ギフテッドの心理バランス
今回はギフテッドのメンタルはどうなってんの?というお話です。一般的な概念の話と、自分というダメパターンの紹介です。
結論から言うと、であり、一方で捉えようによってはであり、一方で捉えようによってはしぶといメンタルなのもギフテッドだと思っています。「メンタル強いの?」と聞かれると、弱いっちゃ弱いし強いっちゃ強いです。なんのこっちゃという話ですので、これから自身の例も踏まえて説明してきましょう。
なんのこっちゃという話ですので、これから自身の例も踏まえて説明してきましょう。
おしながき
・あらゆる情報をキャッチしすぎるド繊細機能
・抱えたストレスを無駄にはしない、しぶとい理性
・立ち止まれないメカニズム
・自分を疑い、自分を大事にしない特性
・ネットワークがあればいいのに、という話
OE:なんでもキャッチするバキバキセンサー
ギフテッドの特性の一つとして、OE(Overexcitabilities、過度激動)という言葉が使われます。Wikipediaでは
ドンブロフスキの積極的な分離理論の中核をなすのが、刺激に対する並ならない反応(OE Overexcitabilities 過度激動(刺激増幅受容性))である。これは神経の感受性が増すことによって通常の人間よりも刺激を生理的に強く経験する性質であり、ギフテッドの特徴である。
(中略)
ドンブロフスキは、強いOE(前述)を持つ人間は最高にハイな気分とどん底に沈み込む気分両方を味わう可能性があり、決して楽な人生ではないことを表して、OEを「悲劇的なギフト(天からの贈り物)」と呼んだ。
なんていう表現がされていますが、すごく平たく言うとなんでも真に受けるし、人の感情も拾いやすいド繊細な性質をギフテッドは持っているんだよ、ということです。自分の場合は、警察2○時の取り押さえシーンを見ると具合が悪くなるくらいド繊細です。学生時代は解剖実験に参加できなかったし、グロい漫画もあまり読めません。
こちらの記事でも触れましたが、これはギフテッドの長所である学習能力のメカニズムでもあります。要するに、人は強烈な体験をするとより強く学ぶのだから、そこら中のものをなんでも強烈に感じ取れれば多く学ぶことができるよね、というシステムだと思ってください。毎日致死量寸前まで毒食って暮らしているようなものです。
加えてなまじ頭が回ってしまう時があるので、ストレスを最大限に咀嚼して噛み締めたり、最悪のケースを容易く想像して勝手にストレスを感じたりしているときもあるように思います。みなさんも「イヤな事を考えている時に限って頭がぐるぐる回転する」という経験があるんじゃないかと思いますが、それがよりエグい勢いで回っている状態です。
なので標準より多いストレスを抱えやすいというのは、それはそうなんだろう思います。自身がストレス過多で3回休職したのは、まさにそういう部分です。
傷だらけのメンタル VS くたばらない理性
ここまでご覧いただいた皆様からの、「いやこれのどこがメンタル強いんだ?」という声が聞こえてくるようです。実際ストレス抱えてダメージは受けまくるのに、なにを偉そうに抜かしよるのかという話です。
これに関しては、辛い目に遭ってもストレスを感じ過ぎず常に前に進んでいけるという一般的な"強いメンタル"のイメージとは別の領域であり、どちらかというと"不屈、しぶとさ"を指すものと思っていただければ幸いです。
自身の経験について言えば、どん底含めて3回休職している割に毎回最終的には理性と熱量を保って復活しているのだから、まぁしぶとい方だと思います。今自分が仕事にしている人事という領域は、人の本質という抽象的なものに向き合う能力が必要という意味で、自分にとっては一番得意な部分ではあります。一方でそういう形のないことを考え込むから日々のストレスが尽きないわけで、平穏のためには一番距離を取るべき危険な場所でもあるとも言えます。
それでも、どうにか多くの人に良い生き方をしてほしいという情熱と欲求が上回って今もこの領域にしがみついているのは、自分自身の特性であり、また多くのギフテッドが持つ精神性の特徴の一つだと思っています。
もちろんストレス自体は全てが悪いものではなくて、行動するエネルギーになるし、学びを得る材料にもなる。悪い側面として、バキバキセンサーのせいでダメージもめちゃくちゃ負うけど、それを昇華させる理性や機能も備わっている。そんなところでしょうか。これ自体は、一般的なギフテッドに関する記載からそう外れていないはずです。
ですがそういう話と別に、ストレスによって受けたダメージへの向き合い方については、自分には大きな反省があります。それでは次のお話へ。
大きく崩れた"3つの輪"
1年前になりますが、私がどん底に落ちて休職した際に、心理検査を受けに行きました。この時は自分自身を押し潰し過ぎてしまい、いったい自分がなんなのかよく分からなくなってしまったからです。その時に、臨床心理士の方には私からこう説明をしました。「自分のマイナスの感情を無理やり押しつぶして処理しているうちに、自分のことがよく分からなくなってしまいました」と。
その時に、理性で自分の感情を押し物している、とも伝えました。これは例えば、怒ってもしょうがないと言い聞かせたり、相手の立場もあるよねと考えを変えてみたり、受け止め方でなんとかしてみようという類のヤツです。アンガーマネジメントとか言われる要素も混ざっているのでしょう。
そして心理検査を並行してカウンセリングもしていただく中で、心理療法士の方からはこんなモデルを紹介していただきました。そこには、理性と感情と"もうひとつ"の存在が表現されていました。
「感情を理性で処理するばかりが人の機能ではない。マイナスな感情があっても、バランスが取れていれば"自分は大丈夫"という安心感で受け止めることができる。理性で向き合うことで感情をエネルギーに変えることができるが、そうでなくても感情を支えることはできる」と。
なるほど、3つ目の"安心の輪"も使って、自分を支えるバランスが大事なのですね。そう理解し、声に出して反芻しようとしたところで、こう説明を足されました。
「あなたはこうです。」
めっちゃバランス悪い。自分での考えも含めて整理すると、要するにこういうことです。
感情:バキバキセンサーのせいで、ちょーデカい。
理性:ちょーデカい感情に対抗しうるマッチョな理性。これもまたギフテッドならでは。
安心:まるで成長していない(後述)。
あぁ、たしかにこれだと理性で対抗するしかねぇわな…とすごく腑に落ちたのを覚えています。だからこそ、しんどい経験や感情をそのままでは支えられず、無理やり前向きなエネルギーに変えないと過ごせなくなってしまっているのだなと、過去の経験がスッと理解できた気がしました。なんとなく自身でも、エネルギーの注力先を見つけて走り続けないと自分が死んでしまう感覚があったのも、この時自分で説明がついたように思いました。
(ですが実は資料失くしてしまい、このモデルの出典が自分でも分からない状況です。詳しい方いらっしゃいましたら教えてくださいませ)
つまり、自分の生き方の大反省点はずばり"自分を守る安心感を育てずにここまで来てしまった"ことだと思っています。そしてギフテッドの特性を考えると、多くの方が同じような状態になってしまっているのではないかと、個人的に思っております。
この先では自分の経験を振り返りつつ、この崩れたバランスの原因である、未熟な安心感について整理してみます。
自分の味方になれなかったこれまでの人生
前述の通り、思い返すと自分の味方をしてあげられかった、あるいは味方をする力が欠けていたと反省しております。これは個人の反省でもあり、ともすれば自分を守る能力が欠けがちなのはギフテッドの特性もあるな、とも考えております。ここからはこれをご覧になっている方に向けて、ぜひ本人や周りのギフテッドのために役立てて頂ければと思い振り返っていきます。
疑う心の矛先は、自分にも向かう
ギフテッドが多くを理解して吸収する能力の背景に、スーパー問いかけマンという特性があることをこちらの記事で紹介しました。"自己批判力"と呼ばれるもので、多くの人が当たり前だと思っていることも含めて、まず「本当だろうか?」と疑うことで思考の範囲を広げるのです。ですが、この自己批判はありとあらゆるものに向かって常に向けられるので、当然自分自身についても多くの疑いを持ちます。むしろ、自分に対して向けられることが一番多いかもしれません。
これはよく言えば内省なので、いろいろな事象を紐解いて、自身の糧にすることもできます。ですが、これを自分はやりすぎました。自分では「ひどい目にあった」と感じ、周りにも「あなたは間違っていない」と励まされても、やはり常に自分自身を疑い続けていました。
こういう形に転びやすいというのは、ギフテッドの自己批判能力を考えると一般的に起きうることではないかと思います。せめて多くのギフテッドに、「私は周りの人よりも、より積極的に自分の味方をしてあげられるように気をつけよう」と気をつけてもらえればと思います。
本当はその術を身につけるためのトレーニングの一つでも紹介できればいいのですが、残念ながら私はそれを得られていない立場なので、お力になれずすみません。。。
"自分はただの75億分の1"という感覚
そしてもう一つ。自分がギフテッドに関する記載ですごくピンとくる表現があります。それはドンブロフスキという教育の専門家が主張する、積極的な分離という人格形成理論です。Wikipediaによれば
ギフテッド教育の専門家はドンブロフスキは「積極的な分離」(w:en:Positive Disintegration)という人格形成理論を主張している。
(中略)
それに対して積極的な分離とは、一般的な受身の人生から離れるべく、まず対象から主体的に分離し、物理的あるいは精神的な距離を置くことで、より広い視野を俯瞰し、強い知覚に基づく深い理解を形成し、より高いレベルの認識を求め続けることである。
ちょっとこれを正しく解釈できているかは自分でも判断つきませんが、この表現を見てピンと来た自身の感覚があります。それは、世の中をなんとなく遠くから眺めて、人間だとか、その人間が集まる社会とかそういうものを考えること。そしてその中に一人として存在している自分のことを、どこか別の場所から75億分の1のサンプルとして眺めているという感覚です。
俯瞰という言葉を使おうかと思いましたが、なんかカッコつけている感じがしたのと地獄の○サワさんのキャラが思い浮かんだので、なんとなく避けました。
自分に起きている出来事をどこか自分ごとでなく見ていたり、「自分自身はどうなってもよい」という感覚で自身の情熱をどこかやだれかに傾けたりしていました。前職でしんどい経験が続いたときには、「自分のようなものが能力を発揮するということは、やはり自分に返ってこないしロクな目に遭わないかもしれない。だけど実際に確かめずに文句だけ言ってもしょうがないから、自分というサンプルを投げ込んで実験しよう。ダメならダメでそれでよし。」という覚悟と探究心で、最後まで突っ走りました。結果、ホントにダメだったんですけど。
なので、ここでもやはり「自分というのは自分で守るべき特別な存在なのだ」という感覚が欠如してたな、とそう振り返っています。情熱や自己犠牲で突っ走っているなと自覚した時こそ、自分の存在を蔑ろにしてはいけないなと反省しています。
理解者してもらえる場が得られにくい
既に二つ紹介した上で最後に身も蓋もない話をしますが、自分の存在が受け入れてもらえた経験や、受け入れてもらえる場がない限りはそもそも小手先では厳しいというのが率直なところです。よくメンタルコントロールの手法などで「あなたがの意見が否定されていることとあなた自身が否定されていることは別です」といった思考法が紹介されていますが、少なくとも自身は周りと考えが違うことで、人格ごと否定されてきた経験ばかりなので、あまり賛同はできません。職場だけでなく、医師や心理療法の現場でまで人格を否定されてきました(これはまた別の記事で紹介します)。
これもまた解決が難しい問題ですが、一般の生活で認められようとするのはあまりにハードルが高いです。ですが、すべての場で存在が認められないわけではありません。
今後はギフテッド関係者同士が存在を許し会える場が増えることを祈るばかりですが、そうでなくても自身の場を探すことにはより積極的になるべきだと思います。ある場所でギフテッドの存在が認められなくても、本人が悪いと思う必要はありません(という言葉を自戒も込めて残しておきます)。
ギフテッド本人や、ギフテッドの身近にいる方へ
ご覧いただいたように、"なんであれ自分はOK"という安心感がない限り、ギフテッドは立ち止まることができず、常に傷つきながら戦い続けなければなりません。
あなたがギフテッドであれば、どうか自分の味方をしてあげることを忘れないでください。自分を疑いすぎていること、自分をぞんざいに扱っていることに、自分で気付けるようになってください。
あなたの近くにギフテッドがいるのであれば、どうぞ立ち止まれる場を作ってあげてください。それは、あなたが思っている以上にギフテッド本人にとっては貴重なことです。
自身もなにか動くことができればとは思いますが、まずはみなさんの参考になればと、自身の経験を紹介させていただきました。
気になることがある方、詳しい話を聞きたい方がいらっしゃれば、どうぞコメントなどお声掛けくださいね。
ご覧いただき、ありがとうございました。