タキシードを着たのっぺらぼう
最近、小説を書くようになった。
中央線に乗ってというという題で、中央線をキーワードに短編をだらだらと書いている。有実泊(ありみとまる)という名前です。そのうちリトルモア社から本として出す予定です。読んでね。
読んでみるとわかると思うのだけど、そんなに上手くない。面白いと思ってくれる人はいるかもしれないが(そう思わないとやってられない)、上手いと思う人はほとんどいないはずだ。
小説との距離感の掴み方、みたいなものが把握できていないのだと思う。
人は、人と話すときに言葉を選ぶ。実家の母親に声をかけるときと偶然に野外ロケをしていたモト冬樹に声をかけるときでは話し方は変わってくる。それぞれの相手に特有の、語りかけ方の温度があって、その適温を探るのがコミュニケーションだ。
僕はMicrosoft Word(わけのわからない仕様だらけの、わけのわからないソフト)で原稿を打っている。ようはキーボードを介してそのソフトウェアに語りかけているわけなんだけれど、適温がわからない。こいつとどんなコミュニケーションをしたものか、いまいちわからない。
のっぺらぼうと雑談したときのことを思い出していただくとわかりやすいかもしれない。経験のない人は想像してください。顔のないやつに一方的に言葉を投げかけるのは不安としか言いようがない。本当の意味の無表情を前にして肩があがって、伏し目がちになり、DMMのエロ広告のセンスがやばすぎることや『苺ましまろ』の刊行ペースについて話せなくなり、たいして興味ない人生論を語りたくなってしまう。こののっぺらぼうは顔がないくせして肩幅が広く、タキシードを着ているものだから、こちらまで萎縮してしまう。
そういえば、このnoteというサービスもタキシードを着たのっぺらぼうだ。
なんかカッコいいフォント。ムダのない装飾。楽天市場のアホみたいな広告が端っこに表示されていたり、スクロールすると付いてきたりしない。戦後文学史を全部おさえた上で魔法少女まどか☆マギカを観ている奴の匂いが充満している。「はてブされたるで~!」みたいな意気込みがすでに枠組みの時点で伝わってくる。そこに文章を書こうと思うとほら、やっぱりどうしても硬くなってしまう。だってこのデザインで、「宮崎の綾町のお野菜を、宮崎のママ友が送ってくれた(^^)♪」とか書く気起きますか。今のはサエコさんのブログから引用しました。最低でもコラムニストレベルの文章力がないと悲惨に見えるサイトデザインは、9割9部のカスみたいな文章を量産している一般人を排斥します。
それに比べてアメーバブログのダサさは偉い。どんな知能指数の低い文章でも受け入れてくれそうな感じがある。のっぺらぼうではあるんだけど、なで肩でシャツをズボンに入れてて靴紐がほどけてる感じ。これを見習わなければいけない、と真剣に思います。
ということで、このnoteはサエコさんのブログみたいな気持ちで書くことにします。
ぐっさん岩(岩でできたぐっさん)