コトバを学ぶ
言語(コトバ)を学ぶということ。
それは単に、話せるようになるとか、言ってることが分かるようになるだけ、ではないんだよね。
よく、スペイン語話せるようになってどうするの?とか。どうして勉強してるの?とか。将来スペインで働きたいの?とか聞かれるんだけど。
コトバっていうのは、私たちの生活のベースにあって、コトバが無ければ何もできないくらい、大切なもの。
私たちは普段、日本語を話す。日本語で本を読む。日本語でテレビを見るし、日本語で物事を考えて、日本語で表現する。
私たちは、日本語が作る世界に生きてる。世界には、たくさんの言語があって、全部が日本語と同じように、それぞれの世界を形成しているなら。私たちは日本語っていう、日本でしか話されてない、狭い世界しか知らないってことになる。
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私はコトバが、私たちの考え方とか、性格とかにも影響してくると思うんだよね。
例えば、日本語を話すと謙虚になったり。人を敬ったり。控えめな表現をするようになると思う。スペイン語を話すと、もっとストレートに、シンプルに物事を伝えるようになる。極端な言い方をすると、日本語では言えないようなことも、スペイン語なら言えたりする。
日本で育った私という人間に、スペインっていう要素が入ってきて、交わる。
スペイン語が分かると、スペインの文化や習慣が分かる。物事を別の視点から見れたりする。情報量も増える。スペインだけじゃなくて、中南米でも、世界中いろんなとこで生きれる。多くの人と話せる。人生の選択肢が、世界が、広がる。
世界が広がるっていうのは、そんな大きなことじゃなくて。
例えば、カフェで隣に座ってる人が謎の言語を話してたら、ただただ暗号みたいに聞こえるだけだけどさ。でも、その言ってることが分かるだけで、暗号がコトバに変わるだけで、ちょっと自分の世界は楽しくなると思う。
コトバは、ただのコトバじゃない。私たちの人生の根っこにあるものだから。他のコトバが分かる、根っこが増えるってことは、これから新しい木が生えて、今後いろんな方向に枝を伸ばしていくってこと。
だから、言語を学ぶことは、いろんな可能性を秘めてると思う。
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私は、就活のためにスペイン語を学んでるんじゃない。将来海外に住むかも分からない。でも私は、自分の世界を、コトバで広げたかった。今まで分からなかったことが理解できるようになったり、今まで話せなかった人と話せるようになったり。
暗号が、コトバに変わる。未知の世界に、親しみを覚える。本当の自分を、そのコトバの世界に見つける。コトバで、世界を広げる。
それが、コトバを学ぶっていうことだと、私は思うなぁ。
だから、言語を学ぶことを軽視しないでほしい。ただ外国語が分かる、話せるっていう能力だけに、片付けないでほしい。ただそれだけの為に勉強してるんじゃないんだから。私も、そしてきっと他の留学生も、「分かる・話せる」よりもっと先にある物の為に学んでると思う。
学ぶ大変さは、経験した人にしか分からない。異国の地で長期間暮らすことの孤独さも分からない。一見楽しそうに見える海外生活の、裏にある葛藤や不安も分からない。ただ海外にいれば自動的に話せるようになるものでもない。留学してたんだって言って、あーだから話せるんだ!って、「だから」で当然のように結び付けないでほしい。それはその人が努力して、無事結果がついて来たっていうことなんだから。
コトバを学ぶということ。
それは大変で、自分の中の土台を変えるっていうこと。すごく価値のあること。新しい土台の上に、何でも新しいものを組み立てていけるということ。世界が広がって、たくさんの可能性を秘めているということ。
少しでも伝わったらいいな。この気持ち。