甘塩っぱい青春の味
ラーメン二郎に興味を持った矢先、近所に人気店があると知った20年くらい前から通ってた…
最初の頃は週2くらいで。
顔を覚えられると、とにかく量を増される。
ただでさえ一般的なラーメンの3倍くらいはあるのに、そこから1.5倍〜2倍くらいになる。
そのせいで体重は20kg近く増えた。
友人たちを次々と連れて行き、そのうち何人かは俺よりハマってしまった。
俺より食えた当時の友人は、鍋や大きなすり鉢に盛られて出されたこともあった…
『ラーメン二郎赤羽店』から『ラーメンマルジ』、そして『ラーメン富士丸』へと名前は変わったが、通い続けた。
俺が引越したのと、YouTuberに取り上げられたことで元々大行列店だったのに、更に酷い行列になったこともあって、だいぶご無沙汰になったが、バス一本行けることに気づき、また月1くらいで行こうと思っていた矢先にコロナ禍が。
そして吉田さんも体調不良で店に出なくなったこともあり、神谷本店には行かず、富士丸欲を満たしたい時は梶原店に行っていた。
店に出なくても呑み歩いてるという噂もあったので、直営支店に続きFC店も出来たので「もう引退してしまうのかな?」と思いつつあった。
それでも、復帰したら食べに行こうと思ってたのに…
俺がルームシェアしてた(のちに失踪した)友人にアルバイトを持ちかけて来たり、余った生麺をくれたり、富士丸に改名した時に"マルジ"の名前が入った丼をくれたり(前述の友人が失踪してロックアウトされたので、その丼は手許に無い…)、ビールを奢ってくれたり、ある取引をしてラーメンを奢ってくれたり、赤羽の呑み屋街を自転車で走ってる最中に声を掛けられたり(吉田さんだと気づかず、怪しい奴に声をかけられたと思って無視してしまった…)。
美味いラーメンを食べさせてもらっただけじゃなく、想い出がいっぱいある。
冴えない日でも、「富士丸に行って凄ぇの喰らえばそれでOK!」だった。
今思い返せば、あの店に通い詰めていたあの頃は青春(というには歳を取っていたが)だったんだなと。
甘酸っぱいことは一切なく、脂ぎった甘塩っぱい青春だけどね。
間違いなく人生で1番食べたラーメンでした。
吉田さんの作るラーメン、もっと食べたかったですよ。
またバカ話したかったですよ。
流石に56歳は早過ぎる。
通い始めた頃、吉田さん30代だったのか…
本当に有難うございました。
合掌。