金の成る木
久能山東照宮 参拝
念願の久能山東照宮を参りました。また別投稿にて写真付きで公開しますが、今回はそこで出会った逸話を紹介します。
という逸話が、家康公が眠る廟所の近くの木にあります。
お金儲けとは
家康公が書いた3つの木の言葉は、現代に置き換えると、
“何事もほどほどが良く、志を深く持つ(慈悲心を深く持つ)、正直でいる”ということです。
お金は、人のためになる尊い使い方もあれば、自分だけが満たされる使い方もあり、また人が困っていても知らぬ顔で自分勝手に使う使い方もあります。
まさにお金は変幻自在の代物。
私の身近な方々でお金持ちが誰かを考えた時、大抵が“自分のお金を人が喜ぶために惜しげもなく使える人”になります。
そういう人は周囲からも慕われています。
その裏には、その人なりの人間性
-高望みしない、慈悲の心を持っている、嘘をつかず正直を貫く-
を実践しているからだと思います。
松下幸之助
「10のものを与えられたら必ず11で返す」
渋沢栄一
「お金儲けを悪と捉える考え方は間違っている。
お金は世のため、人のために使って初めて成り立つものである。
お金は人を幸せにする最高のものである」(自分なりの解釈が入っています)
稲盛和夫
「利他の心で商売をする」
いずれも、お金のベクトルは人のため、という部分に向いています。
明治、昭和の偉人が言っていることよりもはるか400年前の江戸時代でも同じことが言われていたんだなと思うと、人は世が変わっても佇まいや考え方の根本は変わらないんだな、と思います。
特に、家康公がそのように言われ、実際にその木が存在していて、さらに家康公の廟所のそばにあることにも意味があるのかなぁ、と思いました。
家康公が伝えたいこと
久能山東照宮の廟所は西向きに建てられています。
それは、死後も西国の大名に睨みを聞かせて、日本の国を守りたい、という気持ちが出ているからだという言い伝えがあります。
死してなお、自分の役割を果たそうと努めているのです。
家康公の家臣団は、団結力がありました。
それは、家康公のこの愚直に人のために尽くす姿勢に惹かれて残ったのだろうと思います。
本当は家康公は芯のところに温かい思いやりが備わっていたのだろうな、と感じました。
大河ドラマ「どうする家康」でも、桶狭間合戦で敗れたのちの大樹寺で自害を思いとどまった場面で、「わしがお主たちを守るんじゃぁッ‼︎」と大声で誓っていました。
私はこの描き方は真実に近い描き方だろうなと思っています。
人は生きていると必ず批判を受けます。
家康公も同じで、「たぬき親父」と揶揄されたり、「死後も家康を恨み続ける」という者がいたりと憎まれる数も多かったと思います。
そんな批判があってもなお、自分自身が信じれる人たちのために尽くし続ける。守り続ける。その姿勢を貫き通したところがとても勉強になるのです。
金の成る木はもしかしたら、家康公が最も伝えたいことの一つとして廟所のそばに佇んでいるのかもしれませんね。
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