そのときそのときの精一杯を、愛したらいいよ。
振り返ると、あの時の自分は間違っていたと落ち込む瞬間がある。
あの時の自分は何をぼーっとしていたんだ、と説教したくなる瞬間がある。
あの時の自分は不用意なことを言って、他人を傷つけたと悲しくなる瞬間がある。
その時、なんて自分は馬鹿だったんだ、なんて自分はひどいことをしてしまったんだ、なんて空虚な時間をすごしてしまったんだ、と自分を傷つけることは簡単だ。
自分を傷つけると、すこし楽になる。
楽な道を選びたくなる。
傷ついて、後悔して、思い悩んでいるわたし。
過去をまるごと痛めつけるかわりに、
「かわいそうに」とちやほやされる、わたし。
でもその裏には、かつての「わたし」たちが屍のように横たわっている。
そして現在の「わたし」の問題はなにひとつ解決されない。
過去を振り返ったときすべきことは、過去の自分を傷つけることではなく、過去の自分を「あのときの精一杯だったんだね」と抱きしめることなのだ。
過去のあなたが、過去のあなたなりに、精一杯考え、努力したことを、愛することなのだ。
怠惰に見える日々も、あなたなりの選択として、愛することなのだ。
誰のためでもなく、自分のために、過去の自分を愛するべきなのだ。
今のあなたをつくるのに、欠けていてよい日など、一日もない。
ひとつひとつの選択を、自分で愛し、信じてあげるところから、次の一歩は始まるのだ。
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ねぇみさきち、わたしこの文章を思いついたとき、みさきちが昔書いたnoteと内容丸被りなんじゃないかと思って探したのよ。でも無かった。
ふしぎだね。
でもきっと、この言葉たちはあなたとの対話からうまれているよ。
きっと、この言葉たちのいくつかは、あなたに教えてもらった言葉だよ。