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意味なんかないさ 暮らしがあるだけ

意味なんかないさ暮らしがあるだけ

星野源「恋」より

さいきん、この歌詞がSNSで取りあげられることか増えている。

僕が見た投稿者は
「若者の貧困で、まさに『意味なんかないさ暮らしがあるだけ』になりつつある」
というようなことを言っていた。

いまの生活にせいいっぱいであることを「暮らしがあるだけ」になぞらえている。

でも……

「意味なんか無いさ暮らしがあるだけ」

うーん、「暮らし」は、なんというか、「透明なしあわせ」を歌っているんじゃないだろうか。

意味がなくても謳歌される暮らし。それは「意味があるからこそ価値があるあれこれ」とちがって交換不可能なしあわせ。

そこには、意味なんかなくてもいっしょにいる人とか、意味なんかなくてもただ過ごす時間とか、場所とか、ごはんのにおいとか、サッシのほこりとか、秒針の音とか、鼓動とか、

あったほうがいいとも意識にのぼらない、でもなくちゃだめな、さし示せないあれこれがあるんだと思う。

貧困によってただその日を生きるしかないとき、その暮らしの大部分は「生きるための手段」で埋められてしまって、透明なしあわせは意味に置き換えられていく。侵されていく。

きっとそのとき、そこに、暮らしなんか無くて、意味だけがある。あってしまう。

なんでもない日々をみんなが自覚しないまましあわせに暮らせる、意味なんか無くて暮らしがあるだけの世のなかにしたい。

その変化に気づくこともなく、ただ腹を空かせて君のもとへ帰るんだ。

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