もらいもので見えてきたミラーハウスのような自分【ひとことお題17】
ほぼ毎日「ひとことお題」、本日は『貰い物(もらいもの)』
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私にとって一番多い「もらいもの」は、言葉だろうなあと思う。
自分では自分のことがよく見えないので、それをどうにかして知るために、よくいろんな人に自分の話を聴いてもらっては、「自分がどんな人なのか」というのを教えてもらっている。外側から見てもらうのが一番手っ取り早いからだ。
その時にもらう言葉は、どんなものでも有難い「もらいもの」である。ギフトともいえる。そういう「もらいもの」の言葉たちをたくさん集めて、パズルのピースを組むように、私は私の輪郭を自分のなかに描いてきた。
だからもしかすると私という存在を表現するときには、いつかの誰かからの「もらいもの」を使わせてもらっているのかもしれない。
面白いのは、人によって表現する言葉や傾向、内容も違っているのに、私にとってはどれもしっくりきたり納得するものが多いということ。それはたぶん、話を聴いてくれた人達それぞれにとっての、そう見えたもしくはそう聞こえたという「事実」を渡してくれているからだろう。
私自身も、いつでも「決まった自分」でいたとは言い難い。誰かの前では意識して「見せたい自分」でいたかもしれないし、「素のまま」で喋っていたかもしれない。時には私自身も自覚していない自分を引き出してもらったことも何度もある。
そういういくつもの「自分の側面」が遊園地のミラーハウスのようにどこまでも続いていて、その時々で切り取られて少しずつ見えてきているような様を想像するとあまりにも果てしないが、それはそれで自分という存在の多面的なところがイメージ出来て、しっくりくるような気がするのだ。
おわり
ひとことお題エッセイ30作になったらZineにしようと思っています。
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