僕の宗教体験
このnoteを投稿してから1年がたった。
この記事は、創価学会の「政治参加」について研究している浅山太一さんが荻上チキ編著『宗教2世』の問題点を論じた下掲のnoteと、それに対するチキラボの応答文を踏まえて書いたものだ。確認したところ、浅山さんの記事の公開が2023年1月14日、チキラボのレスポンスが1月21日だった。
だから書くことを思い立ってから2週間ほどでアップしたことになるのだが、今読み返しても訂正したいところは特に見つからない。むしろ日本社会の状況は、このnoteで懸念した方向へ着々と進んでいるように感じる。
『宗教2世』という書籍については、浅山さんのnoteが公開される2週間ほど前、2022年12月28日に僕はXに以下のようなポストをしている。
この時にはまさか本当に岸田政権が旧統一教会への解散命令を東京地裁に請求するとは予想しておらず、信教の自由がこれほど長期間にわたって社会的なイシューとして扱われることになるとも考えていなかった。正直な感想ではあったものの、「復讐したほうがスッキリするんじゃないかな」は現時点から見れば軽率な態度だったと反省している。
冒頭の書評noteを投稿してからこの1年、僕は信教の自由を擁護する立場からいくつかの文章を書いて公開してきた。上に引用したポストで述べているとおり、自由を大切におもうリベラルな市民として微力ながら言っておくべきことがあると感じたからである。
一方で、エホバの証人の信者だった母に育てられたのに信仰を持たなくなった僕にとって、過去の宗教体験はそれほどいい思い出でもなければ、ノスタルジーをかき立てられるような類のものでもない。むしろそれは自己を確立するために長く格闘をしてきた対象であり、血肉となっていたものを否定し、自ら手放す経験でもあった。
自分の中にあるこうした2つの立場は、理性に基づくリベラルな信念によって脱会者としての自然な情動を抑え込んでいる、というような単純な図式でもない。内省してみると、好き好んで信教の自由という問題に関わり続けている動機には、信仰から離れて自己形成をしてきた人生の過程がそれなりに影響しているようにおもう。
なので、ちょうど1年が経過したのを機に、自身の宗教体験について簡単に振り返ってみたい。そうすることで、現在の宗教についての言説状況のどこに不満を感じているのか明瞭にできるかもしれない。
エホバの証人の宗教活動は主に、伝道と集会の2つから成りたっている。伝道については街で見かけたり、実際に家に訪問されたりした人も多いだろう。だが、集会で何をしているかは外部の人にはあまり知られていないはずだ。それは一般的に想像されるような宗教的な礼拝というよりもむしろ、勉強会や読書会にはるかによく似ている。
集会は以前は週3日おこなわれていて、そのうちの1日は「神権宣教学校」と「奉仕会」と呼ばれる集会にあてられていた。一言でいうと、これは布教のスキルを磨くための集まりである。滝本竜彦『NHKにようこそ!』(角川書店、2002年)で、主人公が潜入した会合のモデルがこれにあたる。
布教の練習といっても、勧誘のマニュアルを全員でいっせいに読み上げるようなことはしない。メンバーに定期的に「割り当て」と呼ばれる分担が回ってきて、女性の場合は2人1組で布教者と入信候補者との役割にわかれて、聖書研究の進めかたをみんなの前で実演する。男性の場合は、朗読すれば1分ほどの聖書の範囲が指定され、そこの箇所について自分で原稿を準備して5分間の簡単な講演をおこなう。
単なる事実の提示として言うのだが、僕はこの「割り当て」が上手かった。
小学校の高学年のころだっただろうか、僕はイスラエルの祭司たちの衣服に使われる染料についての記述から(レビ記だったとおもう)、エホバ神が信徒たち一人一人に親切な思いやりを抱いていることを読み取ることができ、そうした神の愛に私たちは応える必要があると壇上から話したことがある。今となってはもはや何をどう論じたのか、詳しい内容までは思い出せない。しかし90人近くの老若男女の聴衆は、皆この話に納得して感心していた。
義務教育すら修了していない男の子が、聖書の一言半句から自分の頭で考えた“教訓“を引き出そうというのだ。しかも紀元前の中東地域の服飾文化について書かれた、旧約聖書の律法の記述から。神学の議論や聖書の文献批評学に真剣に取り組んでいるクリスチャンからすれば噴飯ものの行為だろう。
だが、僕は別にそうした人たちに向けて悪びれてみせるつもりはない。旧約・新約聖書をそういう信仰の対象だとおもっている人たちがこの世の中には存在していて、たまたま僕の母親もそういうグループの一員であり、僕は子ども時代にそのグループの思想にのっとった宗教教育を受けたというだけの話だ。
森本あんり『反知性主義』(新潮社、2015年)はアメリカのキリスト教史における信仰復興運動について解説した名著だが、この中には「メソポタミア」という語を何度も繰り返すだけで聴衆を感動の渦に巻き込むことができたリバイバル説教師のエピソードが出てくる。彼の説教を聞いて「人生でこれほど啓発されたことはありません」と感極まって叫んだある女性は、移住してきたばかりで英語が一言もわからないドイツ人だったとか。
エホバの証人がアメリカのキリスト教文化の中で生まれた宗教運動であることは、いくら強調してもしすぎることはない。新宗教の団体が布教の練習をしていると聞けば、日本人の多くは異教徒を説得するための訓練のようなものを思い浮かべるかもしれない。だが、実際に行われているのは、もともと聖書を特別視している文化圏の人に独自の神学的解釈を提示して入信をうながすようなものである。自前のリバイバル説教師養成講座と表現しても当たらずとも遠からずだろう。
大まかにいって宗教的なスピーチを行う目的のひとつに、聴衆の信仰心を強めて動機づけをし、宗教的な活動へ誘導することがあげられる。「メソポタミア」の一語で聴衆を感動させるのは極端な例だが、こうした場合、論理的に一貫性があるかどうかよりも、相手の感情へ働きかけることを優先するほうが目的には叶う。それには話しかたや話すときの態度も大きく影響するだろう。
僕が「割り当て」をしていた当時は、『私たちの神権宣教学校』というチョコレート色の教本に沿って講演者としての心構えを指南された。これには、話すときの効果的な抑揚のつけかた、聴衆を引き込む“間“の取りかた、マイクとの距離と声の大きさなどなど、大勢の人の前で話すときに気をつけるべき事柄が章別に細かく書かれている。ただし念のために書いておくが、もし仮にこの本がマインド・コントロールのマニュアルに相当するならば、『結婚式のスピーチ実例集100選』は洗脳の教科書になるはずである。
『キリスト教とローマ帝国』(新教出版社、2014年)という著作が日本語に翻訳されたこともあるアメリカの著名な宗教社会学者のロドニー・スタークは、1997年にある共著論文を書いている。
「なぜエホバの証人は急速に成長するのか」と題したこの論文は、経済学者のローレンス・イアナコーンと協力して、宗教のクラブ財モデルをこの団体に応用して分析したものだ。理論に同意するにせよしないにせよ、エホバの証人の組織の拡大というテーマを論じるならば参照しない手はない重要な論文だと僕はおもうが、それはさておき。
この論文は、北米のエホバの証人は大学へ進学する率がとても低く、高校を卒業したら職人や技術者として働きながら宣教奉仕に邁進するという、日本でもお馴染みとなった事実を指摘している。
しかしその一方で、若いエホバの証人は同じ水準の学歴の人々よりもよく教育されていると主張する研究を紹介している。ジェイムズ・ペントンの本によれば、熱心に活動しているエホバの証人は高校までしか行っていないにも関わらず、一般社会調査に含まれる10単語の語彙テストで大学を卒業した人々とほぼ同じくらいの成績を収めるという。
ペントンはエホバの証人の家庭で育った4世信者でありながら、のちに教団の方針に異を唱えて排斥された複雑な経歴の持ち主でもある。彼の著作を引用するにあたってはやや注意が必要だが、単純に考えて「割り当て」のような集会のプログラムが、どの世代の信者にとっても読み書きの訓練になっているというのは、いかにもありそうな話だ。はばかりながら、僕も学生時代に現代文の勉強をしたことはほぼないが、テストで悪い点をとったことはなかった。
僕は高校生のある時から集会に行かなくなったが、それよりも前に学業の忙しさを理由に「割り当て」を断るようになっていた。神の存在や人間が創造された目的などについて、自分が確信していないことや思っていないようなことを大勢のひとに向かって話すのが嫌になったからだ。
すでに宗教コミュニティと距離をおいていたので、高等教育に進むことについて否定的な意見を聞かされることもなく、僕は大学に行くことができた。当時の出来事で印象深いのは、入学してしばらく経ったある日、大学生活の軽いハウツー本かとおもって浅羽通明『大学で何を学ぶか』(幻冬舎、1996年)を読んだことだ。この本の、きみは目の前に広がる自由から勉強へ逃避しているだけではないのかという鋭い指摘には、図星をさされすぎてまるで通り魔にあったような気がした。けれども、当時の僕には真面目に勉強することを最優先にするしかない事情もあった。
その理由は、自分の長所だとおもっていた言語能力にかなり偏りがあると高等教育に進んで思い知らされたからだ。アメリカでの報告に示されていたように、もしかすると他の学生と比べて語彙は豊富だったかもしれない。だが、得意としていた比喩や例え話で相手を説得するようなやりかたは、レポートとして書いて提出すれば真っ赤なバツがついて返却された。落胆は大きかったが、今にしておもえば師や先輩には恵まれていた。大学という場所で評価されるためにはどうすればいいのか、やりかたは山ほど教えてもらえたからである。
教養科目の論理学も履修したし、折しも2000年前後にはロジカル・シンキングブームともいうべき本の出版が相次いでいた。野矢茂樹の『論理トレーニング』(産業図書、1997年)や『論理トレーニング101題』(産業図書、2001年)は実際に手を動かしながら読んだし、照屋華子・岡田恵子『ロジカル・シンキング』(東洋経済新報社、2001年)を回し読みしたのも思い出に残っている。
こうした地道な努力の甲斐あって、少しは論理的に書いたり話したりする技術を身につけることができた。しかしその代わりに、「割り当て」の時にできていたようなことがすっかりできなくなってしまった。使えなくなった要素は色々とあるのだが、他人を動機づけたり、動かしたりするような話法を避けようとする気持ちが常にあり、これには苦労させられることも多い。大学から社会に出てみれば、事実に基づいて論理的に話すよりも、相手の感情に働きかけるような話しかたのほうがよっぽど役立つと感じることも少なくないからである。
一般的に、言葉づかいはTPOや自分が仲良くしたい人たちに合わせて使い分ければいいようなもので、論理的な文章であれ宗教的なスピーチであれ、それだけで優劣が決まるようなものではないと僕は思う。でもそれはあくまで個人にとっての話であって、社会全体の仕組みに関わるような議論が、なんとなく醸成された空気に便乗するような言葉によって決まっていくのは望ましくない事態だろう。
安倍元首相の暗殺事件が起きてからというもの、メディアによって繰り返し伝えられてきたのはこういう種類の言葉だったように僕は感じている。それは日本社会の一部にかねてより存在していた新宗教への敵意と偏見を増幅し、扇動するような性質のものでもあった。首相として戦後最長の在任日数を務めた政治家の暗殺は歴史に残る一大事件だ。こんな大事件に釣り合うほどの動機が犯人にはあったはずだという心理的バイアスが、メディアのセンセーショナルな報道を助長した可能性はつとに指摘される。
もちろん報道で取り上げられているいくつかの教団には、以前から様々な批判があることは紛れもない事実だ。しかし、被害者の救済が大切なのは大前提として、被害について報じるメディアの情報源が教団と対立している団体に偏っていたり、単なる憶測が事実かのように報道されたりしたことの何もかもが正当化される理由にはならないだろう。
先に触れたように、宗教的なスピーチはしばしば聞き手の感情に働きかけ、動機づけを意図して行われる。個人的な感想だが、子どもの頃にそのようなスピーチをする訓練を受けた経験があると、人の話に含まれる同じような要素についつい目ざとくなってしまうのかもしれない。少なくとも僕の目には、現在の日本で新宗教を社会問題としてとりあげる言説は、操作と動員と扇動の要素に満ち溢れているように映る。
この1年間、信教の自由を支持する立場からいくつかの文章を書いてきたといっても、実際には大した主張をしているわけではない。一度立ち止まって冷静に考えることを繰り返し提案しているだけだ。それに僕自身、特定の宗教法人について固定した立場を堅持しているわけではない。単に法の下の平等を重視し、従来の基準からの恣意的な変更について慎重になるべきだと考えているにすぎない。
多くの人にとって、マイノリティ宗教の処遇について考えることはまったくコストとベネフィットが見合うものではない。第三者がこうしたイシューに興味を持たないのは当然のことかもしれない。しかし、宗教の自由は良心の自由という意味で最初の自由ともいわれ、近代の他のあらゆる自由の基礎にあるとされるものだ。宗教とは無縁の生活を送っているとしても、この基本的な自由が保障されていることは社会全体の多様性を保つうえでとても重要だと僕は思う。
以上が僕が宗教を擁護する立場で発信をする理由と動機だ。我ながら、今の動機と昔のエピソードがうまくつながった文章とは言えないと思う。現在の自分のありようが幼少期の宗教体験によって規定されているとする「物語」としてはあまり洗練されていない。しかし、昨今の日本には宗教的な環境で育ったことと生きづらさを直結するナラティブが溢れているし、ひとつくらいこんな変化球があってもいいだろう。
今後も状況が変化するまでは投稿をし続けると思う。またしても穏当で平凡な結論を繰り返すことになるかもしれないが、ネットで見かけた際にはお読みいただければ幸甚である。