それでも夢を追いかける ―猪狩渉挑戦記#3
「NBA選手になりたい」その思いだけを胸に猪狩渉は当時所属していたBリーグクラブを退団し、海を渡った。しかし、それと同時に社会状況は一変し、思うようにいかない時間を過ごすことになった。それでも、信念を曲げずに進み続け、猪狩渉は次の章へ向かう。
宮本 猪狩選手は能代工業でプレータイムがない状況で、スラムダンク奨学金に応募して、合格してアメリカに行きました。日本とアメリカを行き来して、一番の気づきは何ですか?
猪狩 気づきかー……。
宮本 これは個人的にすごく知りたいところです。ダブドリVol.13のスナックささらでも話していたけど、スラムダンク奨学生を含め海外に渡った選手やコーチのほとんどが日本に帰ってきます。NBA選手になりたい、海外でプレーしたいという思いで飛び出した18、19歳のときと、Bリーグが誕生し、渡邊雄太選手と八村塁選手がNBA選手になり馬場雄大選手や富永啓生選手が続いている25歳の今とでは日本バスケの世界観はかなり違いますよね。それに伴って、失礼な言い方ではありますが、猪狩選手がプレーしたABAなどはレベルが低くみられるようになったと思います。それでもこの状況下でトライして得られた気づきが今回の渡米のキーワードになるんじゃないかなと勝手に思いました。
猪狩 そうですね。やはり昔と比べてアメリカに行く、プレーするハードルは低くなったと思います。それは田臥勇太選手から始まって、富樫勇樹選手、そして先ほど名前が上がった現在活躍する選手達のおかげです。そのなかで、確かに僕のように独立プロリーグでプレーしたり、NCAAのディビジョン2や3でプレーするスラムダンク奨学金の選手達が昔と比べて正当な評価をしていただけないなというのは正直感じます。でも、僕達が挑んでいる、見ている世界は世間の評価とは関係のないところで、ワクワクするというか、楽しみややりがいをそれぞれが持っていると思うんです。レベルは違えども、僕がNBAを目指している気持ちは実際にそこで活躍している日本人選手となんら変わりはないですし、僕ができることは全力でNBAを目指していくことで、そこに周りの評価は関係ないです。あくまで自己満足の世界だと思っていますから、その場所がGリーグじゃなくても、NBAを目指す気持ちは変えずに頑張ることで、周りの人達も応援してよかったなって思えるような結果を残せたら、すごく幸せだなと思います。
宮本 それは自分の人生だなっていう……。
猪狩 そうですね。周りと比べたらキリがないので、自分が満足できるかだと最終的には思います。これも信長先生の教えで、評価は他人がするもの。そこに左右されず、見てくれている人は必ずいるので、自分のやるべきことを自分の置かれた状況で100%やっていく。僕も結構気にしいな性格なので、周りが活躍していたりすると、気にしますけど、それでもやることは変わらないと思います。
宮本 スラムダンク奨学金は猪狩渉にとって大きな転機だと思うんですけど、もしもスラムダンク奨学金に選ばれてなかったら、今この道を進んでいたと思いますか?
猪狩 いやー、何やっていたんでしょうね(笑)。本当に人生の転機でしたね。全てを変えてもらいました。
宮本 今回色んな話を聞いて、もちろん知ってる話もあるんですけど、猪狩渉はスラムダンク奨学金というものにすごくプライドと愛着を持っていると思うんです。その中で、今回能代工業の佐藤信長先生の話がたくさん出てきて、それらのほとんどがスラムダンク奨学金でアメリカに行かないと気づかなかったことばかり出てきているような気がするんです。
猪狩 そうですね。確かに……。
宮本 もしかしたら、渡米をしなければ気づけなかったことが、今の猪狩渉を作っているのかもしれない。そんな猪狩渉がスラムダンク奨学金で海を渡ってなかったら、どうなっていたんだろう……ってすごく興味が湧きました(笑)。
猪狩 まあ、形は違えど、ここにたどり着くような努力はしていたと思います。
宮本 なるほど。大学バスケとかに進んで、Bリーグができて、プロになりたいと思って、やっぱりNBAを目指したいみたいな感じになったと思う?
猪狩 そうですね。どんな形であれ、ここに導かれていたんじゃないかなと思います。結局、自分の中身は最初にバスケを始めた頃のままなので、スラムダンク奨学金に落ちたとしても、最終的にはここに辿り着いていたと思います。なんかそんな気がします。
宮本 うんうん。きっかけというか、違うタイミングで大きな転機があったかもしれないですしね。
猪狩 そうですね。でも、確かにアメリカに行っていなければ、信長先生が言ってたことも本当の意味では理解できてなかったかもしれません。実際、高校の時はプレータイムもなかったですし、「何で俺を使わないんだ」と思っていました(笑)。「俺はもっとできるのに」って(笑)。でも、アメリカに行ったことで、信長先生の言っていたことがよりしっかりと理解できたし、信長先生が使うに値するレベルの選手でなかったと、改めて変なプライドも落ちて理解することができたし、今となってはすごく感謝していますけど、当時はきつかったですね(笑)。
猪狩・宮本 ハハハハ。
宮本 今日も含めて色んな話を聞いても、確かにスラムダンク奨学金で気持ちが燃えた瞬間があったと思うけど、それがなくても、きっとどこかで猪狩渉の気持ちは絶対にNBAに行きたいと燃えていたんだろうなってすごく感じます。
猪狩 そうですね。そういう意味では高校の時に(長谷川)暢(秋田ノーザンハピネッツ)と同じチームだったのは大きかったですね。彼は全中で優勝してMVPを取って、ずっと僕の前を走っていましたけど、僕はずっと負けないと思っていたので。
宮本 当時1on1とかやったら、どんな感じだったの?
猪狩 勝てると思ってやっていましたよ。本気で思っていました。だから、周りからは痛い奴だと思われてたと思います。暢に勝てるわけないじゃんって。でも本気で自分の方が上手いと思っていたので、「俺もあれぐらい試合に使って貰えば、あれくらいできるし」と思ってましたね。
宮本 なるほどね。でも、そういう熱い思いが周りの人を引き寄せて、素晴らしい出会いの方に導いてくれてると思うし、それが猪狩渉の魅力だと思います。
猪狩 ハハハ。ありがとうございます。
取材・文=宮本將廣
【8/24 更新情報】 猪狩渉挑戦記#4を公開しました。
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