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電話をする機会とともに失ったものは【ひとことお題10】

ほぼ毎日「ひとことお題」、本日は『電話』
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スマホを持つようになってから「携帯電話」って言わなくなったな、と思う。

かろうじて正式名称は「スマートフォン」なので「フォン」部分に電話の余地を残してはいるが、もうあれは携帯電話というより「スマホ」なのだ。

なんなら、これで電話「も」かけれる、一応、有事の際には・・みたいな認識になり始めている気がしてならない。生まれたときからスマホがあった世代には特に。もうスマホを指して「ちょっとそこの電話とって!」って言っても通じなさそうな気がする。

ちょっと前まで何か用事があるときは電話一択だった両親も、いつしかテキストメッセージでのやり取りに慣れて、よっぽどでなければLINEでやり取りするようになった。メールより手軽だし、電話ほどオンタイムじゃなくても目を通したことがわかるLINEは両親にとっても使い勝手が良かったのだろう。

さて、そうなると今後、「電話で話すタイミング」っていつなんだろう?という疑問が湧いてくる。いや、「電話をかけていいタイミング」といった方がいいかもしれない。よっぽどの場合とか、緊急度が高い場合以外、電話で話す機会ってもうほとんどないんじゃないか?

世の中には電話がこの世の何よりも嫌いな人がいて、どんな場合でも電話はカンベンしてほしい、という意見があることは知っている。その人達が電話が嫌いな理由は「話すことが苦手」とかそういったコミュニケーションの問題のほかに「時間を拘束されるから」という理由があるようだ。

電話はリアルタイムの会話で、テキストのように自分のタイミングで後で読んでゆっくり返事するということが出来ないから厄介に感じる人がいるだろうことは理解できる。でも、じゃあ私はいつどんなタイミングなら両親と電話で話せるんだろう?

わかっている。両親は電話が苦手なタイプではないし、こちらがかけたければ好きなときにかけていいことも、その内容が、たわいもない雑談だったとしても受け入れてくれるだろうことも、その時出られなくても必ずかけ直してくれるだろうことも。

でも、テキストで事足りる話をいちいち電話をかけて話す必要があるのか?という疑問がわいて、こちらの側に躊躇する気持ちがあることも事実なのだ。そこにはたぶん、相手の状況を慮る(おもんばかる)というよりもっと自分勝手な、「自分が話したいことだけを話したいだけで、会話になると時間が長くなりそうでめんどうだな」というような思いが少なからずあるように思う。

そう思うからこそ、電話でなくてテキストを選んでしまうのである。伝えたいことだけを伝えて、相手が答えるかどうかはタイミングも含めて相手に委ねられる方が楽だから。会話にならない方が時間を取られず楽だから。

そう考えると、「電話」する機会と共に失ってしまったのは誰かと「会話」する機会なのかなあ、ともいえると思って、ちょっと寂しくなったのだった。

おわり


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