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ザツダン革命!音声アプリDabelの夜明け



春の足音をかき消すようにやってきたパンデミックという緊急事態。
誰もが何かから分断され、マスクの下に微笑みが消えた。そんな状況の中で、日本人ユーザーが急激に増えた音声アプリがあった。
セカイカメラから10年。シリコンバレーの洗礼を受けた起業家・井口尊仁氏が、孤独のどん底でつぶやいた思いから開発されたアプリDabel(だべる)は、コロナ禍のネットのセカイに何を起こし始めたのか?

こんにちは!ロサンゼルスのかっぱです。

セカイカメラでご縁のあった井口尊仁氏(以後タカさん)から、メールが来たのは、今年の2月半ば。SXSWに行くかもしれないという日本の友達にタカさんのことを聞かれて出したメールの返信だった。まだコロナがなんとも言えない状況にあった頃のことだ。


タカさん、日本へ帰る。

テキサスのオースティンで開催されるSXSW。毎年、タカさんが参加していた大きなイベント。今年は、自分でもイベントの主催をするということで、いつも以上に忙しく動き回っていた様子だった。しかし、そのSXSW自体が、キャンセルになってしまった。どうなるんだろうと、気になっていたが、とうとう会社のあるサンフランシスコからも離れることになったのを、Twitterで知る。

閑散としたサンフランシスコの街の写真、そこには、タカさんの戸惑いと同時に、この歴史的な事件を客観的に見る目が感じられた。

そういえば、また、なんかアプリ出したって言ってたな。
Dabel? あぁ、駄弁るか。 どれ、と調べて、ダウンロードしてみた。


駄べり始めた日本人

そのアプリの向こうにあったのは、日本語ユーザーがみんな若葉マークをつけてる雑談のセカイ。知らない同士が「初めまして」と集まって出来上がった村で、毎日長々とおしゃべりが続いた。その熱量はすさましく、これほどまでに、人はおしゃべりに飢えているのかと驚く。おそらく、ほとんどの人が、自分自身が会ったこともない人に、こんなに開けっぴろげに自分の本音を吐き、また、初めての人の話を聞き、しゃべり続けている光景に遭遇したことはなかったのではないか。

おしゃべりをしながら、それぞれが、自分の配信を立ち上げ始めた。

#こどもラジオ
熊本在住の3人の元気な男の子を持つAyakoQさんが、自粛で家の中に子供達と閉じ込められた状況で立ち上げた配信「こどもラジオ」は、子供達も、お母さんと一緒に配信に入ってきた大人たちとおしゃべりする、まるで誰かの家のリビングに、ドラえもんの「どこでもドア」で飛び込んだような錯覚を起こす。普段、子供に接する機会のない人たちが元気をもらいに行く場所でもある。その配信の立ち上げの時に、トップ画像の入れ方を質問したツイート。それを見て、誰かが助けてくれた。

#オ風呂
今でこそ、お風呂に入りながら駄弁ってる人に普通に出会うDabelだが、最初に、オ風呂をJunさんが立ち上げ、ほぼ毎日のように、オ風呂語りが聞けたのは楽しい思い出。

#オ茶井
「オはオンラインのオ」ー配信のタイトルに「#オ」がつく流れができた。その中でも、#オ茶井は、Dabelのファウンダー口氏が、直接ユーザーとオ茶するラウンジ。

この日本人ユーザーの急増現象は、これまで日本人ユーザーがほとんどいなかったDabelにとっては、未知のことで、CEOであるタカさん自身が、この動きに狂喜した。その顛末は、彼のブログにも記されている。(Dabelにハマった人々Vol.1参照)


雑談に見せられたわけを振り返る

Dabelで話す相手を見つけ、駄べり続ける生活を半年間、Dabelというアプリを通して送ってきた多くのDabelユーザー(Dabelerともいう)にとって、このコロナ禍の中で、Dabelとは何だったのか?私たちの内部で、何が起こっていたのか?そんなことを振り返ってみたいと思い、月刊だべるを、今いるDabeler達と一緒に作ってみようと思い立った。いや、パンデミックもすごいけど、そのおかげで出会ったこのアプリ、こっちの方がもっとすごくて面白いじゃんというノリもある。コロナの今の状況を考えても、自分達の力でできることは限られてるけど、このアプリによって生まれたおしゃべりなコミュニティとそこから日々感じるエネルギーは、with コロナのこれからを生きていくのに、なんだかヒントを与えてくれるような気がした。


日本語バーションになった!

そんなことを考えている時に、タカさんのDabel開発チームが日本語バージョンをリリース。(意外と早かった^^;)もう少し先だと油断していた。これまで日本人ユーザーがなかなか増えなかった理由のひとつが英語という壁のせいであったのは確かで、これから「Dabel村」も否応なく変わるだろう。それでも、このDabelのセカイは、他のSNSのセカイより、ずっと馴染み深いし、自分の庭のように愛着も感じる。半年という時間は、このネットのセカイに土壌を作った。ただのツールでない、ひとつの世界観がある。


誰に頼まれてもないのに、誰かとしゃべり続けたり、面白いことを考えたり、真剣に遊んだりする大人達が、ここにはたくさんいる。駄弁ってるうちに、誰ともなく、いろんな企画を始めたり、イベントがいつの間にか立ち上がってたり。



この月刊だべるも、タカさんから頼まれてやってるわけではない。ここで自然に生まれたコミュニティの記録として、それぞれの経験を記録しようと、有志によって作ることにした。やりたいからやるが基本、誰もが観客でエンターテイナーであり、もしくは、そのどちらでもない。フォロアーの数を気にする人もほとんどいないし、なんなら、そんなフォロアーの数字さえなくてもいいという話さえ出る。ここにハマった人たちは、今というコミュニケーションの時間にこそ、価値を見出した人たちだ。

そして、みんなどこかで、ちょっとだけ思ってる。これは多分、革命だ。いや、そんな言葉、口にすることも野暮だけど、誰もが、このアプリに会った時、「これは何だ?」と口にしたのではないか。なんたって、この半年、みんなどんだけダベることに時間を費やしたことか。胸騒ぎのようなキュンキュンや、ざわざわや、わこわこ(Dabel語/記事参照)が溢れる空間は、見たこともない未来がやってくる予感を感じさせた。


あえて、今、言っておこう。雑談革命は、もう止まらない、と。どうしてこれまで話さなかったのか?話せなかったのか?自問しながら、思うのだ。話したかったのに、と。

話したいーその気持ちを自分の中に認められたら、きっとこのDabelのセカイにあなたも足を踏み入れたくなってくる。それに気がついた時が駄弁る時。Let your voice be heard ーあなたの声を待ってます。

かっぱ@歩く哲学中 in Los Angeles 



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