
〇、□、カメラ
あの人は〇〇だから『ダメ』としてしまうのか
あの人は〇〇だから『その特性を踏まえてこちらはどうする』とするのかは、全然違う。
もし2度と会わない人だったり、接点が少ない人ならそれでもいいかもしれないけれど、頻繁に、それこそ毎日顔を合わせなければいけない間柄の人を『ダメ』で片付けてしまうと、それ以降の関係性は構築出来づらい。
※もちろん、人と人の関係性の話なので自分が相手から酷い事、許せない事をされた場合でもそう考えて欲しいとは言いません。それでもそうかんがえられる人は、もはや人の領域を超越しています(僕はそう思ってます)ので、その場合を除きます。
なんとなく合わないな〜という場合のみ適用。
ノリシロヅクリの鬼木さんや蹴り方教室のYJRさんが仰る、『シーンでなくストーリーで』という考え方で、相手の事を見る。
つまり、その人の背景や置かれてる状況、あなたと合わない要素への文脈等。
カメラを自分からではなく相手側に置いて、自分を見てみる。
場面のみ切り取るのではなく、その前はどうなっていて、今こうなっているのか。
そうすると、相手が言ってる事も一理あるかも。
と思える"かも"しれません。
YJRさんの蹴り方教室の中で、2人組で対面に立って、パス交換をする時間があるのですが、その際に『ボールを変えようとするな、自分が変われ』とおっしゃいます。
その後、補足で『人間関係もそうでしょ?分からずやな先輩や上司がいて、そいつを変えようと思っても絶対変わらないじゃん。だから自分が変わるしかないのよ』
と。
まさに人間関係の真理ですよね。
あいつはなんで俺の事分かってくれないんだ。
あいつはなんで〇〇してくれないんだ。
それは、自分からのカメラの中でしか見れていない。という事になりますね。
そんな時こそ、自分の感情、自分のカメラはそっと脇に置いておいて、相手側からのカメラにスイッチする、自分と相手の両方が見えるカメラにスイッチする。
そうすると、景色が変わりますね。
景色が変われば見えてくる事も変わります。
つまり発見があるかもしれません。
もしかしたら相手は今、それに対処できる程のキャパがないかもしれないかもしれません。
そしたら、相手と自分との間が今までは分断されている様に感じられていたが、思わぬ所に繋がってる道を見つける事が出来るかもしれません。
サッカーでも『なんであいつは俺にパスを出してくれないんだ!俺はここまで一生懸命走ってきたのに。』
という場面があったとします。
自分カメラで自分ストーリーを追っかけてきたから、自分の感情もばっちり感情移入出来てるのですが、ふとボールを持ってる側のカメラに切り替えると、走ってきた貴方とボールを持ってる人の間に繋がってる道は無く、パスが出せない。残念無念。
という事は往々にしてあると思います。
少し話は脱線しましたが、つまり何が言いたいかと言うと。
ダメ。と即決するのは自分カメラしか覗いてないからではないですか?
相手側カメラから自分の事を覗けてますか?
相手側カメラから自分側の景色を覗くと、相手側に見えてない所も発見できます。
そしたら、ダメ。と即決する前に教えてあげる事が出来たり、協力出来たりする事が、まだ残されているのではないでしょうか?
という提案がしたい。という事です。
とかく、他人の事をダメだダメだ。と決めつけがちなのが最近目についたので、今回はこのようなテーマでnoteに綴りました。
もちろん自戒を込めてです。
完璧な人間なんていないと僕は思っています。
擦りつけるのではなく、皆で補い合っていければ良いと思います。
以前、10代の頃からお世話になってる方と食事に行った際にこんな事を教えてくれました。
『日本は皆が〇で組織を考える。そうすると〇と〇がくっつくと隙間が出来るよね。その隙間は誰が埋めるの?となると途端に若い子とかいわゆる立場が下の子になる。そうやって擦りつける組織が出来上がる。しかも擦りつける奴の方が給料が高いのに仕事が少ない。擦りつけられた方は仕事はめちゃくちゃ多いのに給料はめちゃくちゃ少ない。それじゃ、日本の力は上がっていかない。若い子の方が未来があるのに若いの子の芽が摘まれる。一方、海外は□で組織を考えるから□と□がくっついても隙間はできない。』
という話を聞きました。
なるほどな。と感じました。
また話が逸れました。
それでは今回はこの辺にしておこうと思います。
今回も最後まで読んで頂けて嬉しいです。
また次回も読んで頂けるようにがんばります。
それでは、また。
髙田
