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透明な、名も無い、でも存在しているデロデロとしたわたし【エセ・エッセイ008】

もののけ姫に出てくるシシ神が首を飛ばされて輪郭を失ったときのような、ブクブクでろでろとした有機体のイメージ。顔もなく完全に透き通ってもない。ところどころ何か模様のようなものが浮いていて、でも浮いているだけでそれが何かを定義づけるわけでもない存在。

最近の自分はどうもそんなふうだと感じていて、そのことにわりと満足している。

ところがちょっと前までの私は必死に何者かになりたがっていて、例えばしっかりした肩書だとか職業名だとかなにがしかのバックボーンだとか、まあようするにそういった「ハッキリした輪郭」を欲していた。

しかしバックボーンとは言い得て妙だ。だって今の自分は背骨すらも持たないし、輪郭どころか形すらはっきりとはしていない。

でもあれはシシ神だし、私はちゃんと私なのだ。
これがどういうことかというのをもう少し言葉にしてみたい。

私はできる限りのらりくらりと思考も身も自由にしていたいと思っている。私にとって自由っていうのは「してもいいししなくてもいい」というような状態ってこと。

でもひとたび力を集中させたいと思ったら、そこにギュッと凝縮して固まり集中したい。今は週3日、本業としてセッションを持っているけれど、例えばそれが凝縮された時のひとつの形。

それ以外の凝縮ポイントは、こうしてエッセイもどきを書いている時もそうだし、友人知人と話しているときもついギュッと夢中になって熱い生き物と化している。

でも力を抜いたらまた、形の定まらないものでいたい。
変幻自在とカッコ良く言えなくもないけれど、今は定まりたくない、の方がしっくりくるかも。ギュッとなりたいときにすぐなれないから。
だから背骨とか形とかがあったら不便なのだ。

言い換えると、今は興味があることを形定めずただ無心にやっておきたいんだろうなと思う。それがそのうち形になるかもしれないしならないかもしれないけど、そこはどっちでもいいというスタンスで。

ただ、無心に続けてみるということの先を知りたくはある。

今日はいつにも増してまとまりのない文章になってしまった。
たまには考察途中をデロデロ定まらない状態で出してみる、ということで(笑)

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今は本業のセッションに夢中なのでそういう内容が多めかも。

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だーやま
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