預かりもの
かわいい。尊い。愛らしい。
授かった命を表現するには、どれも、どこか物足りない。
物足りない。
その表現も違う気がするのだけれど。
「自分の子は何歳になってもかわいいよ」
友人たちからも、諸先輩方からも聞いた。
きっと、月9でも何度か聞いた台詞だ。
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子を「授かる」と言うが、心の隅っこかどこかで「とはいえ、大人が主体的につくるものでしょ」とも思っていた。
妻子の退院後、数日経っても実感がない。驚くほど、ない。
男は自分が出産していないからでしょ。いや、違う。
妻も実感が薄いと口を揃えたのだから。
子を迎えるにあたり、昨日までなかった実感が突如として現れることはない。
ともに過ごすことで、時間差で実感が付いてくるのだ。
初めの数日は「授かる」どころか「預かる」、そんな感覚になる。
何はともあれ、「授かる」と表現した先人は正しかった。
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傾いた陽光を浴びた宝物は、とびきり美しく見えた。
「玉のような子」の玉とはそうか。これのことか。
周回遅れの実感が、今やっと追いつき始めた。