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『いつの日か』(1994年発表)💎 龍仙寺様(広島県;府中町)&俳優・三國連太郎氏ヘ呈上

🔶​平安を​​ウクライナに🔶

NAMOWAMIDABUCHI
【この穢愚身 唯今ここに 帰命尽十方無碍光如来】

北條不可思/法名:釋難思


TVK (yokohama)/OSHABERI TOMATO:1987

『いつの日か』

on guitar(スライドギター)日倉士歳朗氏

(1994年作・発表)

いつの日か世界中の それぞれの花が咲き誇る

いつの日か壁を超えて 青い星の惠分かち合う

人は誰もが愛と敬いに目覚め生きる日を願っている

いつの日か争いの 愚かさを知って認め合う

いつの日か憎しみの剣を莢:sayaに納めて捨てる

人は誰もが愛と敬いに目覚め生きる日を求めてる

人は誰もが愛と敬いに目覚め生きる日を願っている

人は誰もが愛と敬いに目覚め生きる日を求めてる

「眞に愛敬:aikyouのある人になりたいものです」

北條不可思

龍仙寺様(広島県;府中町) & 俳優・三國連太郎氏ヘ呈上

http://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/200602250001/

Music&lyrics:Copyright © FUKASHI HOJO1994

現代和讃を謡う吟遊詩人へ

メッセ-ジ フロム 三國 連太郎 (1994年)

北條さんの声と歌に、言葉よりも音楽の方が

心に浸透する力が大きいことを実感させられてしまった。

これは、現代の和讃ではないか。

つまり、

今の言葉で、今の音楽で綴られた仏教讃歌だと感じたのだ。

新しい文化の誕生と言ってもいい。

ところで、文化というと古めかしいものと思われがちだが、

現在の古典が誕生した時には、

すこぶる新鮮でセンセ-ショナルなものだったのではないか。

それがいつの間にか形骸化して、


真意が全然伝わってこないと感じてしまう。

とするなら、北條さんの歌、否、存在そのものが、

いまだかつてなかった稀有なものではなかろうか。

きっと<北條不可思>は、常に待たれていた存在だった。

だが、待っている側が待っている対象を明確に出来ないから、

結局自ら名乗りを挙げるしかなかったわけだ。

俳優の僕は、演じる役を鏡に人間の、

しいては自分の愚かさや可愛さを見つめることを楽しんでいる。

己に忠実であるために降板するのはそのためだ。

北條さんは、そこを徹底したノンフィクションで

やりこなす強靭な人でもある。

だから、伝統教団の中にあって、

迎合せず異端にならず自分の言葉で語るなんていう

困難極まりないことができるのだ。

だいたいどんな組織でも、

体制の中でラクに生きることばかり考えているのだろうから。

北條さんの存在は、言葉が言葉として魂を持っていることの、

命の通う言葉の存在の証のように思えてならない。

私の大好きな渡辺えり子さん(作家、女優)は、

40を過ぎても6歳のごとき濾布を持っている。

まるで、生まれっぱなしの純粋さで社会の出来事を濾過させているようだ。

北條さんにも、今の濾布を持ち続けてほしい。

そうやっていかれたら素敵な宗教者になられるという期待がある。

まずは、吟遊詩人のように弾き語り、

声をからして頂くのが一番ではなかろうか。

三國 連太郎

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

メッセ-ジ フロム 新井 満 (1994年)

小説を書く医師や教師がいる。

絵を描く主婦もいれば、

陶芸をする映画監督もいる。

同時に様々な形で自己表現をしようとする芸術衝動を、

決しておさえこんではいけない。

なんとなれば自己表現とは生きることに外ならないからである。

僧侶・北條不可思の歌を聴いた。

人生の謎と美と真実に一歩でも近づこうとして疾走する、

一人の男の歌を聴いた。

新井 満

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

推薦文

わが宗門より仏様のおこころを

歌にのせて

一人一人のいのちへ語りかける青年僧侶が登場しました。

仏様の限りない呼び声に老若男女を問わず誰もが

いのちの尊厳に聞き入ることであります。

どうぞ一人でも多くの方へお伝え下さい。

浄土真宗本願寺派

総長 松村了昌

1994年 平成6年4月6日

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

このメッセ-ジは
1994年6月CDアルバム
「TEARS OF CLOWN・道化師の涙」発表に際し、
ライナーノーツとして
俳優・三國連太郎氏、作家・新井満氏に、
推薦文として
浄土真宗本願寺派 総長(当時)松村了昌師に、
寄稿して頂きました文章です。

☆彡☆彡★★★★★★★★☆彡☆

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HIROSHIMA
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-144.html

🔶平安を​​ウクライナに🔶
🔶NAMOWAMIDABUCHI🔶


MASK NO JIDAI,MASK NO ❝pierrot❞
《 マスクの時代、マスクの道化師》
DrawingCopyright © 2021 CASSIE:FUKASHIHOJO
❝Covid19 新型コロナウイルス ・地球規模大流行❞
敬愛する友よ
新型コロナウイルス
地球規模大流行を乗り越えよう
-油断に気を付けて-

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唯信◆2022(令和4)年5月号
謹みて 有縁の皆さまにおかれましてはお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。コロナ禍も3年目となり、境内地(駐車場)ではツバメが3度目の巣作りをしています。新しく受け入れた事、あきらめた事、慣れた事、慣れない事…いろいろあると存じますが、迷い揺れる心をこそ『弥陀の願船』にお任せして参りたいと願うばかりです。

   *

平等心をうるときを 一子地となづけたり
一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし



【意訳】すべてのものを分け隔てなく見る心を得る境地を、あらゆるものをひとり子のように哀れむ一子地と申し上げる。この一子地は仏性である。浄土に至ってはじめてさとることができる。
(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)
平等心…煩悩の火が消えた境地、一切にとらわれるべき性質がないという平等法を身につけているので、自他、善悪、その他すべてを平等に見ることが出来る。
一子地…迷いの世界の一切の衆生(生きとし生けるものすべて)を一人子のように愛する心。仏のはたらきなので「仏性」ともいわれる。

   
 正信念佛に生きる人は、安養(あんにょう/お浄土)に生れさせて頂き、阿弥陀仏と同じさとりを開き、衆生のだれをも一人子のようにあわれむ大慈悲心の境地を得させて頂けると、阿弥陀如来さまのおはたらきを讃えて詠まれました。親鸞聖人さまは、常に、ご自身の『仏との対話』を私たちに聞かせて下さいます。ですから、この御和讃を通して、親鸞さまが『私を一人子として尊く深い阿弥陀仏は大慈悲心をかけて下さっている』というよろこびと、そのはたらきへの深い報恩のお気持ちが伝わってきます。さらには、往生の素懐を遂げてお浄土に生れさせて頂く瞬間に、阿弥陀仏と同じ境地を得て、地獄に落ちるよりほかはない「私」が阿弥陀仏と同じに衆生を一人子のように慈しむことが出来るはたらきを恵まれる確信を喜ばれて、時空を超えた阿弥陀仏のはたらきにおまかせして今生を生き抜く、すなわち、真実信心に生きることを勧めて下さっている親鸞さまのお心がひしひしと伝わって参ります。

   
 ところで、この御和讃で詠われている平等心は阿弥陀さまのお心のはたらきです。寂滅平等法身(じゃくめつびょうどうほっしん)の心を示していると伺っています。一切を平等に見るとは、一切にとらわれるべき性質がないという平等法を身につけているということです。
私は幼い頃からご法義話に触れる自覚もないままに接しておりました。1年の3分の2を布教で寺を離れている父が戻ると、両親が日常会話のように交わすご法義話が始まります。物心がつく頃には、私の知る平等は、仏様の平等でした。「人が願う正しさや等しさは、ただ我が思いで描く正しさや等しさであり完全円満にはならない」という自覚こそが大事だと、五十音を習う前に身に沁みておりました。今にして思えば、もう少し世の中で融通の利くように教え導いてくれても良かったのでは?とも思いますが、それでも五、六歳の私は、自坊の法要にご出講されたご講師と父との本願寺派布教使同士の熱いご法義話をその傍らで静かに聞いていることが何よりも大好きでした。 
 そんな訳で、小学校入学以来、教室で語られる『平等』に疑問や違和感が生じました。ふと、今まさに現役の学生の方々に社会通念上の道徳心や正義感で語られる平等に違和感を抱きませんかと、お尋ねしたくなります。そして、もし感じるならば、その感じる心を大切にして頂きたいと思います。必ず善悪を超えた真実の平等心に遇えると信じます。
いつでも、どこでも、どんなときでもナモアミダ――                       
                              合掌称佛
                         住職  北條不可思

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Equality,Freedom and dignity
~自由と尊厳を平等に~


🎼「影の影」🎼
【Shadow on shadow】

https://fukajion.blogspot.com/2020/01/shadow-on-shadow-2007.html


❝Song&BowzuMan❞
【Born】
October 14, 1961
Hiroshima, JAPAN
🔶
浄土真宗本願寺派 僧侶
シンガーソングライター
1961年生まれ:広島県出身
1981年得度

1964年

1981年
🔶枯れ葉の願い-1981年親鸞聖人報恩講を機縁に-🔶

https://note.com/dabuchi39180428/n/ncac4303476a9

Song & BowzuMan”
since 1981

https://note.com/dabuchi39180428/n/n34599bc4b758

西本願寺
蓮如上人500回遠忌メッセージイベント
 蓮如フェスタ/西本願寺特設ステージ
♦(1998年)♦
『風は炎の如く』蓮如上人500回遠忌記念(1998年作)


🎼『風は炎の如く』🎼
(1998年作品)
蓮如上人500回遠忌記念

《official version》
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現代和讃を謡う吟遊詩人へ
メッセ-ジ フロム 三國 連太郎 
(1994年)
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-117.html



~現代和讃を謡う吟遊詩人へ~
メッセ-ジ フロム 三國 連太郎 (1994年)
北條さんの声と歌に
言葉よりも音楽の方が心に浸透する力が大きいことを
実感させられてしまった
これは、現代の和讃ではないか。
つまり
今の言葉で
今の音楽で綴られた仏教讃歌だと感じたのだ。
新しい文化の誕生と言ってもいい。
ところで
文化というと古めかしいものと思われがちだが
現在の古典が誕生した時には
すこぶる新鮮でセンセ-ショナルなものだったのではないか。
それがいつの間にか形骸化して
真意が全然伝わってこないと感じてしまう。
とするなら、北條さんの歌、否、存在そのものが
いまだかつてなかった稀有なものではなかろうか。
きっと<北條不可思>は、常に待たれていた存在だった。
だが
待っている側が待っている対象を明確に出来ないから
結局自ら名乗りを挙げるしかなかったわけだ。
俳優の僕は、演じる役を鏡に人間の
しいては自分の愚かさや可愛さを見つめることを楽しんでいる。
己に忠実であるために降板するのはそのためだ。
北條さんは
そこを徹底したノンフィクションでやりこなす強靭な人でもある。
だから
伝統教団の中にあって

迎合せず異端にならず自分の言葉で語るなんていう
困難極まりないことができるのだ。
だいたいどんな組織でも
体制の中でラクに生きることばかり考えているのだろうから。
北條さんの存在は言葉が言葉として魂を持っていることの
命の通う言葉の存在の証のように思えてならない
私の大好きな渡辺えり子さん(作家、女優)は
40を過ぎても6歳のごとき濾布を持っている。
まるで生まれっぱなしの純粋さで
社会の出来事を濾過させているようだ。
北條さんにも
今の濾布を持ち続けてほしい。
そうやっていかれたら素敵な宗教者になられるという期待がある。
まずは
吟遊詩人のように弾き語り
声をからして頂くのが一番ではなかろうか。
三國 連太郎 
🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶
メッセ-ジ フロム 新井 満 1994
小説を書く医師や教師がいる。
絵を描く主婦もいれば、陶芸をする映画監督もいる。
同時に様々な形で自己表現をしようとする芸術衝動を
決しておさえこんではいけない。
なんとなれば自己表現とは生きることに外ならないからである。
僧侶・北條不可思の歌を聴いた。
人生の謎と美と真実に一歩でも近づこうとして疾走する
一人の男の歌を聴いた。
新井 満
🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶
推薦文
わが宗門より仏様のおこころを
歌にのせて一人一人のいのちへ語りかける青年僧侶が登場しました。
仏様の限りない呼び声に老若男女を問わず誰もが
いのちの尊厳に聞き入ることであります。
どうぞ一人でも多くの方へお伝え下さい。
浄土真宗本願寺派
総長 松村了昌
1994年 平成6年4月6日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
このメッセ-ジは1994年6月CD「TEARS OF CLOWN・道化師の涙」
(日本クラウン/パナムレ-ベル)メジャーリリースに際し
ライナーノーツとして
俳優・三國連太郎氏
作家・新井満氏に
推薦文として
浄土真宗本願寺派 総長(当時)松村了昌師に
寄稿して頂きました文章です。
北條不可思
法名:釋難思
南无阿彌陀佛
NAMOAMIDABUTSU


🔶
PRESS/MAGAZINE scrap
【音楽表現活動メディア紹介スクラップ】

http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-252.html
🔶

『Tears of Clown/道化師の涙』
[1994年発表]日本クラウン/パナムレーベル

https://note.com/dabuchi39180428/n/n443b3fba88c6?magazine_key=m33cabdb9c5fb

❝歌うお坊さん❞
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-240.html
枯れ葉の願い
-1981年親鸞聖人報恩講を機縁に―
 
https://note.com/dabuchi39180428/n/ncac4303476a9


🎼『遊牛の詩』🎼
(1996年作品)
「歎異抄」第三条を機縁に
~善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや~


世界的に知られる
親鸞聖人語録「歎異抄」第三条の言の葉の放つ響きと
重度障害を持つ、息子・慈音との生活の中から
インスパイアされ生まれ出でた詩曲[遊牛の詩]を書き上げる。
Song&BowzuMan・歌うお坊さん
/北條不可思の代表作の一曲となる。
北條不可思にとっての
Like A Rolling Stone;BOB DYLAN」であり恩徳讃歌。
🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶

PhotographCopyright © Louis Ozawa 2002 :Hollywood movie actor
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-190.html

広島平和記念(原爆)資料館メモリアルホール エントランス


『縁絆・野聖メッセージコンサート特別公演』故郷 広島
広島平和記念(原爆)資料館メモリアルホール
♦(2002年)♦

http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-144.html


United Nations Headquarters Building Entrance Hall2004
(国連本部2004)
ニューヨーク🔶1999:NEWYORK:2004🔶ニューヨーク
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-220.html


United Nations Headquarters Building Entrance Hall2004
(国連本部2004)
🔶ニューヨーク🔶1999:NEWYORK:2004🔶ニューヨーク
🔶http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-220.html


MAGINE+GIVE PEACE A CHANCE
&Blowin’in the Wind /no more auction block
With JION's bell★by Fukashi Hojo# 2022
『イマジン』&『風に吹かれて』そして尊厳の鐘(北條慈音)
IMAGINE&Blowin’in the Wind With JION's bell★by Fukashi Hojo

http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-709.html

(龍谷大学大宮学舎本館講堂:京都/重要文化財)


縁絆コンサート特別公演
(龍谷大学大宮学舎本館講堂)
(2004年&2006年)

http://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/200606120000/

{Eagle caster}

KellyGuitarsCustom


🎼『曇り硝子の四行詩』🎼
(2021年作品)
-親鸞聖人の御和讃を念ふ-
親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年(2023年)を機縁に。

『曇り硝子の四行詩』
(2021年作)
作詩・作曲 北條不可思

WRITTEN BY: FUKASHI HOJO
馬鹿なMONK(僧侶)の絵空事 語りつくせぬ独り言
言の葉,紡ぐ老詩人【その実(unvoiced)】 空を見つめてうわの空
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻を踏む~ だから 音符は宇宙を舞う
夢と悪夢の空遠く 幸い住むと鷽(うそ)が啼く
今も昔も 未来まで
 幸い住むと鷽(うそ)が啼く
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻(因:真実信心)を踏む~ 
だから 音符は宇宙を舞う
表拍子と裏拍子 凍(い)てつく瞼の変拍子
朝な夕なの念佛は 閻魔が阿弥陀に還る音
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻(信心正因:真実信心)を踏む~ 
 だから 音符は宇宙を舞う(​​​称名報恩)
Produced by GURAGYU
Copyright © 2021 by Special JION Music
Fantasia Records de JION MusicFactory


摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇

顕浄土真実教行証文類 顕浄土真実行文類 正信念仏偈より

Documentation Series #10 通算23作目
『群れと源流:LIFE&ORIGIN』収録

https://note.com/dabuchi39180428/n/n643fa70cf8bb?magazine_key=m33cabdb9c5fb

❝音楽講演❞
築地本願寺本堂
2005年


『縁絆コンサート』国立療養所長島愛生園特別公演 ♦(2006年)♦
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-12.htmll


Song & BowzuMan”since 1981
&
ENBAN “縁絆・野聖物語” concert endlesstour since 1996
♦北條不可思CD作品制作一覧♦
(Song Collection Album)1994~2023

https://note.com/dabuchi39180428/n/n643fa70cf8bb


親鸞聖人大谷本廟750回大遠忌記念
献歌コンサート「恩徳讃歌」 (2009年)
会場:西本願寺
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-194.html

親鸞聖人750回大遠忌法要 写真大鑑より
浄土真宗本願寺派 刊

❝Song & BowzuMan❞
♦洋装の法衣と帽子を着けて歌い語る訳♦
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-87.html

2022年
枯れ葉の願い
-親鸞聖人報恩講を機縁に―
https://note.com/dabuchi39180428/n/ncac4303476a9
🔶♦♦♦♦☆彡☆★★★★★★★★☆彡☆♦♦♦♦ 🔶
~この穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
❝Song &Bowzu Man❞Profile & Links
浄土真宗本願寺派 僧侶
シンガーソングライター
1961年生まれ:広島県出身
1981年得度
🔶
🔶
♢北條不可思:愚螺牛:プロフィール&リンク集♢
❝Song & Bowzu Man❞Profile & Links
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-34.html
🔶
https://namowamidabuchi.blogspot.com/2021/07/song-owzu-manprofile-links.html
🔶
♦北條不可思CD作品制作一覧♦
(Song Collection Album)1994~2023
https://note.com/dabuchi39180428/n/n643fa70cf8bb
🔶
♦ブログⅡ・愚螺牛雑記:
https://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/
🔶
♦ブログⅠ・愚螺牛雑感記《Blog officiel de Singing monk》♦
http://fukashi.blog50.fc2.com/
🔶
【Activity history/活動略歴;1961~】
#2 ・・・略歴#1は、 此の世に生まれる前なので わからない。
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-240.html
🔶
PRESS/MAGAZINE scrap
【音楽表現活動メディア紹介スクラップ】
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-252.html
🔶
PhotographDocumentaryList
【フォト・ドキュメントリスト】
 (Documentation:phonograph) 
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-193.html
🔶
♦縁絆・ミュージシャン・フォトグラファー・客演者♦
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-221.html
🔶
〝歌うお坊さん/Song & BowzuMan″
39年(Thank You)をchachattoちゃちゃっと総ざらい
https://note.com/dabuchi39180428/n/n7ebd2d9dd46a?magazine_key=m55718403f26e
🔶
『時が流れて』Odetta M
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-852.html
🔶
Song & BowzuMan memo& notes
https://note.com/dabuchi39180428
🔶
JION:北條慈
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-229.html
🔶
🔶♦♦♦♦☆彡☆★★★★★★★★☆彡☆♦♦♦♦ 🔶
♦1981年 得度を機縁に♦
親鸞聖人が表現し体現された
非僧非俗の精神と風格を仰ぎ
無位無官、在野の僧侶としての
活動【生活】を基本とし、
1981年(昭和56年)得度を機縁に
あえて
"Song & BowzuMan=歌うお坊さん"
Message Performing Artistとして、
真実の『縁』と『絆』
『命の尊厳』と『心の平安』を
キーワードに国内外で、
国境・人種・文化・信教・・・・をも越えた
メッセージパフォーマンス
(コンサート、音楽講演)と作品制作(CD・BOOK・etc)を中心に
独自の音楽表現活動(ライスワークでもライフワ-クでもない)を展開。
🔶
現代和讃を謡う吟遊詩人へ
メッセ-ジ フロム 三國 連太郎 
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-117.html
🔶
フォト・ドキュメントリスト
PhotographDocumentaryList
(Documentation:phonograph)

http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-193.html

♦北條不可思*Official Site♦
☞❖ http://fukashihojo.com./ ❖☜
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南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU
『心に慈慧の響きと平安を』
北條不可思