わたしは算数をあきらめることにした【ひとことお題02】
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小学校3年生のときである。
頭の中で声がした。
「わたしは算数をあきらめることにした」
以来、高校2年の数学では人生初の0点を取るにまでいたり、その後の進路選択で科目から数学を除外したら先生に「数学なくなってよかったね」と哀れみを多分に含んだ目で言われるほどに、およそ数字にまつわるものに苦手意識を抱いて生きてきた、ように思う。
しかし、そこまで苦手に思う理由とはなんだったんだろうか。
別に数字を見ていたら頭が痛くなってくるわけでもないし、簿記の勉強をしていたときも計算が嫌とは感じなかった。むしろ計算によって一致しなかったものが一致したり、ひとつの答えに辿り着く過程は楽しさすら感じた。
その後、事務職になってからも現金出納帳や給与計算や経理の一部業務など数字を扱う仕事を担当したが、そこでもなんら心の抵抗も支障もなかった。
これはいったい何が起きているのだろう。
そもそも、小学校3年生の私はなぜ「算数をあきらめる」に至ったのか。
実はいくつか思い当たることがある。
ひとつは、「算数が苦手」というキャラをアニメだかマンガだかで見て、子供ながらになにかそこにアイデンティティの要素を見出してしまったから。
ようするに、自分の「キャラが立つ」可能性を感じたからではないか。
もうひとつは、「なぜそうなるのか?」を納得して飲み込む時間をもらえないままに進まされたから。分かりやすいのは、例えば公式だ。なぜそれに当てはめたら答えが出るのか?なぜ三角形の面積が「底辺×高さ÷2」で出るのか?
ジブリの『おもひでぽろぽろ』で、主人公のタエコが小学生のころのエピソードに「分数の割り算の意味が分からない」と言い出す場面があるが、まさにあれが私のなかでは起きていたのだと思う。
でも学校の授業ではひとりひとりの腹落ちに付き合っている時間はないし、説明しても理解できるかは個人の資質にかかっているとしたら、タエコの姉さんのように「とにかくこうすればいいのよ!」と言いたくもなるだろう。そして算数および数学では、おそらくそれが正しいのだ。
だけど多分わたしはそれが嫌だった。
納得も出来ないのに「こうすればいい」、でものごとを進めるのが。
つまり小学校3年生のわたしがあきらめたのは、厳密にいえば「算数」ではなくてそれに対する「理解」や「納得」なのではないだろうか。
そうして歩み寄る術をなくした寂しさと、遠くに憧憬をもって、わたしはそれを「苦手意識」と名付けたのではないか。
あ~、なんかちょっと腹落ちした!笑
というわけで、今日はこれにて。
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