地獄でなぜ悪い 整理できない気持ちを吐く 解決しない
やっぱりこのままでは気持ちが整理できないので言葉にする。
立ち上がるときに口ずさむ、いつも救ってくれる大事な曲が悪者みたいになってしまった。
何してくれてんだよ監督、と思う。
人権を大切にする被害者を思いやる心ある人たちと、アーティストに寄り添う芸術を愛する心ある人たちが、ひとりでも多くの人を元気づけたい人が選んだ、何でもない日常に寄り添う音楽家の、自分を、他人を勇気づける曲をめぐって、争っている。
なにしてんだよ。
この期に及んで、「星野源が加担するのを防げた」とか、「『ばらばら』の皮肉に気づけ」とか、誰と誰が何のために争ってんだよ。
勝ち負け競ってんじゃねえんだぞ。
被害者に寄り添い、加害者を許すな、それだけだろ あーもう!
おれは、
被害者に寄り添い、加害者を許さずに「地獄でなぜ悪い」を取りやめることも、被害者に寄り添い、加害者を許さずに「地獄でなぜ悪い」を歌うこともできるとおもう。
あと決めんのはNHKと星野源。
今回の決断は星野源の言葉がすべて。
なんだけどさ。
まず何より、好きな曲だからショックなんだよ。
発表されたとき舞いあがっちゃったな。
なんか、来年もがんばれそうって。
いいのかな?とか一瞬もよぎらなかったおれもばかなんだけどさ。あーあ。
でもわかるよ。
おれが元気をもらう裏で、それだけで1年が台無しに感じる人がいてしまうなら、意味ない。
星野源が好きで「地獄でなぜ悪い」聴きたいってCD流すのと、毎年大晦日定番の「紅白歌合戦」で嫌でも流れてくるのは違うもんな。
よりによって紅白だし。
別にMステならその回見なけりゃいいし、スポーティファイなら飛ばせばいい。
今そこまで紅白に力があるかはわかんないけど、見なけりゃいいじゃん、では済ませられないくらい、ひとつの国民行事にはなってるよね。
ってか、NHKがそういう番組にしたくてそうしたんだし。
悪いことじゃないと思うけど、そうした以上の義務:全員を気持ちよく年越しさせる義務はあるかもしれない。少なくとも見えてる地雷は取り除いてからパーティーは開かなきゃいけない。
でもさ。
星野源「地獄でなぜ悪い」を映画『地獄でなぜ悪い』と結びつけて、園子温を連想する人がどれほどいるのか。テーマソングとして聴いている人がどれだけいるのか。
そもそも『地獄でなぜ悪い』を巡っての加害じゃなくて、その監督の別の作品に関連した話だし、とも思う。
いやでも……。
そこで傷つけられてしまった人の話をしてるんだ、今は。連想するに決まってる。
だとしたらむしろ、「地獄でなぜ悪い」曲のパワーで救えるんじゃないのか。
そういう力のある曲だと思う。ほんとうに。
でもそれを傷ついてる人にこちらが強いることはできない……。
おれは心から、生きていく価値のある世の中に近づけると思うけど、そういう曲だとほんとにそう思うけど、そんなあまいもんじゃないよな、絶対。
でもじゃあどこまでがいいかわかんないよ。
だれか関係者に加害者がいたら、それを取り巻く芸術は死ぬのか?
映画とタイトルが同じだからだめなの?
ラインなんてないのは分かってるけど悔しい。
こんなすてきな曲で傷つく人がいるかもしれないのが悔しい。
本音を言うと、あの映画とは訣別して素晴らしい音楽が残ったとも思ってる。
ほんとに悔しくて悔しくて、何してくれてんだよ監督と思う。
最高の曲もすばらしい映画も、悪い歴史の文脈に取り込まれてしまった。
それでもなお最高の曲だし、好きな映画だけど、ぬぐい去ることはできない。
それでもやっぱり、最高の曲なんだよ
ちくしょー