉だより♦
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~この逆謗の穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU
『心に阿彌陀如来様の慈慧の響きと平安を』
北條不可思
法名:釋難思