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道をひらく~敵に教えられる~

 己が正しい、と思い込めばそれに異を唱える人は万事正しくないことになる。己が正義で相手は不正義。いわば敵、憎くなるし、倒したくなる。絶滅したくなる。

 相手に自分の行動を理解してもらえず、あえて自分がしてほしくない行動をされた時は、「いなくなればいいのに」と思う時があります。逆に自分もそう思われているように、自分のことがすべて正義、という訳ではないと思います。

 人間の情としてやむを得ないかもしれないけど、我々は我が様だけ、とばかり思い込んでいる相手からも、実は色々の益を得ているのである。

 Aが〇〇という行動をとったから、じゃあ自分は△△という行動をとろう、とか、自分はAに影響を受けず、自分の仕事に集中しよう、とか少なからず自分で考える力が身についている。これは、自分のことを嫌っている人からも学んでいる証拠である。

 倒すだけが能ではない。敵がなければ、教えもない。したがって、進歩もない。だからむしろ、その対立は対立のままに認めて、互いに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである。

 松下幸之助氏は、ダイエーの創業者・中内功氏と価格競争で熾烈な争いを続けていた。(かつての渋沢栄一と岩崎弥太郎の姿と似たものを感じる。)

 中内氏は、”薄利多売こそが商売の神髄”と、なりふり構わず価格を極限まで下げて、多くの顧客を獲得した。しかし、松下氏はそこに猛反発した。”商品には適正価格というものが必ずある。値決めこそ、商売の神髄”と、商品の質を高め、値決めを慎重に行い、商売を進めた。

 その結果、現在では松下電器はパナソニックとなり多くの商品を世に生み出し続けている。しかし、ダイエーは倒産し、イオンに吸収されてしまった。中内氏のカリスマ性で保っていた、とも言われている。

 しかし、それでは松下幸之助氏はどうだろうか。松下幸之助氏は『経営の神様』と謡われ、彼こそが高いカリスマ性を持って、力強く松下電器を牽引していたのではないか。

 松下氏と中内氏の大きな差は何か。つまるところ、”人への想いの差”と思う。

 松下氏は、「値決めの裏にはたくさんの人が関わってできた商品であることを考えなければいけない。自分一人で出来た商品ではない。」と謙虚な姿勢があっただろうと思う。

 それに対して、中内氏は、「企業を大きくしてこそ商売だ。小売業界のガリバーになってやる!」と自分の夢のために邁進した。その結果、大企業になったは良いが、「自分一人で大きくしたのだ!」と慢心も生んでしまったのではないかと思う。

 生きる、ってとっても大変なことだけど、幸せも人それぞれだけど、お互いが幸せになること、そのために自分は何をすべきか、という根本が大事なのだと思った。

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