なぜ、「ネット世代の若者」は「ネット」で【やらかし】てしまうのか?[後編] ー「バイトテロ」‘‘自爆‘‘する《デジタル世代》の謎 ー
こちらは【後編】の記事となります。
先に下記の【前編】の記事をお読みください。
前編で述べた通り、
「インターネット第一世代」(主に今のアラサー世代)においては、今の若者よりも、インターネットは未知であり、リスクも高いものであった。
しかし、一方で、【やらかす若者】は少なかった。
逆に、今の二十歳前後~もっと若い世代である「デジタルネイティブ世代」は、生まれた瞬間、遅くとも、物心つく頃には、ネットやデジタル文化に触れおり、‘‘英才教育‘‘を受けているはずなのに、なぜか、「ネット」で【やらかして】しまう。
さすがに、〈バイトテロ〉のような問題を起こすのは一部だとしても、ネットで大小様々なことを【やらかして】しまうのが、ほとんどが、この世代である。
子供時代の途中から、世の中に初めて「インターネット」が登場し、ちゃんと教えてくれる大人もいない中で、強制的に使わされた「ネット第一世代」が【やらかさず】、
「インターネット」文化が成熟したうえに、生まれながらにしてデジタル感覚を学べた「ネオ・ネイティブ世代」が【やらかして】しまう。
なぜ、このような不自然なことが起こるのだろうか?
■ ``危ない``「ネット第一世代」が、意外と【やらかさなかった】理由】
なぜ、子供時代の途中という未熟で、多感な時期に、未知のものである、「インターネット」が登場し、ネット文化も、リテラシーも、リスクも、形成途中の時代に、「ネット第一世代」は、【やらかさなかった】のか?
それは、
【自分の実年齢の成長・社会経験】
【自分のインターネットの知識・経験値】
と
【インターネット社会の成長と発展】
が、上手くシンクロしていた時代であり、
《ネット社会を0から、段階的に学べた》世代でもあったからだ。
この世代は、幼い頃には、基本的に「インターネット」は存在しなかった。
つまり、つまり何もない0の状態から、人生の途中で、はじめて世の中にネットが登場した世代である。
この世代の中で、一番若い世代でも、小学校の中学年くらい、一番歳上の世代でも、中学生くらいでやっとインターネットが普及し始めた。
「インターネット」と言っても、この頃、インターネットと呼ばれてたものは、いうものは、今とは程遠い環境であった。
電話と共有のダイヤルアップ接続であったり、写真を一枚表示するにも時間がかかり、ストレスなく、ネットで動画を再生するなど、まだまだ先の話だ。
何よりも、‘‘インターネットという情報を得るツールについての、情報を得るために、インターネットの本を読んでいた‘‘時代なのだ。
インターネットで買い物どころか、比較サイトのようなものもまだ存在せず、「うちの会社にもホームページって必要かな?」というレベルの時代だ。
できることは、かなり限られていた。
しかし、これは、当時の小学生にとっては充分なものであった。
まだ、物事を体系的に理解できず、そのリスクも把握できない、自分の行動に責任もとることができない子供時代においては、そのレベルで良かったのだ。
子供の頃の行動の多くは、親や学校に制限されていただろう。
「ここから先は行ってはいけない」「これはやって良くて、これはやっていけない」と、制限された範囲を守って、遊んでいる分には、大きなトラブルに巻き込まれることは少ない。
《「ネット第一世代」が、小学生時代においては、インターネットの成長具合も小学生程度》であった。
この頃はまだ、図書館に調べにいく、大人に聞く、という主要となる従来の選択肢の中の加えられた、はじまったばかりの新たな‘‘第3の選択肢‘‘という程度がちょうど良かったのだ。
■《ネット》と同時に‘‘成長‘‘できた「第一世代」■
この子供たちが、成長し、小学校高学年、中学校に差し掛かってくると、インターネットも‘‘成長期‘‘に入っていった。
この頃の年代は、親離れや、反抗をしたり、性に目覚めたり、悪い遊びも覚えるような、年頃である。
様々なものに興味をもち、行動範囲が広がり、グレーなもの、エッチなもの、怪しく、アウトローな存在にも興味を惹かれることも少なくない。
この時代のインターネットも、成長期の少年少女と同じく、便利に使える範囲が広まった一方で、猥雑なものや、怪しいものも増加した。
ただ、インターネット黎明期よりも、【実年齢・社会経験】が上がったことに加え、【ネット知識・経験値】も上がっている。
そのため、以前よりも、インターネットの仕組みや、知識、感覚を得ているので、クリックして良いもの、いけないもの、有意義なもの、危ういものの判別ができるようになっている。
これが、もし、【実年齢】がもっと幼く、【ネット経験値】が浅い小学生時代であれば、扱えなかったり、‘‘やらかして‘‘しまう可能性は高まるだろう。
しかし、対峙すべき‘‘敵‘‘や、扱うもの、与えられたミッションに対し、自分も同レベルになっているので、対応することができるのだ。
現に、この時代は、インターネットでできることは増えたが、まだ、テレビがメディア・エンタメの両面において王者であり、ネットは補足的なものであった。
インターネットのみで何でも完結する時代はまだ遠く、携帯電話も各キャリア独自の携帯用サイトが用意されていたような時代である。
インターネットと言えば、パソコンという時代であり、携帯電話で、PCサイトを見ることも不可能ではないが、あの小さな画面の中では、非常に不便であり、表示できないもの、使えない機能や不具合なども多く、現実的ではなかった。
彼らが《中学生程度》であった2000年代始め頃は、《インターネットの発展具合も中学生程度》であり、それで、均衡がとれていたのだ。
この後、高校生くらいになる頃の、2000年代半ばに入ると、「プロフサイト」「掲示板」「出会い系サイト」などが登場してきた。
《知識を調べる》という元祖的なインターネットの役割に加え、《人やモノと繋がったり、意見や、趣味を公開したり、情報交換の場》としてなどの、「現代的なインターネットサービスや文化」が生まれ始めた。
今とは、比べ物にならないが、‘‘エロ本を買わなくても、エロサイトで何とか事足りるようなネット時代‘‘の到来を予感していたのだ。
この頃には、インターネット技術も、‘‘高校生程度‘‘にまで発展していたのだ。
そして、2000年代後半頃に、ネットを知らなかった「インターネット第一世代」が10代後半から、20代前半、大学生くらいになる頃、「mixi」「GREE」のようなSNS、「YouTube」「ニコニコ動画」のような動画共有サイトが生まれ、現代的なインターネット時代が到来した。
そこから数年、2010年代、インターネットを知らなかった子供たちが、社会に出る前後の頃、スマートフォンが普及し、「Twitter」「Facebook」が登場。
比較サイトや、「ネットオークション、インターネットショッピングも一般化し、他にも、ネットスーパー、宅配買取、さらには、インターネット銀行なども設立された。
保険や、加入サービスなど内容確認や、問い合わせだけでなく、重要な社会インフラや、手続きですら、《自宅にいながらネットで完結する時代》になった。
現在でも、思った以上の広がりは見られないものの、仕事もオンラインのリモートワークが可能になり、選択肢と可能性は広がった。
しかも、この頃には、スマートフォンが、パソコンの代わりを担うようになり、仕事や、高度な作業を除けば、むしろ、スマホの方が使いやすいというシーンも増えた。
いちいちPCを立ち上げなくても、手元のスマホで、文字通り、指先ひとつで世界を回すことができる時代になったのだ。
このように「インターネット第一世代」は、最初は、インターネットという社会インフラも、デジタル文化もなかった世界の中で、ある程度の年齢まで育ってきたのだ。
そして、
「インターネット第一世代」(今のアラサー)は、
年齢に合わせた、学習教材や、おもちゃ、遊び道具が手渡されるように、
【実年齢・社会経験】と【ネット知識・経験値・習熟度】が、【インターネット発展・成長】と、上手にリンクしていたのだ。
《その年齢でできること・やらせて良いことと、インターネットでできることが上手いことリンクし、新しいネット文化が生まれる度に、一段ずつ共に成長していけた》のだ。
だからこそ、「取り返しのつかないような失敗」をすることは、そう多くは見られなかったのだ。
■‘‘ネット世代‘‘が【ネットでやらかす】意外な理由■
一方で、「ネオ・デジタルネイティブ世代」(今の二十歳前後~もっと若い世代)というのは、人生の最初から、【インターネットの全てが与えられていた世代】である。
YouTubeや、SNSというものは、ネット文化の歴史の中では最近、生み出されたものであり、実は、《かなり高度なもの》である。
インターネットの技術や、文化、人々のデジタル感覚が、20年以上かけて徐々に変化し、成長していった末に、やっと手にしたものである。
自分の情報、考え、写真や動画というパーソナルなものを世界中に公開するということは、実は、非常にハードルが高いことなのである。
乗り物の中で言えば、〈大型トラック〉のようなものだ。
パワフルで巨大で、何でも積み込めて、便利な一方で、他の一般的な乗り物よりも運転は難しく、事故を起こせば、相手も自分の人生も終わってしまうリスクが高い。
例えるなら、「インターネット第一世代」(現在のアラサー)は、最初は、三輪車が与えられ→自転車→原付バイク→バイク→車というように、【自分の年齢の成長に合わせて、段階的にステップアップ】していけた。
先に述べたように、デジタル文化への理解度、インターネット技術の発展が、自分の年齢と、ネット知識・習熟度と上手いことリンクしていた。
これができたら次はこれ、その次はこれというように、少しずつ技術が進歩していった。
勉強カリキュラムの如く、一段階ずつ、難易度が上がるよう、地道に成長していけたのである。
新たなインターネット技術や、文化が生まれ、その技術を理解し、上手に扱えるようになる頃、今よりも少し高度で便利な新たなものが生み出される。そして、それを理解し、扱えるようになると、またその次が…というように、一歩ずつ理解と進歩を踏みしめながら、インターネットがない時代から、ネットで何でも完結する時代を生きることができた。
「今のインターネット」が、《大型トラックや、戦車のような強大なもの》だとしても、そこに辿り着くまでには、何も乗る物がない状態→三輪車→自転車→原付バイクというように小さいものから順を追って、体験し、上手に扱えるようになりながらここまできたのだ。
一方で、
「ネオ・デジタルネイティブ世代」(今の二十歳前後~もっと若い世代)というのは、【人生の最初から全ての乗り物が、与えられていた】世代である。
SNSや、動画共有サイトへの投稿というのは、今では、中高生でも、当たり前のようになっているが、本来、これは、インターネット文化の中では、かなり高度なものにあたる。
何しろ、自分の考え、自分の姿、自分の才能、自分のパーソナルを全世界に公開するという行為を行っているのだ。
先の乗り物の例で言えば、大型トラックのように、全ての乗り物の中でも、高い技術と知識、感覚、注意力や、覚悟が必要となるものだ。
子供にいきなり、車やトラックを与える親はいないだろう。
しかし、インターネットにおいては、これに近いことが平然と行われている。
本来は、三輪車や、自転車レベルの、簡単で安全、制限されたインターネット技術・サービスを与え、使うところを許すことから始める。
そして、年齢の成長とともに、時間をかけて、段階的に学んでいくのだ。
それがあって、やっと大型トラックのような高度で、扱うのが難しく、リスクも高いレベルにまで辿り着くものだ。
しかし、今の二十歳前後~もっと若い世代は、三輪車や自転車を飛び越えて、最初から、大型トラックに乗るということができてしまうのだ。
もっと言えば、彼ら自身は、車や、大型トラックに乗っているという自覚もない。
ただ、用意された乗り物の中で、豪華で、魅力的なものを選んで乗ったに過ぎない。
同じ、事故を起こすにしても、三輪車よりも、自転車、自転車よりも、車、車よりも大型トラックの方が被害は甚大になり、責任は重く、取り返しがつかない事態になる可能性は高くなる。
しかし、彼らには、《高度でリスクが高いものを扱っている》意識がなく、高い技術と知識、感覚、注意力や、覚悟がいるという感覚に乏しい場合も少なくない。
《初めて起こした事故が、大事故だった》という救いのないことも増え、事故を起こした後の対応もよく分かっていない。
だから、大事になってしまうことも少なくない。
その究極の形が、「バイトテロ」のような、自らの不法行為を自ら世界中に発信するという《ネット自爆》なのである。
■生まれた時から《ネットで何でも》できる ‘‘自由の代償‘‘■
確かに、人間は誰しも失敗をする。
特に、未熟な年齢の頃、初めてのもの、未知なもの、慣れないものであれば、尚更である。
しかし、実力や知識、年齢に応じた範囲で行うことができれば、仮に失敗しても、ダメージや、責任も軽く、許されることも多い。
小さな子供が親の言いつけを守り、限られた範囲で三輪車に乗っているだけであれば、そう大きな事故やトラブルに巻き込まれることは少ないことと同じである。
三輪車で、ちょっと人にぶつかってしまって、‘‘加害者‘‘になったとしても、相手を大怪我させ、社会的制裁を受けるということは、普通はないだろう。
「ごめんね」で済むのだ。
そういった、【社会のあり方や、ルールを学びながら、成長し、行動範囲も広がり、自分の裁量でできること】も増えていく。
同時に、自身の行動に対する【責任】の重さも増していく。
例えば、幼稚園児は、行動が大きく制限されている一方で、守られており、責任も罰則も小さい。
一方、小学生、中学生、高校生、大人ともなれば、徐々に制限が緩くなり、自由で好きにやれる範囲が広がり、大人になれば、法律以外に縛るものはなくなる。
同時に、責任と、間違いを起こした時の罰則も、徐々に大きくなっていく。
普通は、段階的に、それを学んでいくことができる。
一方で、ネット文化、デジタルカルチャーにおいては、
「ネオ・デジタル寝ネイティブ世代」(今の二十歳前後~もっと若い世代)は、幼稚園や、小学生時代から、車に乗るという選択肢を与えられ、中高校生にもなれば、大型トラックに乗る選択肢が与えられているようなものだ。
大型トラックのような、高度で、強力、便利なインターネットサービスは、「インターネット第一世代」(現在のアラサー世代)においては、【実年齢、社会経験】【ネット文化への理解・習熟】という、長く段階的な成長を経て、やっと辿り着いたものだ。
免許なしから始め、三輪車、自転車、原付バイク、バイク、車というように、扱える能力と、責任のバランスを取りながら成長していった。
それぞれの時代においてギリギリ許される失敗や、危ない思いを経験しながら、大人になってやっと大型トラックまでたどり着いたのだ。
だからこそ、大型トラックという便利でパワフルな一方、運転が難しく、リスクも高いものを上手に扱える場合が多く、大事故を起こすことは少ない。
だからこそ、「インターネット第一世代」(アラサー前後)が、もっと未熟な頃に、《ネット自爆》するようなことは、そうなかったのである。
こう言うと、この世代が二十歳前後の頃は、そもそも、こういったものがなかったから、失敗のしようがないと言う人もいるだろう。
しかし、この頃には「mixi」や、「モバゲー」のようなSNSや、YouTubeも存在したし、少し前には、プロフブームや公開掲示板で個人情報を晒すようなことが平然と行われていた。
この「インターネット第一世代」も、今の「ネオ・デジタルネイティブ世代」と同じか、それ以上に、【やらかそうと思えば、やらかせる】環境にあったのだ。
つまり、《ネットで自爆する行為》と、【若さ】とは、あまり関係がないとも言える。
逆に、現在、【インターネットで何でもできる時代】になっても、「インターネット第一世代」が失敗することが少ないのは、単に大人になったからではない。
【実年齢・社会経験】と【ネット知識・経験値、デジタル文化への習熟度】に、今のインターネット社会が、リンクしているからである。
確かに、10代や、20歳よりも、アラサーの方が、社会的な分別はあると考えられる。
しかし、もし、現在のように「何でもできるインターネット」が昨日今日に始まり、これを毎日使いなさいと言われれば、アラサーの年齢であっても、人生が終わるような【やらかし】をしていただろう。
バイトテロのような自爆はしないにしても、仲間内の問題発言を公開してしまったり、自分の見せたくない写真を世界に向けて送信してまったり、ちょっとした不法行為を世間にさらしてしまったり、重要な書類や、映してはいけないものが流出したり...
逆に、仕事、お金があり、責任や、行動範囲が広まるアラサーだからこそ、逆に、【やらかし】の可能性はむしろ高まるだろう。
つまり、《若さ・未熟さ故に》やらかしてしまうのではなく、
【実年齢・社会経験】と【ネット知識・経験値、デジタル文化への習熟度】がリンクしていなかったり、段階的に学ぶことができず、成長してしてしまったから、【やらかして】しまうのだ。
■《ネットが最も‘‘得意‘‘な世代》が《ネットで‘‘やらかす‘‘》真の正体■
かつて、こういった不適切な投稿が、世間に晒されてしまうのは、何らかのミス、不具合や、何者かによる違法アクセスで流失したり、関係者や第三者による告発が主であった。
今の若者のように、
《自らが、自らの不適切行為を世間に晒す》など有り得なかった。
バイトテロや、不適切動画の動画の拡散元は、インスタグラムや、スナップチャットなどにある24時間で消える投稿「ストーリー」に自分で投稿した場合が多い。
これらの問題が発覚した後、たいていの場合
「こんな大事になるとは思わなかった。投稿は消えると思った。」
などと、話すことが多い。
しかし、生まれた時からネットがあった彼らは、様々なものがSNSで晒され、YouTubeに投稿され、スクリーンショットや、ダウンローダーで保存できるという《技術》があることは知っているはずである。
【知識】はあるが、【感覚】に乏しいのだ。
度の過ぎた行為は、許せないが、少し悪ふざけしてしまった経験は、多くの人の胸にあるだろう。
しかし、それは、多くの場合、これは自分だけの秘密、これは仲間内だけのこと、これは世間に公開して良いものと分別し、判断ができていた。
まして、今は、「100円を拾った!ラッキー!」「YouTubeで、誰かがアップロードした昔のテレビ番組を見ました」という投稿ですら、咎められかねない時代である。
100円を拾って懐に入れたことや、YouTubeで無許可アップロード動画の閲覧を本気で咎められることは少ないだろうが、それを、公に発言するという判断が咎められるのだ。
《この行為は良くない》《自分の投稿は、世界中に発信される》《誰かが保存するかもしれない》
知識がないわけではない。
【知識】はあるが、【感覚】として入ってこない。
それは、自分が《リスクも自由度も高いツールを使っているという認識》がないからだ。
だからこそ、「仲間内のLINE」に武勇伝や、イタズラを投稿する延長のように感じてしまう。
その、分別が、できなければ、今の時代は、非常に危ない。
生まれた時からインターネットがあった環境は、本来は、【最大の強み】になる。
物心つくかつかないかという時期に得た感覚は、大切で、成長してから身につけることが難しいからだ。
語学や、楽器の演奏などの英才教育を、早い時期から行うのが良いということや、子供時代の環境が人格形成に大きく影響するということからも、それは分かる。
もっと、分かりやすい例で言えば、老人の多くが、インターネットや、デジタル機器を使いこなせないのは、操作が分からない以前に、感覚として仕組みを理解できないからだ。
つまり、ネイティブな感覚をもっているというのは、本来は、最強の強みになるはずだ。
しかし、「インターネット文化・デジタル社会」においては、必ずしも、そうではなかったのだ。
確かに、「ネオ・デジタルネイティブ世代」(今の二十歳前後~もっと若い世代)は、生来のネット感覚、感度は、全ての世代の中で最も優れている。
一方で、
本当に、「今の自分」や「社会」に隣接する「インターネット・デジタル文化」に対して【地の足のついた感覚】の学びが乏しいのではないだろうか。
自分で選び取れないような最初の段階から、選択肢だけは多く与えられ、身の丈に合わないツールも使うことができた。
自分の町のルールも、隣町の様子もよく分からない子供の頃から、世界中と繋がることができ、様々に面白く、便利なものを何でも体験することができる。
一度も乗り物に乗ったことがないのに、大型トラックに乗ってしまえるようなネット環境。
こういった、「100円をひろった!ラッキー!」と公に向けて叫んでしまうような、
【地に足のついていない、インターネット感覚】が、《最もネットが得意な世代が、ネットでやらかす》
という、謎の現象を生む正体なのだ。
その、なれの果てが《バイトテロ》のような、【ネット自爆】として現れているのだ。
インターネットは、現実と仮想が融合する、地面のない世界だからこそ、地に足のついた感覚が必要なのである。
【知識はあるが、本当のインターネット感覚に乏しい】
これが「ネオ・デジタルネイティブ世代」(今の二十歳前後~もっと若い世代)の【致命的な弱点】であり、‘‘最大の強みの裏返し‘‘でもあるのだ。
《バイトテロ》のようなことまでをしてしまうのは、若者の中でも、本当に一部で、彼らの多くは、同じように括られたくはないだろう。
ただ、ここまではしないとしても、インターネットで大小の問題を起こす大半は、生まれながらのネット世代「ネオ・デジタルネイティブ世代」である。
さらに、意図や、悪意があってやったのではなく、「そんなつもりはなかった」と、無自覚に【やらかして】しまうことが、【彼らの問題の本質】なのだ。
今の若者の限らずだが、「インターネット」を何となくの感覚で使い、デジタル社会を‘‘感覚的‘‘に生きている人が大半だろう。
また、価値観が多様化した時代に入り、「インターネット第一世代」も、自分の成長と、社会の変化、ネットの成長のリンクは外れかかっている。
誰もが、「インターネット文化・デジタル社会」について、《体系的、本質的に理解し、省みること》が、求められていると言えるだろう。
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「俺は、誰にも媚びません。」 が いつも、お腹を空かせています。 【俺が「世界大統領」になったら、サポートをくれた方・購入してくれた方は、絶対に幹部に登用】します。 まず、ここまで読んでくれてありがとうございます。 よろしくお願いします。